ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




高畠家住宅。千代田区神田駿河台4-2。1985(昭和60)年7月7日

名倉病院(現・お茶の水NKビル)の裏にあるお屋敷。「高畠宅」として、平成15年6月に「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定された。『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁地域教育支援部管理課編集、2009年)によると、震災直後に伊勢丹の初代社長である小菅丹治の隠居処として建てられた。建物の特徴は、「屋根は入母屋造で、その下に下屋がまわっている。外壁は、簓子下見板張りと漆喰仕上げ」で、内部は「欄間の意匠や天井の細工、建築材料など、各所に細かい気配りをもって建設されている」としている。
とにかく、駿河台は高台であり、明治以降は高級住宅地として開発されたのかと、この家を見ると思い至る。当書も「保存状態もよく、建設当時の姿をよく残しているなど、大正末期の住宅として貴重」と述べている。
社名雑学>伊勢丹』というサイトによると、小菅丹治は12歳で湯島にあった「伊勢庄呉服店」に奉公に出たが、やがて得意先の旅籠町の米殻問屋「伊勢又」の主人の小菅又右衛門に見込まれ、婿養子に入る。養父の援助で独立し、「伊勢屋丹治呉服店」を創業する。1986(明治19)年11月のことで、場所は神田旅籠町(現・秋葉原駅前)。当初から伊勢丹と呼ばれていたらしいが、1907(明治40)年に「伊勢丹呉服店」と改称した。



1987(昭和62)年頃



川島家の門。神田駿河台4-4。1985(昭和60)年7月7日

写真左奥に高畠家が見えている。前の道路は幽霊坂。住居は取り壊されて駐車場になっている。ツタが絡まっているビルは丸中ビル(東海光機)、右端のビルはヘンミー第一ビル。表札は撮影時にメモしたが、「川島敏雄」と「神田区駿河臺四丁目四番地三」。
門を石垣で閉鎖しているが、実に念がいった造りで、石もすっかり古びて、もしかして戦前の造作だろうか。

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