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ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




四軒長屋。墨田区京島2-10。2013(平成25)年4月11日

京成曳舟駅の近くの曳舟川通りから、南東方向へ、東武亀戸線の小村井駅の南の文化二丁目交差点までの通りを「曳舟たから通り」という。その裏通り的な通りが、たから通りの西にほぼ平行に通っている。その通りはゆるく左右にカーブしながら、たから通りの「キラキラ橘商店街」の入り口辺りで再び合わさる。昭和初期の地図には「都百四十三号吾嬬曳舟停車場線」とある。大正9年にそのように指定された府県道だ。江戸時代は田畑の灌漑用水路、昭和になって住宅や工場が建てこんでくると排水路に替わった川が道路に沿って流れていたのだろう。昭和初期の地図では京島2丁目のところでは通りの北側に川が書き込まれている。
写真の四軒長屋の前にはその川が流れていたと思われる。長屋の左の住宅は長屋の端の1軒が建て替わったものかもしれない。とすれば元は五軒長屋。店は「安食屋豆腐店」だけだが、『東京-昭和の記憶->京島二丁目』の1986・87年の写真を見ると食料品店のような店や「東軒」という中華料理店が写っている。



貝塚酒店。京島2-7。2013(平成25)年5月5日

安食屋豆腐店の四軒長屋の向かい側にある商店。昔の航空写真を見ると二軒長屋だったような感じで、右の家はその1軒を建て替えたか大幅に改装したものらしい。

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スナックNOBU、伊勢谷和菓子店。墨田区京島2-4。2016(平成28)年6月12日

四つ目通りの東武亀戸線の踏切りと京島二丁目交差点との中間あたり。モルタル塗りの看板建築の二軒長屋に「NOBU」というスナックと「伊勢屋」という和菓子店が営業している。両店とも1985年の住宅地図に出ているのでそこそこ長くやっている店だ。その地図に、写真左の空き地が「記念碑100」となっているのはなんだろう。


斉藤製作所。京島2-4
2016(平成28)年6月12日

1枚目写真の伊勢屋の右に写っている家。規格品以外のボルト・ナットを製作しているのだろう。建物がかなり傾いているのだが大丈夫だろうか。右の空き地は1985年の地図では「橋崎商店」。

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旧星野時計店。墨田区京島2-2。2010(平成22)年5月6日

四つ目通りの東武亀戸線の踏切りからすぐ東のところ。看板建築にした二軒長屋が2棟ならんでいる。いずれも商売は辞めてしもた屋になっていて、住居に改装されている。上写真右の棟の左の家は1985年の住宅地図で「星野時計店」。下の写真は同じ長屋を東から撮ったものだが、その写真で左の長屋の右の家が、1968年の地図で「みのや菓子店」。その地図では上写真右端の空き地は「王電書房」と「井口座卓店」となっている。


旧みのや菓子店。京島2-2。2010(平成22)年5月6日



民家。京島2-4。2016(平成28)年6月12日

2枚目写真の左の横町を入ると戦前築の住宅や長屋が今も点々と残っている。上の写真の正面の白い壁の家も戦前築の家を改装したのかもしれない。下写真の切妻屋根の妻側を路地に向けている建物は平屋の四軒長屋。その手前、空地を鉄板の塀で囲っているところにも同じ平屋の四軒長屋があったようだ。


平屋の四軒長屋。京島2-4。2013(平成25)年4月11日

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青木足袋店。墨田区京島2-1。2010(平成22)年5月6日

線路は東武亀戸線。四ツ目通りの踏切で、「亀第1号踏切道」という。線路の手前が押上3丁目、向こうが京島2丁目。線路際に「青木足袋店」がある。入母屋屋根の日本家屋の前面を看板建築の店舗にしたものだ。後ろに、線路に沿って二軒長屋が2棟並んでいる。
看板には「種田の足袋」とあって商店名かと思ってしまうが、商品名である。押上駅近くの磯貝商店が製造している鳶職の作業着を扱っているということらしい。また、足袋といっても地下足袋のようだ。
ネットに、この店で「股腹」を注文したという記事があった。ぼくは知らなかったのだが、お祭りで着る黒い腹掛けと股引きのことだった。江戸時代では大工・左官・鳶・植木屋がそれを着ていて、時代劇や小説の挿絵でお馴染みである。お祭りでその恰好をするのは、昔からの職人なんだという格好を作っているのではないかと思う。
1968年の住宅地図では、同じ建物の青木足袋店の左は「ひまわり書房」。古本屋だろうか。
今ストリートビューを見たら、5階建てのマンションに建て替わっていた。2016年2月に取り壊されて、2017年6月にそのマンションが完成したようだ。青木足袋店は明治通りの、橘通りバス停のところに移った。

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昭和通り南側の入り口。江戸川区南小岩8-26。2018(平成30)年1月14日

「昭和通り商店街」の南側は柴又街道(写真右手)との交差点から始まる。すぐ南には千葉街道とも交差しているが、なにぶん小岩駅からは離れているから、そこからの人の流れはない。写真のように入り口付近には飲食店が立ち並んでいるが、その先へ行くと商店街とは言いにくくなる。
角の店は「ビニタ」というインド料理の店。昭和通り側の隣の出桁造りの家も同じ店が使っている。内部はつながっているらしい。出桁造りの家は戦前築だと思うが、角の家も昭和22年の航空写真に写っている家と思えるので、やはり戦前に建ったものらしい。



ビニタ、さくら、わたでん。南小岩8-26。2018(平成30)年1月14日

出桁造りのビニタの南は看板建築風の家が並ぶ。居酒屋の「さくら」、家電と携帯電話の「わたでん」、鶏肉・焼き鳥の「鳥七」、中華料理の「萬石」。
「わたでん」は昭和3年の創業、小岩店は昭和23年に開店したという。この店は柴又街道側の、間口一杯にケータイを吊り下げて、タイル壁のようにしている異様な光景が有名である。

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篠田屋酒店。江戸川区南小岩8-4。2018(平成30)年1月14日

小岩駅南口から南西方向に柴又通りまで一直線に通っている「昭和通り商店街」は、その真ん中あたりで「小岩中央通り五番街」と交わる。その先は商店街という感じではなくなり、閉店してしまった店が多い。外灯も駅側とは違ってしまう。
ビルに替わっていないところは、上の写真のような具合で、古い家も看板建築風に造った戦後のものだ。中に戦前の建物かと思える酒屋があった。「篠田屋酒店」で、平屋に見えるが、後ろは二階建てになっているのかもしれない。

下の写真は柴又街道との交差点で、南側の昭和通り商店街の入り口。左角の家は戦後に建てたものらしいが、正面を看板建築のように造っている。店名は読めないが、横の字は「野菜/果物」なので八百屋だった家だ。


昭和通り南側の入り口。南小岩8-3。2018(平成30)年1月14日

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ABCファミリー衣料店。江戸川区南小岩7-29。2018(平成30)年1月14日

小岩駅南口から南西方向に千葉街道までまっすぐに通じている「昭和通り商店街」には格安の衣料品店が多いそうだ。ABCファミリーはその一つで、建物は平屋なので戦後すぐに建てられたバラックのようにも見えるが右の二階建て部分もあって、戦前築の建物なのかもしれない。
ABCファミリーの右は空き家になっているらしい看板建築風の店舗。その家の裏には、モルタル壁に「定食居酒屋さがの」と書かれているが、通りの表側は居酒屋だったようには見えない。



リシャール。南小岩7-29。2018(平成30)年1月14日

リシャールは「Gal’s Bar」と看板にあるが女の子向けの店ではなくギャルが接待する店らしい。建物は戦後に建てられたモルタル壁のアパート風のもの。裏から見るとまるで廃屋だが、今もその状態のままで使用しているようだ。夏は隣の家と共に蔦で覆われる。


リシャールの裏側。南小岩7-29。2005(平成17)年3月15日


マルキ屋寝具店。南小岩7-29
2018(平成30)年1月14日

リシャールの右(南)は空き地で、続いてふとんの「マルキ屋」とカメラの「もりかわ」の看板建築風の店舗、そして小さな看板建築風の空き店舗(2013年のストリートビューでは「越後屋」)、と戦後まもなく建てられたと思われる古い建物が並ぶ。


