
帝都高速度交通公団ビル。台東区東上野3-19。1986(昭和61)年頃
「東京メトロ」というのは「東京地下鉄株式会社」の愛称らしい。2004(平成16)年4月1日の設立になる。写真右の建設中のビル(住宅地図では「(仮)交通営団文明軒共同ビル」)が新しい本社ビルになる。東京地下鉄の前身、帝都高速度交通公団の通称「営団地下鉄」がいまだに耳になじんでいる。帝都高速度交通営団の設立は1941年で、すぐに銀座線を運営していた「東京地下鉄道」と「東京高速鉄道」とを統合する。
写真のビルは東京地下鉄道が1931(昭和6)年12月に完成させたビル。壁面全体を使った大時計を備えていた。
当の写真だが、もう一歩前に出て撮れば正面の上部まで撮れただろうに、後でちゃんと撮ろうなどと思っているうちにモノがなくなってしまった。毎度のことである。

きつね寿司の入る看板建築。東上野3-19。1986(昭和61)年頃
この建物は思った以上に長く存在していた。玉生商店(切手・印紙・たばこ)、きつね寿司、丸越書店の三軒が入っている。玉生商店のテントの上の金文字は「喜昇堂」と読める。きつね寿司は建物が建ったときからずっと入居しているらしい。
tansei.net>近代建築で、きつね寿司のこと、および両側の商店が退去した後の写真が見られる。

丸越書店。1988(昭和63)年頃
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いずれ当ブログのご案内をしようかと思っていましたが、すでにご存知とは恐縮です。これからもよろしく。
小学生の頃は、地下鉄と言えば銀座線を指しており、地下鉄銀座線と都電(1番)が主な足でした。
東上野旅館街を抜けて上野駅に行くには、現在は渡り廊下のような巨大な歩道橋に登って昭和通りを渡りますかね。
その昔(昭和期)は、駅へは地下鉄ビル(銀行だった?)の前から地下道に降り、銀座線改札前を通り駅へ抜けたものでした。
この地下道入口を降りるとすぐにニュース専門の小さな映画館があり、親父に連れられてよく行きました。
幼い頃はニュースなど面白くもなんともありません、ですが私の目当てはその合間にアニメ漫画を上映するので、それが楽しみでした。
『昭和32年の映画館』というサイトには「上野地下鉄映画劇場」とニュース専門劇場の「上野地下ニュース劇場」「上野ニュース館」が挙がっています。『なつかしの映画館-Googleマップ』には「上野地下鉄映画館、東上野3-19-6、1954年3月「メトロ映画」として開館」とあります。地下鉄ビルの映画館は「上野地下鉄映画劇場」だったようですね。