
永信商事。江東区永代2-32。1987(昭和62)年11月22日(3枚とも)
永代通りが葛西橋通りと分岐する永代2丁目交差点の角にあった。永代橋から来ると大島川西支川を福島橋で渡ってすぐのところ。
この古そうな建物はかつて永代信用金庫が使っていた。たぶん「永代支店」といっていたのだろう。永信商事という会社はあるいは永代信金とつながりがあったのかもしれない。ウィキペディアによると、永代信用金庫は『江東区を地盤とする東京都内信金第二位の大手信用組合だった』が、『2002年1月経営破綻』した。
昭和60年の区分地図には周囲に第一勧銀、富士、拓銀、三菱、三和、日興信金などの銀行があったようだが、現在は第一勧銀だったところにみずほ銀行深川支店があるだけのようだ。
現在は永信ビル(1992年6月竣工)。

『江東区古写真館―想い出のあの頃へ』(江東区教育委員会編、平成16年)という本に、昭和30年頃に写真の交差点を撮った写真が載っている。永代通りに都電やオート三輪が走り、手前に第一銀行が写っていて、その陰になって永代信金がわずかに写っている。それを見ると永代信金の入口は上の写真の「永信商事」の看板があるところ(シャッターには「永信観光」)で、クラシックで立派な玄関だ。当書をぼくは中川船番所資料館というところで買ったが、1000円は安い。

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ここ今、みずほ銀行ですね。
この近くには澁澤系のビルやら、ヤマタネなどがあり、明治期から今日の日本の経済発展の礎になった地なんだなぁと感じます。
おっしゃるとおり、佐賀町を中心に江戸時代から穀物、油類、肥料などの物資の集積場だったといいますから経済活動に担った役割は大きかったと思います。