ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




左:セキヤ、台東区浅草1-25。右:ポップ・イン、浅草1-23。1988(昭和63)年5月1日

上の写真は2枚とも六区の南端辺りから左右の横町を撮ったもの。左写真の後ろのビルはROXビル。松竹の劇場や映画館があったところに1986年に新築オープンした。手前の低層の建物は1986年の地図ではセキヤ(業種不明)と伊勢屋(洋品)。戦前は「大東京」という映画館があったところで、建物疎開で取り壊され、戦後5軒の商店が建った。それらの建物は今も残っている。写真の2軒は今では、とんかつの「さぼてん」と中華そばの「日高屋」に替わっている。

右写真はにくまんとシューマイが有名な「セキネ(関根)」の建物の右側で、「ポップ・イン」という喫茶店。セキネは元々はパン屋だったという。写真では奥に「ゲームセンター/ナゴヤ」の看板が見える。1966年の住宅地図では手前から「セキネ菓子店、ラッキーボール/ナゴヤパチンコ、花月食堂」で、その頃から変わっていない。今は喫茶店が「PRONTO」、ナゴヤが「アミューズメントA」というゲームセンターだったのが最近「磯丸水産」という店に替わったようだ。



左:金玉堂。浅草1-40。1988(昭和63)年5月14日
右:ろばた焼き 荒磯。浅草1-41。1985(昭和60)年1月

金玉堂としたビルは昭和40年頃に建てられたものかと思うが、今も外観をきれいにして残っている。写真右の通りが「浅草公園通り」で、陶器の金玉堂の店舗は写真のビルの公園通りの向かい側にある。写真のビルは倉庫に使っていたのだろうか?
平成9年4月、公園通りの新仲見世から北の街路を緑の煉瓦敷きに替えてその部分を「公園通りグリーンロード」と改称した。公園通りの名称は戦前の「公園劇場」から来ているそうで、公園劇場は新国劇の沢田正二郎の公演でにぎわった。戦時中に建物疎開で取り壊されたという。グリーンロードの居酒屋「沢正」の看板には「浅草公園劇場跡」の字を入れていた(『浅草そぞろ歩き~公園通りと浅草グリーンロードの巻~』)。今、ストリートビューを見ると、同じ居酒屋だが「弥太郎」という店に替わっていた。

右写真は伝法院通りから六区へ向かう通りで、今は「浅草六区通り」の表札のある灯篭が置かれている。写真右手に「ロックフラワーロード」の表示がある街灯が写っている。『浅草そぞろ歩き~浅草六区通りの巻~』によれば、平成17年3月31日に名称を変更した。荒磯の建物は戦前築の洋風看板建築に見えるが、もちろん戦後のもの。現在は3階建てのビルに建て替わった。その両隣の建物は残っている。

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