ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




門田クリーニング店。台東区谷中6-3。2012(平成24)年5月17日

写真左の信号が三崎坂(さんさきざか)の通りが朝倉彫塑館前の「初音の道」と出会うところ。看板建築の門田クリーニング店の左は内田クリーニング店だった家。その左に出桁造りの商店、長屋風の家、と戦前から建っていたと思われる家が並んでいる。
下の写真右の中村石材工業は墓石を加工しているのだろうか。その右は写真枠外だが、4階建てビルの竹内商店。現在、この並びで建て替わったのはその竹内葬儀社だけだ。


門田クリーニング店。台東区谷中6-3。1990(平成2)年6月17日



高梨雑貨店。台東区谷中6-3。2007(平成19)年10月18日

三崎坂(さんさきざか)の通りの台東初音幼稚園の向かい側。看板建築が3棟並び、信号の先の出桁造りの家は酒屋の伊勢五本店
日用品雑貨の高梨商店は1966年の住宅地図では「高梨油店」で、元は燃料店だったらしい。
看板に書かれた「ニギリ矢印」はぼくが子供の頃、つまり60年以上前に家にあったやかんや鍋にそのマークがついていたのを思い出す。今ネットで探してもメーカーは出てこない。『路上観察と琺瑯看板、マンホールのふた-お散歩 Photo Album 』というサイトに、「アルマイトはニギリ矢」の琺瑯看板の説明文で「ニギリ矢の商標は、明治32年(1899)創業の那須アルミニューム器具製造所が持っていたようです。同社は昭和26年12月那須アルミニウム工業、昭和33年6月日軽アルミニウム工業(株)、昭和45年7月日軽アルミと社名変更し、昭和49年(1974)10月、親会社の日本軽金属(株)(昭和14年(1939)創業)に合併されます。(以下略)」とある。結局平成17年に「日軽プロダクツ」という会社が圧力鍋の事故で事業を終了。その時点でニギリヤ印の使用も終えたのだろうとしている。
高梨商店の右の家は「ブリテン音楽スタジオ」の表札がかかっているが、1966年の住宅地図では「大東新聞印刷」。

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