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What'z up?、ミヤザキ花店。江戸川区南小岩7-23。2005(平成17)年3月15日

JR総武線の小岩駅南口から「昭和通り商店街」に入って「小岩中央通り五番街」との交差点まで250mほどだが、その間の商店街の西側にある古い建物を紹介する。駅側入り口からすぐのマルイ漬物店は当ブログ前回で取り上げた。
次はマルイ漬物店から5・6軒南の並び。看板建築の二軒長屋で、「What’z up?」という古着屋の小岩店と「花の店 ミヤザキ」。ワッツアップは2000年頃の開店で、その前は袖看板がそのまま付いているように「ぜにや菓子店」。建物は戦後に建てたように見える。

下の写真はミヤザキ花店から横丁を2本通り過ぎたところにある二軒長屋。2軒とも空家ではないかと思う。裏の駐車場から建物の裏側を見ることができるが、2005年の写真から13年経った今では、どうみても廃屋である。


小岩ラジオ商会。小岩7-30。左:2018(平成30)年1月14日、右2005(平成17)年3月15日



オオタニ家庭金物店。小岩7-31。2005(平成17)年3月15日

随分と間口が広い店だが奥行きはそれほどでもない。正面の看板建築風の造りは戦後の改修のようだが、本体は昭和22年の航空写真に写っている建物かもしれない。

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ヤマグチ時計店、竿辰。江戸川区南小岩7-27。2005(平成17)年3月15日

JR総武線の小岩駅南口から南へ、千葉街道までの一直線の道路が「昭和通り商店街」。駅に近い方は「南小岩昭和通り商店街」で、千葉街道に近い方が「小岩昭和通り商店会」、と組織はふたつある。なぜか北にある方が「南小岩昭和通り」。
ヤマグチ時計店は駅から昭和通り商店街に入ってすぐのところにある古い三軒長屋。衣料品店(丸正傘店?)、ヤマグチ、釣具の竿辰が入っている。昔は五軒長屋くらいあったらしい。竿辰の二階の壁は銅板だかトタンを石積み風に見せたもので、あるいはオリジナルのファサードか? 竿辰は昭和16年開業の老舗。平成23年9月にすぐ近くだが昭和通りの裏手へ移った。


石渡文具店、マルイ漬物店
南小岩7-23。2005(平成17)年3月15日

ヤマグチ時計店の向かい側の二軒長屋。こちらは二軒とも石積み風の二階の壁が見られる。写真左奥の居酒屋「つるや」はストリートビューを見ると建物がなくなっていた。

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清砂通アパートメント15号館。江東区白河4-4。1991(平成3)年6月16日

清州橋通りの、大横川を渡す扇橋のすぐ西、元加賀小入口交差点を南へ入った元加賀公園の向かいにあった清砂通アパートメント。15号館の南に清州橋通りの裏通りに沿って16号館が建っていた。そのL字型の敷地は現在は「イーストコモンズ清澄白河パークフラッツ」(2005年2月築、9階建て84戸)というL字型平面のマンションが東京電力扇橋変電所を囲むように建っている。
『同潤会のアパーメントとその時代』(鹿島出版会、1998年、3,300円)によると、15・16館は6・9.10号館とともに第2期の工事になり、大正15年12月20日の起工、昭和2年12月14日の竣工である。その同時期に元加賀小学校と元加賀公園の建築も進められて、アパートより早く、小学校は昭和2年4月20日、公園は同年8月25日に竣工している。
15号館は敷地から少し後退して建てられている。一応コの字型平面だが南北の翼は短く、それをつぎ足すように増築がされている。


清砂通アパートメント15号館。白河4-4。1991(平成3)年6月16日




清砂通アパートメント16号館
白河4-4
1991(平成3)年6月16日

16号館は15号館と同じ設計という。清砂通アパートメント全16棟は個々に大きさや平面形がバラエティに富み、まったく同じ造りのものは8・9号館と15・16号館だけだ。

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