遅めの夏休みも今日で終わり。
この1週間は、久しぶりにゆっくりした時間を過ごすことができました。
ふと外を見ると、にわかに雷の音とともに雨がぽつりぽつり。
さて、休み中に聴いた数多くのアルバムの中で、何を採りあげようか迷いました。クレンペラーのウィーンフィルボックスに収録されていた「運命」が凄い名演だったのでそれにしようかと考えていたところ、何気なく久しぶりに取り出したフリッチャイがあまりに素晴らしかったので、とりあえずフリッチャイの「運命」にしました。
クレンペラー&ウィーンフィルの「運命」は後日書くことにします。
<曲目>
ベートーベン
■交響曲第5番「運命」(1961年9月録音)
■交響曲第7番(1960年10月録音)
<演奏>
フリッチャイ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
冒頭の運命の動機からして、なんと言う遅さ。
半端な遅さではありません。しかも、その歩みは、あたかも大地に根をはやしたかのような確固たるものなのです。
この第1楽章、たしかにテンポだけとればアレグロ・コン・ブリオではないかもしれません。しかし、テンポそのものは遅いけど、音楽が推進していくエネルギーは本当に巨大で、コン・ブリオの精神は見事に具体化されているのではないでしょうか。フリッチャイが聴かせるこの雄渾さ・壮大さは、きら星のごとくならぶこの曲の他の名演と比べても稀有のものだと思います。
第2楽章以降も基本的に全く同じ印象ですが、フレーズはごつごつ切らないで力強く長めに歌われます。
フィナーレ直前は、ティンパニーに一瞬リタルダンドをかけさせて、全軍でフィナーレに突入します。この豪快なこと!まさに圧倒的です。管楽器の上手さ、ブラスの輝かしさ、弦楽器とくに低音楽器のうなりをあげて襲い掛かるような力感、それに加えて要所で楔をうちこむティンパニの存在感など、ベルリンフィルも最高の演奏でフリッチャイに応えています。
聴き終えた後、誰もが「凄い音楽をきいた」と感じるのではないでしょうか。
ちなみに、この演奏はフリッチャイ47歳の時の録音です。
フリッチャイは、この2年前と3年前に受けた大手術を克服して再び活動を始めたばかりでしたが、この「運命」のレコーディングのあと12月には再び病状が悪化したため指揮活動を断念しなければなりませんでした。
そして、翌62年には手術を受け一時回復の兆しをみせたものの、1963年2月にガンのため亡くなりました。享年48歳でした。
もし存命であれば、今年91歳ということになりますが、年輪を重ねるほどに音楽が深くなるのが指揮者の常ですから、本当に早世が惜しまれます。
ところで、フリッチャイといえば、1940年代後半にザルツブルクで見事な成功をおさめたあと世界的な指揮者になっていくわけですが、病魔に冒され大手術を余儀なくされた1958年前後で音楽のスタイルが激変しています。よく言われることですが、それまではどちらかというとスタイリッシュなスタイルだったものが、手術後はこの「運命」のように、「テンポは遅くかつスケールはきわめて大きく」といういわば晩年のフルトベングラーのスタイルに近くなっていますね。
確かにジャケットの風貌もフルトベングラーに似てきたような気が・・・。
この1週間は、久しぶりにゆっくりした時間を過ごすことができました。
ふと外を見ると、にわかに雷の音とともに雨がぽつりぽつり。
さて、休み中に聴いた数多くのアルバムの中で、何を採りあげようか迷いました。クレンペラーのウィーンフィルボックスに収録されていた「運命」が凄い名演だったのでそれにしようかと考えていたところ、何気なく久しぶりに取り出したフリッチャイがあまりに素晴らしかったので、とりあえずフリッチャイの「運命」にしました。
クレンペラー&ウィーンフィルの「運命」は後日書くことにします。
<曲目>
ベートーベン
■交響曲第5番「運命」(1961年9月録音)
■交響曲第7番(1960年10月録音)
<演奏>
フリッチャイ指揮
ベルリンフィルハーモニー管弦楽団
冒頭の運命の動機からして、なんと言う遅さ。
半端な遅さではありません。しかも、その歩みは、あたかも大地に根をはやしたかのような確固たるものなのです。
この第1楽章、たしかにテンポだけとればアレグロ・コン・ブリオではないかもしれません。しかし、テンポそのものは遅いけど、音楽が推進していくエネルギーは本当に巨大で、コン・ブリオの精神は見事に具体化されているのではないでしょうか。フリッチャイが聴かせるこの雄渾さ・壮大さは、きら星のごとくならぶこの曲の他の名演と比べても稀有のものだと思います。
第2楽章以降も基本的に全く同じ印象ですが、フレーズはごつごつ切らないで力強く長めに歌われます。
フィナーレ直前は、ティンパニーに一瞬リタルダンドをかけさせて、全軍でフィナーレに突入します。この豪快なこと!まさに圧倒的です。管楽器の上手さ、ブラスの輝かしさ、弦楽器とくに低音楽器のうなりをあげて襲い掛かるような力感、それに加えて要所で楔をうちこむティンパニの存在感など、ベルリンフィルも最高の演奏でフリッチャイに応えています。
聴き終えた後、誰もが「凄い音楽をきいた」と感じるのではないでしょうか。
ちなみに、この演奏はフリッチャイ47歳の時の録音です。
フリッチャイは、この2年前と3年前に受けた大手術を克服して再び活動を始めたばかりでしたが、この「運命」のレコーディングのあと12月には再び病状が悪化したため指揮活動を断念しなければなりませんでした。
そして、翌62年には手術を受け一時回復の兆しをみせたものの、1963年2月にガンのため亡くなりました。享年48歳でした。
もし存命であれば、今年91歳ということになりますが、年輪を重ねるほどに音楽が深くなるのが指揮者の常ですから、本当に早世が惜しまれます。
ところで、フリッチャイといえば、1940年代後半にザルツブルクで見事な成功をおさめたあと世界的な指揮者になっていくわけですが、病魔に冒され大手術を余儀なくされた1958年前後で音楽のスタイルが激変しています。よく言われることですが、それまではどちらかというとスタイリッシュなスタイルだったものが、手術後はこの「運命」のように、「テンポは遅くかつスケールはきわめて大きく」といういわば晩年のフルトベングラーのスタイルに近くなっていますね。
確かにジャケットの風貌もフルトベングラーに似てきたような気が・・・。
古い記事、しかも7番についてですがTBさせて頂きました。
とは言え、音質的な条件も含めて、完璧そのものと言えるセッションが複数遺されたのは、本当に幸運であったと思います。
ベートーヴェンの交響曲然り、チャイコフスキーの「悲愴」然り…。
私にとって、ベートーヴェンの「第9」は、何を差し措いてもまずフリッチャイです。
フリッチャイ、ケンペ、ケルテス、すぐれた指揮者が若くしてなくなるのは残念ですね。
PS:3馬身ですね。
この演奏を聴くとフリッチャイは大手術後なんですね、フルトヴェングラーに似てきたような重みと空気が聞こえてきます。もう少し長生きしてくれれば良かったですね。彼のベートーヴェンの第九も好きです。
>一度でも来日してくれたら、フリッチャイの棒でN響でベートーヴェンを聴いてみたかったものです
全く同感です。一度でいいから聴きたかったですね。でも大手術後のフリッチャイは、ひょっとして自分の死期を悟っていたのではないでしょうか。決して力むことなく音楽そのものの大きさを表現することに成功しているからです。
ありがとうございます。
>音質的な条件も含めて、完璧そのものと言えるセッションが複数遺されたのは、本当に幸運であった
そうですね。そう考えないといけないかも知れません。「悲愴」もバルトークのピアノ協奏曲も大変な名演奏・名録音ですものね。
ありがとうございます。
おっしゃるとおり、素敵な指揮者たちが、いずれも若くして神様に召されてしまっています。でも、採りあげられている3名のマエストロは、音楽が活き活きしているという点で共通しているかもしれませんね。
P.S
ようやく3馬身です。15日は最後のドーム観戦の予定です。
ありがとうございます。
彼の晩年のベートーベンは、その底知れないスケールの大きさで抜きん出ていますよね。私も彼の第九、大好きです。
ありがとうございます。
ご紹介されているGreat Conductorsシリーズのフリッチャイ、素晴らしい選曲でした。
この中の「英雄」もDG盤と異なる魅力を持っていると感じました。今後とも宜しくお願い致します。