ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 






浅草寺一山支院。台東区浅草2-31。1987(昭和62)年4月4日(4枚とも)

浅草寺観音堂の斜め後ろに浅草神社(三社様)がある。この、寺と神社はどういう関係になるのだか知らない。その浅草神社の裏、言問い通りとの間に浅草寺の支院とか岐院とか予院と言われる寺がかたまって建っている一画がある。関東大震災後に区画整理して出来上がった。
『日本近代建築総覧』では「浅草寺岐院集合住宅、建築年=1932(昭和7)年、構造=RC2階建、設計=岡田信一郎、岡田捿五郎、施工=井原寅松、備考=「日本建築士」S7,1-12による」。『月刊岡田信一郎>第12号(2000年2月)』では「竣工当時の建築雑誌の記載に従い」として「浅草寺一山支院」の名称にしているので、当記事ではそれをまねた。
岡田捿五郎(しょうごろう、1984(明治27)年-1976(昭和51)年)は岡田信一郎の弟で、東京美術学校図案科第2部(現・東京芸術大学建築科)卒。欧米の建築を視察して帰国後、岡田信一郎事務所で設計監理に従事し、昭和7年兄の死後はあとを受けて建築設計事務所を経営。一方、昭和2年から東京美術学校建築科講師となり、18年同校教授に就任。後、東京芸術大学教授、37年名誉教授となった。主な作品に琵琶湖ホテル、日本出版クラブ、旺文社本館など。(コトバンク > 20世紀日本人名事典)。井原寅松は不明。
支院の建物は11棟あり、各棟に2院が入っている。内部は2院が独立しているらしく、門は建物の東西に2か所設けられている。地下室があるという。屋根は元から陸屋根だったらしく、3階が増築されている。写真の3階の小屋のように見える増築部分は、今はより本格的なものに造りなおされている。外観は和風と見る人もいるが、ぼくには洋風に見える。




団地?には2本の路地があり、その入口には門があって関係者以外は入りにくいようにしている。路地はなぜか一直線ではなく、わずかばかりの段差で階段状になっている。
観光客はもちろん、散歩している近所の住民にもこの建物に関心を払う人はまずいないようだ。そもそも周囲に人をあまり見かけない。国指定重要文化財の明治生命館と同じ設計者だと知れば改めて見直すのだろうか。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )