ETUDE

~美味しいお酒、香り高い珈琲、そして何よりも素敵な音楽。
これが、私(romani)の三種の神器です。~

ドレスデン国立歌劇場 R・シュトラウス:歌劇『サロメ』

2007-11-25 | オペラの感想
いろいろ考えさせられるサロメでした。
たとえが悪いかもしれませんが、もしこの公演をCDとして聴いたら、「ドレスデンのサロメ」として記憶に残る演奏だったと思います。
歌手は総じて良かったし、なんと言ってもルイージ率いるドレスデン・シュターツカペレの素晴らしさに関しては、もう最高!



<日時>2007年11月24日(土)5:30PM
<会場>東京文化会館
<出演>
■サロメ:カミッラ・ニールンド
■ヘロデ:ヴォルフガング・シュミット
■ヘロディアス:ガブリエレ・シュナウト
■ヨカナーン:アラン・タイトス
<演奏他>
■指 揮:ファビオ・ルイジ
■管弦楽:ドレスデン・シュターツカペレ
■演 出:ペーター・ムスバッハ

まず主役のカミッラ・ニールンド。
昨年のベルリンフィルのジルベスターコンサートでも、凛とした元帥夫人を見事に演じていましたが、この日は、「妖艶でわがままな姫」ではなく、ひたすら「世間知らずで純粋。だからこそ思い込んだら一直線に突っ走ってしまう令嬢」というイメージのサロメを演じてくれました。
声がリリカルでヒステリックに叫ばない「新しいサロメ」像の誕生かもしれません。
ただ、もう少し声量があれば・・・。
しかし、亡くなったヨカナーンに向かって、(独善的かもしれないけれど)サロメが深い愛情を持って語りかける場面は、ほんと素晴らしかったなぁ。
とくに「愛の神秘は、死の神秘より遥かに大きい」という言葉は、凄みがありました。
タイトスのヨカナーンは、ルックスが「預言者」のイメージに少しそぐわない感じもしましたが、歌は立派。ストレートに言い寄るサロメを寄せ付けない毅然とした強さを感じました。
ヘロデ王のシュミット、ヘロディアスのシュナウトも、それぞれ芸達者で十分な存在感を示していました。
(余談ですが、ヘロデ王がラスト近くで舞台に倒れるシーンで、シュミットの額から血が流れていましたが、これも演技?熱演ゆえのアクシデントのように感じましたので、そうだとしたら大丈夫でしょうか?)

そして、この日何よりも素晴らしかったのは、ドレスデン・シュターツカペレ。
終始サロメに対して優しい眼差しで見守っているような演奏が、とくに印象に残りました。
ヨカナーンを最初にサロメが見たシーンから、「口付けを・・・」とサロメが切望するまでの、微妙に変化する色彩表現の巧みさ。
さらに、ナラボートが自刃した後、オーケストラだけが音楽を奏でる場面では、どんな台詞よりも雄弁だった。
そして、「7つのヴェールの踊り」以降の緊張と陶酔が交錯する音楽造りは、まさにこのオペラを知り尽くした伝統の技。ルイージのセンスのよさも光っていました。



さて、私が冒頭「考えさせられた」といったのは、演出のことです。
舞台は「大きな口」を表している(談:ムスバッハ)ようですが、舞台前面に向かって後方から相当の傾斜がついています。つまり舞台前面がまさに崖っぷちで、登場人物のすべてが「崖っぷちに立たされている」という設定です。
そして、ヘリからはプールに下りるかのような梯子がついており、最初からヨカナーンが座っています。そこから下は墓場だそうです。
この設定はなかなか面白い。

しかし、私は今回の上演を見ている間中、「なぜ?」「なぜ?」「違うでしょ!」と思い続けていました。
まず、なぜヨカナーンが最初から舞台に登場しているんだろう。
それによって、サロメがヨカナーンの1mくらいの至近距離から、「ヨカナーンはどこ?彼に会わせて!」と切望するシーンは、滑稽以外の何ものでもない。
また、ナラボートが「ヨカナーンを連れて来い。」と命ずる場面でも、ヨカナーンは自らヘリから立ち上がって、すたすら歩いていくことになる。
このような歌詞・台詞と演出のギャップに、最後まで、ずっと私のフラストレーションは溜まりっぱなしでした。

そして何よりも違和感を感じたのは、ひとつのクライマックスであるはずの「7つのヴェールの踊り」。
前述のとおり、ヨカナーンも舞台にいるわけですから、主役4人が舞台にいることになります。
サロメはヨカナーンに見せつけるために、ヘロデ王を誘惑するというのが一本の軸。一方、ヘロディアスは実娘サロメに嫉妬し、ヘロデ王を女として取り合うというのがもう一本の軸。
ここで、サロメはほとんど踊りません。
代わりにヘロディアスが、ほんの少しだけ踊ります。そして、サロメがヘロデ王の服の一部を脱がせていきます。
この踊りが終わった後、「よくやった・・・」と上気してヘロデ王が語りますが、ヘロデ王は「何でも願いを叶えてあげる。だからサロメよ、踊ってくれ!」と懇願していたわけです。それだけの価値のある踊りだから、そのように言ったはず。今回の倒錯した演出では、まったくそのあたりの辻褄が合わない。

ムスバッハが言いたいことはわかります。
演出家として表現したかったこともわかります。
しかし、オペラには歌手がいて、音楽があって、歌詞があります。
「歌詞をともなった歌を聴きながら、舞台では歌詞の内容と異なる演技がなされている」というのは、私にはまったく理解できません。
残念ながら、私は策に溺れた演出のように感じました。



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2 コメント

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Unknown (yokochan)
2007-11-27 23:24:47
こんばんは。先般はお世話になりました。
やはり、26日の最終日は行きませんでした。
romaniさんの記事を拝見して、押し止まったのも事実です(笑)
ムスバッハは、ベルリンのモーゼとアロンを観ましたが、黒ずくめのマトリクス・モーゼでしたが、音楽がアレでしたからまだOKでした。
同じ聖書の世界でも、これだけ物語を歪めちゃうと考え物ですね。
ドレスデンのような伝統ある劇場でも、この風潮は止めようがないんですね・・・。
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>yokochanさま (romani)
2007-11-28 01:05:24
こんばんは。

先日は私のほうこそ、大変お世話になりました。
「サロメ」の感想を、あのとき先走ってお話してしまったことを、少々悔いております。
公式HPでは、かなり好評だと書いてあったので、余計に申し訳ないことをしたと反省しております。

ただ、常にポジティブに演奏を聴くタイプだと自負している私ですが、あの演出は最後まで違和感を持ちっぱなしでした。
もう少し、台本に忠実な「サロメ」をみたいと強く思っています。

>ムスバッハは、ベルリンのモーゼとアロンを観ましたが・・・
あっ、モーゼとアロンも確かに彼の演出でしたね。
ただ、yokochanさまが仰るとおり、多少デフォルメした方がいい作品とそうでない作品があると思うのですが、「サロメ」は、やっぱり後者だと改めて感じた次第です。

また、このあたりのお話も、今度じっくりさせてください。

ありがとうございました。
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