ウィーンは、やはり街中がモーツァルト一色。
街のいたるところに「MOZART」の文字が踊り、各種のイベントが開催されていました。
メモリアルイヤーには、大きく「生誕○○年」と「没後○○年」の2通りありますが、モーツァルトの場合は、やっぱりお誕生日を皆でお祝いするという意味で、生誕記念のメモリアルイヤーのほうがよりふさわしいですね。
フィガロハウスとして長年親しまれていた建物も、今年のメモリアルイヤーに合わせて「モーツァルトハウス・ウィーン」として立派に建て替えられたそうです。
この場所でモーツァルトは1784年から1787年までの4年間を過ごしました。
入口でチケットを購入すると、オーディオガイド用の小さな機械を手渡されて4階から見学するように指示されます。
2階ではモーツァルトが住んでいた住居そのものを見ることができました。
この場所で「フィガロの結婚」が作曲されたんですねぇ。
一階上の3階には初演時のフィガロのプログラムも展示されていました。
今から200年前の時代に思いをはせると、やはり感慨もひとしおです。
そして、モーツァルトハウスを見学したその日の午後に、リッカルド・ムーティが指揮する素晴らしいフィガロを聴けたわけですから、何か繫がっていたような気がしてなりません。
<モーツァルトハウスの入口>↓
美術館にも足を運びました。
美術史博物館は、10年前も一応行くには行ったのですが、閉館間際だったので落ち着いて見れませんでした。
今回は、団体客もいなくて本当にゆっくり見て回ることができました。
ルーベンスやブリューゲルをはじめ、これだけの名作を間近でみることができるなんて、日本では考えられませんよね。
時間がゆったりと流れていくのを感じました。
また、レオポルド美術館では、クリムトも素晴らしかったけど、私は夭折の画家、エゴン・シーレに強く惹かれました。彼の絵はどこか屈折している。そして、もの哀しい。
「死」「母」「町の風景」といったテーマが多かったように思いますが、死の年1918年の作品では、なぜかゴーギャン風の作風に・・・。
どの作品も、訴えかけてくる力、オーラを強く感じました。
絵画をじっくり観たのは本当に何年ぶりだろう。
さきほども書きましたが、時間がゆったりと流れていくなかで、心が不思議に落ち着きました。
市民公園も端から端までのんびりと歩きましたが、天気に恵まれていたこともあり、春ののどかな雰囲気を思う存分楽しむことが出来ました。
観光客の多くは、ヨハン・シュトラウス像の前では記念写真を撮ったりしていましたが、ほかの作曲家たちにはあまり関心がないのかなあ。ほとんど素通り状態。
ブルックナーの像をみたときに、「この作曲家もウィーンの人に愛されているんだなぁ」とあらためて感じ、妙に嬉しい気持ちになりました。
今回のウィーン旅行は、すべての面で恵まれていました。
私たちが到着する前日までは、当地の天気も悪くとても寒かったとの由。
それが、ウィーンに滞在している間中、気候は温暖でずっと雨にも会わずに済みました。
おかげで、持参した冬用のコートやマフラーは、「お守り」だけが仕事で他にはまったく出番なし・・・。
そして、やや値段も少々高かったですが、宿泊したホテルもオペラ座のすぐ近くという大変便利な場所にあり、快適な生活を送ることができました。
テーマのひとつだったカフェ巡りもできたし、素晴らしい絵画にも出会えました。
あまり名所めぐりを欲張らなかったので、ウィーンの空気のようなものをじっくり味わうことができたと思います。
そして何よりも、ウィーンフィルの定期演奏会をムジークフェラインで聴けたこと、オペラ座でムーティの素晴らしいフィガロを観ることができたこと、この体験は生涯忘れることはないでしょう。
モーツァルト生誕250年の記念すべき年に、こんな素晴らしい経験ができて、本当に幸せでした。
まだ、いろいろ書きたいことはあるのですが、いったん今回の記事でウィーン旅行記の最終回にさせていただきます。
熱い気持ちがどうしても先にたってしまったので、読み返してみると恥ずかしいような表現もありますが、お許しください。
お付き合いいただいた読者の方に感謝します。
街のいたるところに「MOZART」の文字が踊り、各種のイベントが開催されていました。
メモリアルイヤーには、大きく「生誕○○年」と「没後○○年」の2通りありますが、モーツァルトの場合は、やっぱりお誕生日を皆でお祝いするという意味で、生誕記念のメモリアルイヤーのほうがよりふさわしいですね。
フィガロハウスとして長年親しまれていた建物も、今年のメモリアルイヤーに合わせて「モーツァルトハウス・ウィーン」として立派に建て替えられたそうです。
この場所でモーツァルトは1784年から1787年までの4年間を過ごしました。
入口でチケットを購入すると、オーディオガイド用の小さな機械を手渡されて4階から見学するように指示されます。
