ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




片野呉服店、ヤオタメ(八百為)。神奈川県小田原市南町3-2。1991(平成3)年8月22日

国道1号線を下ってきて箱根方面と分かれて東海道線に沿って南に直角に曲がるとことが早川口交差点で、その少し手前である。古い建物が2軒並んだ光景は今も健在だ。
片野呉服点は洋風の外観の看板建築で1925(大正14)年の建設という。写真左の店舗は片野屋洋品店。
ヤオタメは古い和風旅館のような造りだ。 HP を開設していて、それによると大正期からの青物中卸で、有限会社八百為商店は昭和28年の設立。



1991(平成3)年8月22日




近景。2010(平成22)年7月9日

ヤオタメの横丁の向かい、歩道橋の上り口に石碑が建った。1996年3月に小田原市によって設置された「人道鉄道・軽便鉄道小田原駅跡」である。線路は写真の横丁を奥、南へと行って早川の河口付近で向こう側へ渡った。この横丁は古くは御厩小路といい少し奥へ入ると、新しいものだがその道標がある。旧早川橋を渡ると熱海街道といったようだ。
豆相人道鉄道は1900(明治33)年にここ早川口から熱海まで全線開通になり、小田原電気鉄道線と連絡して客を熱海へ送り出すことができるようになった。1907(明治40)年には軌道を改修して蒸気機関車による軽便鉄道になる。現在、熱海駅前の広場に置かれている機関車がそれだ。国鉄(熱海線)の国府津―小田原間が開通した1920(大正9)年に軽便鉄道は国に売却される。熱海線が真鶴まで開通した1922(大正11)年には軽便鉄道は小田原―真鶴間を廃止した。熱海線の熱海駅開業は1925(大正14)年3月だが、軽便鉄道はその1年前に全線が廃止になっている。(ウィキペディア参照)

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