トタン貼り看板建築。台東区東上野3-12
左:2006(平成18)年11月29日、右:2013(平成25)年7月14日
永寿総合病院(旧西町小学校)の近くの横丁にあるトタン張りの看板建築。緑色に塗った波トタンの家は下谷神社の脇にもあるが、銅板の緑青をイメージしたものなのだろうか。トタンはすぐに錆が正面に出てきてしまうらしい。真ん中の家のように最初から錆色に塗った家もよく見かける。その家が「高野箔押所」。
三軒長屋といっていいのかもしれないが、アパートのような建物らしい。
名古屋精工所。東上野3-11。2013(平成25)年7月14日
1枚目写真の家のすぐ南の街区。トタン貼り看板建築なのだろうが、あまり看板建築というような感じではない。角の家とその後ろの家は片流れ屋根だ。1986年の住宅地図では写真左が渋谷製作所、角の家が名古屋精工所。今は看板がないからそのまま存続しているようではない。路地に入った青トタンの家が「トーヨーアート」の看板を出していて、1986年の地図と一致する。
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この前の道が度々子供野球場になります。
5,6人集まれば試合も出来るんです。ピッチャー、1塁、センターの3人で1チーム。男女混合です。
キャッチャーは攻撃チームが。
高野のお兄ちゃんか、三幸園のお兄ちゃんがアンパイヤになることもありましたよ。
竹棒のバットでゴムボールを叩きます。
たまに両側の家の屋根に上がると隙間にボールがいくつかあるんです。
看板建築、当時は普通に屋根が垂れていればボールが落ちるのにと思っていました。
文字を書くなどして看板にする為のものなのでしょうか。でもなさそうですよね、勉強します。
看板建築というのはその正面が平面的で板を立てたようだということからきています。ピッタリくる名称ではないことは、命名者の藤森照信東大教授もいっています。すっかり定着してしまった言葉なので、いまさら替えるわけにもいきません。
高野箔押所は本の表紙や箱に金箔なんかを施す作業をしているのでしょうか?
様々な大きさの桐箱や葉書大の厚紙、それに革のような板に、文字や絵柄の金箔を押していました。
いつも忙しそうで、皆ラジオを聞きながら手ぬぐいの鉢巻きをして製品の山に埋もれていましたよ。
界隈の皆さん、みな働き者でしたね。