泣いてもω(オメガ) 笑ってもΣ(シグマ)
コンビニに寄って、もどったら駐車場に車が無くって焦ってしまう。
こんなのもある。
ドライブしていたら、無免許で運転していることに気づいて、口から心臓が飛び出すくらいにドキドキする。それからは、通行人や自動車の咎めるような視線を感じる。
電車を乗り換えたら、ぜんぜん違う方向で目的地から遠ざかってしまう。焦っているうちに、どこへ行くんだったかも忘れてしまう。
そこで目が覚める。
そう、夢の話なんだ。
あ、俺じゃなくて、増田さんが見る夢だ。
「あの子の心は臆病な心でがんじがらめなんだ」
スペメン(全部載せうどん)を啜りながらノリスケが言う。
「いつぞやの電話でも言ってたよな」
「ああ、その臆病さから抜け出るために、アニメみたいな恋をしようと背伸びしている」
そうなんだ、図書館の本を拾ったきっかけで付き合いだした二人だけど、ノリスケは、そこを心配している。
増田さんは、ノリスケに恋をしているんじゃなくて、アニメのような恋に恋しているのだ。
それが分かっていて断らないのがノリスケだ。
「断ったらさ、恋に恋することも止めてしまうだろ」
ノリスケは付き合っている間に色々経験させてやって、できたら本当の彼ができるまで面倒を見てやる気でいる。
だから、俺と小菊には写真を撮らせている。むろん増田さんも了解している。臆病なくせに写真はOKというのも変なんだけど、臆病の裏返しで、好ましいと思った者への傾斜は並の女子よりもきつい。
しかし、あの気難しい小菊の懐に飛び込み、入学以来友だちでいてくれている。これは並の人間に出来る技じゃねえ。あの子の本性はヤンデレに染まりかけた天使なんじゃないかと思ってしまう。
でも、特にアドバイスめいたことはやらない。時間はかかるが、増田さん自身が気づくように誘導している。
「あ、この表情イイね!」「この姿勢はステキだなあ!」
そんな風に言ってやるのは、増田さんの作らない笑顔とか明るさが写ってるとこだ。むろん彼女が誉めて欲しいところでも褒めてやる。
すると――こういうのもいいんだ――と気づいて自信が生まれる。そういう遠まわしがいいと、若いヒギンズ教授は思って、ピカリング大佐も付き合っているわけだ。
「でもなあ、けっきょくお前に気に入られようとしているという点では進歩ないんじゃないか」
痛いところを突かれたようで、ヒギンズは曖昧な笑顔で目をそらせた。
俺も「進歩が無い」とまでは言えるが、どうしたらいいかが言えないので、腕を組んで同じように食堂の窓を見上げた。
やつとは何度かこういう話をしているが、同じ景色を見るのは――今日はここまで――の企まないサインでもある。
窓の向こうは本館で、本館二階の廊下を歩いている風信子と目が合った。
そっち行く!
口の形で告げるとセミロングなびかせながら階段を駆け下りてくる。
なんだか、保育所時代のお転婆だったころの印象そのままなので、可笑しくなる。
「階段一段飛ばしで下りてきただろ」
予想より数秒速い到着に、冷やかし半分で言ってやる。
「ううん、最後の四段は飛び降りちゃった!」
「そりゃ、さぞかし嬉しい話なんだろな」
「あのね、増田さん、茶道部に入れちゃったよ!」
「「え?」」
「あの子の世界広げてあげたかったんでしょ、あんたたちのタクラミぐらい分かってるって!」
あの子が部活に入るなんて、最初から選択肢に無かった。実質帰宅部の俺たちが言っても説得力あるわけないし、そもそも部活に向く子でもない。サブカル研は活動の中身を考えると勧めるわけにもいかないしな。
「奥多摩に一緒に行ったのがよかったかもね、じゃ、さっそく放課後の部活の用意してくるわ」
「でもさ、茶道部って他に二人部員がいたろ、風信子はともかく、大丈夫なのか?」
増田さんは並外れた人見知りだ。
「大丈夫、三日前に二人辞めて、わたし一人だから、アハハハ」
風信子にも苦労はあるようだ……。
☆彡 主な登場人物
- 妻鹿雄一 (オメガ) 高校三年
- 百地美子 (シグマ) 高校二年
- 妻鹿小菊 高校一年 オメガの妹
- 妻鹿幸一 祖父
- 妻鹿由紀夫 父
- 鈴木典亮 (ノリスケ) 高校三年 雄一の数少ない友だち
- 風信子 高校三年 幼なじみの神社(神楽坂鈿女神社)の娘
- 柊木小松(ひいらぎこまつ) 大学生 オメガの一歳上の従姉 松ねえ
- ミリー・ニノミヤ シグマの祖母
- ヨッチャン(田島芳子) 雄一の担任
- 木田さん 二年の時のクラスメート(副委員長)
- 増田汐(しほ) 小菊のクラスメート