ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




芸大赤レンガ1号館。台東区上野公園12。1987(昭和62)年4月4日

東京芸術大学音楽学部の構内にレンガ造りの建物が2棟残っている。小さいほうが赤レンガ1号館。『日本近代建築総覧』(1980年)では「現空家、前電話交換室(旧上野教育博物館書籍閲覧所書籍庫)」で、上野に創建された教育博物館の書籍閲覧所の書籍庫として1880(明治13)年に建てられ、その後芸大の電話交換室として使われていた建物である。教育博物館とは現在の国立科学博物館の前身で、1877(明治10)年の創立。芸大の前身である東京美術学校と、同音楽学部の前身である東京音楽学校は1887(明治20)年の設立で、前者は1889年、後者は1890年の開校なので、それに伴ってレンガ館は東京美術学校に移管されたのだと思う。当時は現在の音楽学部の敷地の半分以上が美術学校のものだった。
建物の改修の履歴やどう使われてきたかは『赤レンガ1号館改修工事 データサイト』というサイトの「建物の変遷」に詳しい。それによると、関東大震災で被災したのを修復するさいに、外壁をモルタル塗にした。1965(昭和40)年に付属図書館ができて書庫の役割を終え、電話交換所にした。1978(昭和53)年に管理棟ができると電話交換所はそちらに移転、建物は解体される危機に。そこで保存運動に乗り出したのが前野まさる氏をはじめとする教師や学生で、このときにモルタルの外壁をはがしてレンガの壁に戻っている。
設計者の林忠恕(ただひろ、1835-1893)については、『近代建築ガイドブック』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年)では「新国家の主要施設を造った代表的官僚技術者」、『建築探偵術入門』(東京建築探偵団著、文春文庫、1986年)では「工部省営繕組織の有能な技術者として数々の官庁建築の建設に携わった」としている。



芸大赤レンガ1号館正面。2011(平成23)年11月9日

レンガ壁の表面は傷だらけである。モルタル塗にする際、接着をよくするためにつけられたという。玄関の扉は、元は窓の鉄扉雨戸と同様のものだった。下の写真の建物右端に入り口がある。2号館とをつなぐ渡り廊下があった跡だ。1枚目の写真では側面の窓がふさがれているが、今は修復された。


芸大赤レンガ1号館裏面。2011(平成23)年11月9日

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