ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ポリーニ のモーツァルト:ピアノ協奏曲第17番、第21番

2006-09-24 | CDの試聴記
昨日は、午後から会社の後輩が出演するオーケストラの定期演奏会を聴きにいってへ、そのあと、今期初めての野球観戦に東京ドームへ行ってきました。
コンサートでは、私の後輩はチェロを弾いていたのですが、表情が真剣そのもの。(本番のステージですから当たり前ですよね・・・(笑))
普段仕事で見なれた顔とはまったく違った表情を見せてもらいました。
演奏も、一本筋の通った熱い演奏で感動させてくれました。

その後の東京ドームでは、祝日ということもあり超満員。

     

結果も私の贔屓のチームが快勝してくれて、最高のゲームでした。
まだ終戦とは言わしませんぞ。(何と往生際が悪い・・・)
とくに、大怪我・大手術を克服してがんばっている濱中選手がホームランを打ったシーンでは、彼の勝負強さを改めて感じるとともに、どん底の時代から、文字通り血の滲むような苦労をしてリハビリに取り組んできた彼の姿を想像すると、思わず目頭が熱くなりました。
やはり、球場で試合を見るのは最高ですね。
あの一体感というか、今起こっていることを全員で共有している感覚、もっというと一期一会の感覚はライブでしか味わうことができません。

このことは、音楽もまったく同様ではないでしょうか。
最近、私がつとめてコンサートやオペラに行く回数を増やしているのは、その一期一会の感覚を味わいためでもあります。
ときには信じられないようなミスもあるし、息をすることも憚られるような静寂の中で突然聴こえる聴衆の咳もあります。
一方で、終演後、言葉をかわすのももったいないような凄い名演に出会うこともあります。
これら全てがライブなんですね。

今日採りあげたディスクも、そんなライブコンサートを収録した1枚です。

     

<曲目>
モーツァルト作曲
■ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
■ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
<演奏>
■マウリツィオ・ポリーニ(ピアノ、指揮)
■ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
<録音>2005年5月 ウィーン、ムジークフェラインザール[ライヴ]

このカップリング、実にいいと思いませんか。
30曲近いモーツァルトのピアノ協奏曲の中でも、とりわけオペラ風の雰囲気を漂わせた2曲だと思います。
とくに17番なんかは、全てのフレーズがオペラに出てきそう・・・。

私の大好きな、アシュケナージが弾き振りしたフィルハーモニア管弦楽団とのディスクもこの組み合わせでした。
アシュケナージのピアノは必ずしも好きということではないのですが、このコンチェルトの演奏は素晴らしかった。
アシュケナージは、この演奏のとき、かなり細かめにオーケストラにイメージを指示したのではないでしょうか。オケの演奏スタイルが、アシュケナージのピアノにとてもよく似た印象を受けるからなんです。

今回のポリーニはどうでしょうか。
私はむしろポリーニがウィーンフィルにあわせているように感じます。
いや、ちょっと表現がよくないですね。
モーツァルトを知り尽くしたウィーンフィルを信頼してともに語り合っている、そんな印象です。

相変わらずポリーニのピアノは冴えています。
しかし、透明感はあっても冷たい感じはしません。
ウィーンフィルのメンバーたちと一緒に音楽を楽しんでいる姿が、目の前に浮かびます。
ウィーンフィルのサウンドが、いつも以上にしなやかで生気にとんでいることがその証しではないでしょうか。
第17番の第3楽章冒頭を聴くだけで、「あー、ウィーンフィルのモーツァルト」と感じさせてくれます。具体的にいうと、フレーズの終わりの表情が何ともいえずチャーミングなんです。何でもないようにみえて、絶対他のオーケストラでは聴けないあの表現。
そんな素敵なウィーンフィルに触発されてでしょうか、ポリーニのピアノもいつになく柔らかい。
ポリーニのものと思われるつぶやき・鼻唄が聴こえてくるのも、「あのポリーニが」と考えると、なんとなく微笑ましい気がしました。

はっきりいって、一見サプライズの少ない演奏ですから、つまらないとか、ひらめきに乏しいとか、ポリーニは衰えたというご意見もあるようです。
しかし、子供のように純真にモーツァルトと戯れているこの演奏、私はとても素敵だと思います。
また、ライブだからこそ、これだけ自然に語り合えているのではないでしょうか。
私の大切な1枚になりそうです。
コメント (12)
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