ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





梅沢写真会館。荒川区南千住1-15
2005(平成17)年7月23日

梅沢写真会館のビルは国道4号(日光街道)から少し引っ込んでいて、その前に立食いそば屋と八百屋が店を出している。ビルの1階は裏に抜ける通路がとられていて「都電荒川線入口/三ノ輪橋商店街」の看板がある。三ノ輪橋商店街は、ビルの裏のジョイフル三ノ輪商店街までのところだけをいうのだろうか?
『私の東京町歩き』(川本三郎著、筑摩書房、1990年、1301円)には梅沢写真会館について以下のように書かれている。すでに30年前の様子なので、引用させてもらう。

……この三ノ輪橋の駅の入り口には、アーチのような役割を果している古いビルがある。ターミナルビルというには小さいがそれでも四階ほどある。昔はこのあたりで偉容を誇っていたのではないだろうか。写真館のビルである。いまはそれだけでは商売が成り立たないのだろう、ジャズダンスの教室もある。
 このアーチの下がマーケットのようになっていてラーメン屋、立喰いソバ屋、果物屋、新聞・雑誌のスタンドが並んでいる。いついっても人通りがあって活気がある。その先には、店頭で、鳥やウナギを焼いている店があっていい匂いがあたりにたちこめる。町はやはりこういうごちゃごちゃした一角がいちばん面白い。

写真館のビルは今の荒川線が王子電気軌道という私鉄の時にその会社の事務所ビルとして建てられた。本社ビルとするサイトも多いが、ウィキペディアでは「1927年(昭和2年)―王電ビルヂング(三ノ輪橋)が完成」。その路線は「王子電車」というのが普通だったようだ。
荒川線入口の1階通路は、たぶん最初からあったものだろう。日光街道には北千住―水天宮の市電が走っていて、王電ビルの前に電停があり、乗り換え客のための通路が必要だった。王子電車の電停が「三ノ輪」、日光街道の方が「三ノ輪橋」となっている地図もある。
『1960年代の東京』(写真=池田信、解説=松山巌、毎日新聞社、2008年、2800円)には1964(昭和39)年に撮られた梅沢写真会館の写真が載っている。その写真では通路の上の梁に「王電……」の文字がある。都電に変わって20年が経っているが、この辺りでは「王電、王子電車」のほうがまだ普通に通用していたのかもしれない。「荒川線」を使うようになるのは1974年10月からである。また、ビル中央上部のアーチの中に車輪のようなマークのレリーフがある。王子電車の社章だったのだろう。

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