ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




日本医科大学看護専門学校。台東区上野桜木1-10。1988(昭和63)年8月5日

建物の前の通りは言問通り。写真左端にわずかに写っているビルは、撮影時の住宅地図では「老人病研究所/ワクチン療法研究施設」となっている。また、看護専門学校の向かいの谷中6丁目には「日本医科大学看護専門学校グラウンド」がある。
日本医科大学は根津神社の北、文京区千駄木に日本医科大学付属病院があるが大学もそこにある。日本医科大学の「沿革」には、「昭和51(1976)年5月、桜木校舎(台東区上野桜木)に老人研究所、ワクチン療法研究施設、看護専門学校等を設置」とある。丸山ワクチンはここで研究されていたのだろう。
日本医科大学が昭和51年に移ってきたとすると、それ以前はどうだったのだろ。戦前の地図では「東京薬事女子部」となっている。昭和33年発行の区分地図では「東京薬科女子」。東京薬科大学の「沿革」に、「1929(昭和 4年) 上野桜木町・旧校舎跡地に、上野女子薬学校を設立。 1931(昭和 6年)上野女子薬学校を東京薬学専門学校女子部と改称。」とあるから昭和4年建築の校舎なのかもしれない。
『都バス・東京旅情《東部編》』(林順信著、大正出版、昭和59年刊)に、言問通りを走るトロリーバスの写真に看護専門学校が写っている。昭和43年撮影だが、その写真のビルは、2階の窓の下と4階の窓の下にでっぱりの線が通っている。また各窓の下にもでっぱりがあり、けっこう古くみえるのだ。
現在は平成14年竣工の「ルネ上野桜木」という14階建て152戸の大型マンションが建った。地元ではかなりの建設反対運動があったようだ。



日本医科大学看護専門学校の玄関。1991(平成3)年9月23日(写真の日付は間違い)



アパート。上野桜木1-7。1990(平成2)年2月18日

写真手前の道路の角は護国院の前で、右に行くと寛永寺に突き当たる。アパートの左の日本家屋の後ろが看護専門学校らしい。アパートと手前の駐車場の敷地は住宅地図で「伊藤次郎松商店」となっている。現在はマンションに変わったようだ。

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