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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





日増屋。台東区池之端2-7
1986(昭和62)年4月18日

不忍通りの池之端二丁目交差点の北、千代田線根津駅の手前にあった和菓子屋の「日増や」とラーメンの「日増屋」。上の写真を撮った時は、向かい側にみのぶ印刷もあって、特異な建物が向き合っていた。
江戸東京たてもの園へ移築されて公開されたのが1999(平成11)年11月なので、解体されたのは1998年だろうか。その直前、1996年に撮られた写真を『Tokyo Lost Architecture>日増や(村上精華堂)』で見られる。また、『東京ダウンタウンストリート1980's >台東区池之端』には1982年撮影の写真が載っている。その写真ではベランダの柵が松の形にくりぬかれた壁のコンクリート製。江戸東京たてもの園では「村上精華堂」として展示しているので、根津駅付近の日増屋と結び付けているサイトはこの二つだけかもしれない。現在は増渕ビル(1999年1月築、5階建てマンション)に建て替わって、1階でラーメン屋は続いている。
『日本近代建築総覧』では「日増屋、設計者・施工者=不詳、建築年=昭和3年、構造=木造3階建、備考=いわゆる看板建築、香料屋(ビンツケ油)と云う」。
史跡写真集村上精華堂』によると、村上精華堂の創業者は村上直三郎で、化粧品の製造・卸し・小売りを行っていた。ファサードのデザインは彼のものではないかという。台東区浅草向柳原に支店があり、1942年からはそちらが本店になり、戦後の1955年から池之端の店は化粧品店はやめている。1967年に2代目に引き継がれると、和菓子と中華料理に商売替えしたということらしい。
1966年の地図では、住所変更の前なので「池ノ端七軒町」に「村上精花堂、前田米店、豊田、三神歯科、福田」と並んでいる。1969年の地図では「日増屋、前田米店、豊田、三神歯科、桧山」。


日増屋の並びは、岩瀬米店とびすとろ楽屋(レストラン?)、三神歯科医院と民家。池之端2-7。1989(平成1)年4月29日

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