ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




清砂通アパートメント10号館。江東区白河4-3。1991(平成3)年6月16日

清州橋通り沿いにあった清砂通アパートメント7号館の後ろ(南)に8・9・10号館が横丁に沿って並んでいた。上写真は9号館が手前に少しだけ写っているが、なぜか8・9号館は撮影していない。もしかすると、増築されていて古い建物に見えなかったのかもしれない。
清砂通アパートメントは街路の整備が進むにつれて、順次建てられていった。『同潤会のアパーメントとその時代』(鹿島出版会、1998年、3,300円)によると、全16棟の建設を5期に分けている。9・10号館は6号館と同じ第2期で、大正15年12月20日工事起工、昭和2年12月14日竣工。第2期は元加賀小学校と公園が建設されるのに合わせて、その東西(西に6・9・10号館、東に15・16号館)にアパートメントを建設している。元加賀小学校は昭和2年4月30日の竣工で、アパートより8か月早い。
10号館の特徴は下左写真に見える北翼3階のベランダの円柱と片アーチだ。『集合住宅物語』(植田実著、みすず書房、2004年、3800円)には「10号館両翼の円柱と片アーチ型で造形されたバルコニー」としているので、南翼も同じ造りにしてあったようだ。南翼はベランダを部屋に改造したため隠れてしまったのだろう。



清砂通アパートメント10号館。白河4-3。1991(平成3)年6月16日

10号館には日本社会党委員長・浅沼稲次郎が住んでいた。『集合住宅物語』によれば、北翼の1階がその部屋で、夫人と娘さんとの三人で暮らしていた。浅沼は最初、竣工間もない12号館に入ったが、結婚して10号館に移った。1960(昭和35)年10月12日、61歳で暗殺された後も夫人が20年間暮らし、夫人が亡くなったあとも部屋はそのまま残されていたという。



清砂通アパートメント10号館。裏通りから撮ったもの。薄緑色の壁の部分は増築個所と思われる。



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