ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 






初音小路。台東区浅草2-7。上:2005(平成17)年7月16日、下2枚:2015(平成27)年12月25日

初音小路は西参道と花やしき通りの間にある飲み屋街。場外馬券売り場の横にあるので、競馬を楽しむ人がここで飲みながら過ごすらしい。平日の競馬を開催していない日はどんな具合なのだろう? 観光客は少ないというが、確かに吾妻橋の方からここに来るとすると、その間に見るべきものがいろいろあって、ここまでたどり着けないかもしれない。路地には藤棚がしつらえられていて、店も路地にテーブルと椅子を出す。花の咲く時期はその藤棚の下で飲むことができる。これはずいぶんといい気分になれると思う。
初音小路はひょうたん池を埋め立ててできた、という記述がネットではよく見かける。そういう認識でもいいように思うが、1951(昭和26)に池を埋め立てた跡地にできたのは、「浅草宝塚劇場」、「楽天地スポーツランド」(昭和27年)と「新世界」(昭和34年、娯楽の殿堂を謳った、現在はウインズ浅草)とその東の通りである。浅草寺が空襲で焼失した本堂(観音堂)の再建費用を捻出するための埋め立てで、土地を売却した金額で費用の半分をおぎなえたという。
初音小路は池の埋め立てに伴う整備の過程でできた。『地図物語-あの日の浅草』(武揚堂、2007年、1800)に、「西参道の開通は昭和30年2月」とあるから、初音小路も同じ頃の成立ではないだろうか。長屋風の建物は見たところRC造のように見える。
藤の木はひょうたん池の周囲にあった藤棚のものを移植したもの、という説もある。伝説のような気もするが、ひょうたん池をしのぶためにはあまり深く考察しないほうがよさそうだ。


初音小路。2015(平成27)年12月25日

1枚目写真の右の、3枚目写真の手前の駐車場は稲村劇場があった跡だ。昔は縁日や祭りには見世物小屋がたったそうで、稲村劇場は常設の見世物小屋。戦後まもなく出来て昭和50年頃まであったという。ネットでは『タナベ昭和館』の「宇和島 芝居・活動小屋幻景 8[最終回]」に解説と貴重な写真が載っている。『ぼくらは下町探検隊』(なぎら健壱著、ちくま文庫、2003年、780円)には、呼び込みの様子が記されている。残念ながら著者は中には入らなかったそうだ。

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