大橋むつおのブログ

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高校ライトノベル・タキさんの押しつけ書評・隆慶一郎“一夢庵風流記”

2017-01-22 06:18:10 | 映画評
タキさんの押しつけ書評
隆慶一郎“一夢庵風流記”




昨年の春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ

これは、悪友の映画評論家・滝川浩一が個人的に身内に流している書評ですが、もったいないので転載したものです。


新感線の五右衛門を見て、隆さんが読みたくなりました。

 本作は原哲っちゃんの“花の慶次”の原作であります。 一代の傾希者(すきもの)前田慶次郎を主人公にした伝奇物語、何遍読んでも 読み出したら止まりません。
 前田慶次郎っても殆どの方には馴染みがないかもしれませんが、もとの出自は滝川一益の一党、それが前田利家の兄の養子となり、本来なら前田家の家督相続人だったが、主君信長の指図で前田家家督は弟の利家に譲られた為、養父利久の死を持って前田家とは縁が切れる。まるで戦う為に生まれたような人で、数少ない記録からだけでも、その剛勇、想像にかたくない。
 以前、NHKの大河で及川ミッチーが演じとりましたが、全くのイメージギャップ、なんで? と思ったもんです。
 前田慶次郎は記録や残存する旅日記からみて、単なる野卑な武人ではなく、深く広い教養人であった事も間違いありません。

 “カブク”=“反権威”ですから相当の覚悟と腕前がなければかぶけるものではありません。織田信長にせよ秀吉にせよ一代の傾希者であった事は違いありませんが、その事よりも“天下人”としての評価が先に来て、その視点から見られる為、自由な一個の人間としての評価は二の次になります。その点 慶次郎は浪人を貫いた(最後は米沢藩上杉家の御家人になりますが)ので、個人としての生き様はさらに鮮烈に浮かび上がってきます。
 四代以降の徳川の時代、戦が無くなり、それでも中央集権/幕府の権威を保つ為、無理矢理持ち込んだ儒教による「主、主たらざれども 臣、臣たるべし」なんてな雁字搦めの存在ではなく(…こんな時代には“カブク”なんてな不可能)武士がもっと自由だった時代に生きた傑物のお話。
 恐らく日本人が世界最強の戦人だった時代(世界中の鉄砲の半数近くが日本に有ったと言われています) “唐入り”が秀吉の妄想(と決めつけるのは酷かもしれませんが)ではなく、信長が生きていたなら、もっと違う展開やったんでしょうね。少なくとも制海権を奪われるような無様は無かった筈です。  
 まぁ 繰り言です。武士がまだまだ自由であった時代においても、さらに突き抜けた存在だった男の物語です。“秩序”ってのは有り難いもんで、ルールに従っていさえすれば身の安全は一応保証されるんですが……そんな世界に息苦しさを覚える魂も……特別な存在じゃなく、誰の中にも少しはあると思います。そんな憂さを払ってくれるお話です。


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