ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




松竹会館。中央区築地1-13。1985(昭和60)年9月8日(下も)

晴海通りの万年橋のたもとにあった映画館を入れた松竹の本社ビル。1956(昭和31)年の完成で、9月14日の落成らしい。それ以前は、昭和25年頃の火保図では、敷地の一角に「築地映画劇場」があり、他にはテニスコート、ガレージ、通り沿いに小さな飲食店が主の商店、といったまとまりのない場所だったようだ。それを松竹が買収して再開発したのだろうか。
1963(昭和38)年6月に6階に「松竹ボーリング場」ができた。その数年後だが、ぼくもボーリングを覚えてそこで遊んだ。
松竹会館の向かいの東劇にしても住所は築地だが、銀座から1歩出ただけなので、ここで映画を見るということは、一般には、銀座で映画を見るという感覚だったと思う。写真では「松竹セントラル、銀座松竹、松竹シネサロン」の3館が興行中。映画館が全盛だった頃の1970年の地図には「松竹セントラル、銀座松竹劇場、銀座東宝劇場、銀座名画座」で載っている。建物が取り壊される1999年では「松竹セントラル1、2、3」の名称だった。 『雫写真事務所>懐かしの写真館』というブログの1981年6月撮影の写真には「ロキシー」の名前が見える。
松竹セントラルは1156席の洋画のロードショー館だった。『Showa Style―再編・建築写真文庫』(彰国社、2009年、5,000円)の写真(原本は1956年発行の『建築写真文庫』)では「松竹セントラル劇場」の他に、「松竹中央劇場」の看板で、岸恵子が主演している『忘れえぬ慕情』がかかっている。『モザイク工房/ミスズアート>岡本太郎「青春」』に、岡本太郎が制作した「青春」というモザイクタイル壁画があったことが、アトリエでの制作中の写真とともに書かれている。



銀座松竹では『男はつらいよ―寅次郎恋愛塾』、シネサロンでは「クレージーキャッツから30年記念フェア」をやっている。ぼくは映画を熱心に観るほうではなかったし、洋画のほうを多く観たのだが、『ニッポン無責任時代』をここで(当時「銀座東宝」といっていたと思う)観た。ぼくのなかでは東宝の喜劇は二本立ての付録のようなものだったから、馬鹿にして観ていたのだが、けっこうおもしろくて「これは傑作ではないか」と再認識した。とはいっても、後のクレージーの映画は観に行っていないのだが。

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