大橋むつおのブログ

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ映画評・51『くちづけ』

2016-10-03 05:58:30 | 映画評
タキさんの押しつけ映画評・51
『くちづけ』


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

これは悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に流している映画評ですが、もったいないので転載したものです。


いやぁ~ 参った〓

 バスタオルかティッシュが1ケースいります。劇場内、鼻をすする……なんてもんじゃない、嗚咽、オエツです! マジ泣きしてる人もいらっしゃいました。

 これ、芝居を見たかった、絶対芝居の方がもっとボロボロに泣けただろうなぁ…確実です。  
 映画をくさしているつもりはありません。監督は大嫌いな堤幸彦だけど、彼は今回“撮影監督”であって、本当の監督は 元の芝居を上演した“東京セレソンデラックス”主催、脚本、演出、出演の宅間孝行です。だから芝居のテイスト、ニュアンスは保持されていると考えられます。  

 知的障害者自立支援施設ひまわり荘を舞台に入所者と周りの人々の触れ合いが描かれる。そこで……とても悲しい事件が起こる。
 時に 事件の真相を知るにつけ、怒りや悲しみの前に涙があふれてしまう経験をする事がある。感慨、理解は後から……とにかく泣けてしまう。有るでしょ? そういう事って。
 宅間の脚本は障害者を必要以上に“ピュアな存在”として描いていない。舞台になる ひまわり荘はどこかファンタジアではあるが、障害者その者は社会的通念にてらして「困った人々」として描かれている。そして、この作品は誰も告発していない。障害者年金を使い込む親も、功利主義で排他的な社会(健常者)をも……ただ……ただ『どうしてなんだろうねぇ』と問いかけてくる。

 事件そのものは極めて残酷な現実の果てなのだけど、その事で泣くんじゃない、怒るんじゃない。  
 言うなれば これを見ている自分が『もしかしたら、もう少し 優しくなれるんじゃないだろうか』という希望に泣けてしまう、というのが近いだろうか。
 泣かせの芝居は作りやすい、しかし流される涙が浄化の涙になる事は少ない。人間の“泣く”という行為には、必ず何がしか“浄化”の意味があるのだけれど、洗い流してしまう程の涙は滅多にない。我が身に起こった現実ではなく、芝居なり本なりに触れた結果なら 尚更である。だから、この映画で流した涙は自分にとって特別な意味があるんだと感じられる。
 お薦めしたいけれど なんだか 自分のお気に入りの店は秘密にしておきたいのと同じ気持ちで そおっとしておきたい。
 
 今回、堤君は撮影監督に徹していて偉かった!

  脚本の宅間孝行って、どんな魂の奴なんだろうか、俄然「今会って話したい人間」No.1やなぁ。芝居から引き続き彼が演じた“うーやん”現実になんの前置きもなく“うーやん”が目の前に現れたら殴るやろなぁ……俺なんか大して優しく無いもんなぁ。貫地谷しほりの“マコちゃん”大変やったよね……でも……良かったよね、この役は本当に難しかったと思いますねぇ。貫地谷のあふれてしまう想いを内に押さえ込んだ演技は鬼神の域だと思います。それを受ける竹中直人/マコちゃんの父親・漫画家いっぽん先生……あなたと同じ選択が俺に出来るだろうか。竹中も同じく 叫び声を押し込めて演じている。すげえなぁ……俺なんか50年修行しても こんな芝居はできそうもないです、改めて御尊敬申し上げます。
 他の役者陣にも拍手です。ひまわり荘主人・小児科医 國村先生は平田満の為にある役です。その妻/麻生祐未、スタッフ/岡本麗、娘/橋本愛、うーやんの妹/田畑智子、みんな優しさあふれて本作の救いでした。殊に、橋本愛ちゃんは将来(現在だって)の大女優間違いなしです! 保証します。他の入所者、周囲の人々、一々ふれずにゴメンナサイ、みんな素敵でした。 キージー作、ジャック主演の あの映画を思い出しましたよ。  
 もし、見に行くなら… バスタオルかティッシュ一箱、お忘れなく……。
 チーフへ、「グッバイ マイラブ」 アン・ルイスでした。たまらん歌でした。


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