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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




吉川錻力店。台東区谷中5-11。2007(平成19)年12月1日

日暮里駅の北を通る御殿坂の頂上辺りから南へ、朝倉彫塑館の前を通る道へ入ってすぐのところである。この道は南への一方交通の狭い道だが三崎坂や言問通りのほうへ抜ける車がけっこう通る。いつのまにか「初音の道」という名称が付いたようなのでぼくも使うことにする。写真のように古い木造の日本家屋が4棟並んで残っていて、いつもカメラを向けるおじさんを見かける場所だ。
撮影時では変わっているかもしれないが1986年住宅地図では、写真手前から、田中精機、吉川錻力(ブリキ)店、大沢銅壷店(銅菊)、内藤製作所。吉川錻力店の横の路地は入ったことはないが七面坂へ抜けられるらしい。
吉川錻力店の家は右半分が改装されて1990年頃には「税理士・行政書士・吉川健二事務所」にしていたが今は移転したようである。普通はブリキ屋といっていたらしい。ブリキなどで屋根や壁を貼ったり雨どいを取り付けるような仕事かと思うが、なにか生活用具なども作っていたのかもしれない。



銅菊。1989(平成1)年3月12日

銅壷(どうこ)とは長火鉢の中に置く湯沸かし器で、郷土博物館などでお目にかかる。銅壷屋とは銅板を加工してやかんなどの生活用具を作る商売というか職人だ。四角いフライパンみたな卵焼き器なんかは銅板のものを見かける。平成初年頃にはまだ仕事をしていたと思うが今はやっていないらしい。飾り窓の展示もやめてしまっている。『東京路上細見3』(酒井不二雄著、平凡社、1988年)に「玄関と格子窓の間には飾窓がある。周囲の枠には千社札がたくさん貼られている。中には、こまごまといろいろなものが飾られ、銅製のヤカンや鍋、まとい、銅板製の象の模型が並ぶなかに、「手仕事の有難さ 銅菊の鍋の味 永六輔」と書かれた色紙が貼ってある。」と記されている。この文章に添える写真を撮っておかなかったのが残念だ。

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