2階ではモーツァルトが住んでいた住居そのものを見ることができました。
この場所で「フィガロの結婚」が作曲されたんですねぇ。
一階上の3階には初演時のフィガロのプログラムも展示されていました。
今から200年前の時代に思いをはせると、やはり感慨もひとしおです。
そして、モーツァルトハウスを見学したその日の午後に、リッカルド・ムーティが指揮する素晴らしいフィガロを聴けたわけですから、何か繫がっていたような気がしてなりません。
<モーツァルトハウスの入口>↓
美術館にも足を運びました。
美術史博物館は、10年前も一応行くには行ったのですが、閉館間際だったので落ち着いて見れませんでした。
今回は、団体客もいなくて本当にゆっくり見て回ることができました。
ルーベンスやブリューゲルをはじめ、これだけの名作を間近でみることができるなんて、日本では考えられませんよね。
時間がゆったりと流れていくのを感じました。
また、レオポルド美術館では、クリムトも素晴らしかったけど、私は夭折の画家、エゴン・シーレに強く惹かれました。彼の絵はどこか屈折している。そして、もの哀しい。
「死」「母」「町の風景」といったテーマが多かったように思いますが、死の年1918年の作品では、なぜかゴーギャン風の作風に・・・。
どの作品も、訴えかけてくる力、オーラを強く感じました。
絵画をじっくり観たのは本当に何年ぶりだろう。
さきほども書きましたが、時間がゆったりと流れていくなかで、心が不思議に落ち着きました。
市民公園も端から端までのんびりと歩きましたが、天気に恵まれていたこともあり、春ののどかな雰囲気を思う存分楽しむことが出来ました。
観光客の多くは、ヨハン・シュトラウス像の前では記念写真を撮ったりしていましたが、ほかの作曲家たちにはあまり関心がないのかなあ。ほとんど素通り状態。
ブルックナーの像をみたときに、「この作曲家もウィーンの人に愛されているんだなぁ」とあらためて感じ、妙に嬉しい気持ちになりました。
今回のウィーン旅行は、すべての面で恵まれていました。
私たちが到着する前日までは、当地の天気も悪くとても寒かったとの由。
それが、ウィーンに滞在している間中、気候は温暖でずっと雨にも会わずに済みました。
おかげで、持参した冬用のコートやマフラーは、「お守り」だけが仕事で他にはまったく出番なし・・・。
そして、やや値段も少々高かったですが、宿泊したホテルもオペラ座のすぐ近くという大変便利な場所にあり、快適な生活を送ることができました。
テーマのひとつだったカフェ巡りもできたし、素晴らしい絵画にも出会えました。
あまり名所めぐりを欲張らなかったので、ウィーンの空気のようなものをじっくり味わうことができたと思います。
そして何よりも、ウィーンフィルの定期演奏会をムジークフェラインで聴けたこと、オペラ座でムーティの素晴らしいフィガロを観ることができたこと、この体験は生涯忘れることはないでしょう。
モーツァルト生誕250年の記念すべき年に、こんな素晴らしい経験ができて、本当に幸せでした。
まだ、いろいろ書きたいことはあるのですが、いったん今回の記事でウィーン旅行記の最終回にさせていただきます。
熱い気持ちがどうしても先にたってしまったので、読み返してみると恥ずかしいような表現もありますが、お許しください。
お付き合いいただいた読者の方に感謝します。
私はウィーンに住み始めて1年経ちますが、
まだまだ新しい発見と感動の多い魅力的な街
です。
時間を無駄にしないよう、romaniさんを見習
ってウィーンの空気を肌で感じる事を忘れず
生活したいと思っています。
気候ですが、本当に恵まれましたね!
あと1週間遅かったら最高気温6度で、ブー
ツにダウンコートを着ても震え上がる寒さ&
降り続く雨の日々でしたよ!
やはりお祝いですね。
これからもお体に気をつけてお仕事頑張って
下さい。
引き続きブログ、楽しみに読ませて頂きます♪
それがソフトとしてまた観光資源になっているのが憎いです。
思えば旅行の直前、Zauber-tonさまに「ウィーンフィルの定期も立見であれば、まだ大丈夫だと思います」という言葉に、随分勇気付けられました。
それ以外にも貴重な情報をいただき本当にありがとうございました。
天候のこと、びっくりしております。
やっぱり悪運が強かったのかなぁ(笑)
Zauber-tonさまが、ウィーン留学でさらに飛躍されますように・・・。
ウィーン発の新鮮な情報満載のブログ、これからも大いに楽しみにしております。
ありがとうございました。
ご無沙汰しております。
含蓄のあるコメント、ありがとうございました。
>ザルツブルクとはまた違うハプスブルクの文化が継承されているのでしょう。
まさにそう思います。
ウィーンに行って何より感じたことは、町の人々がみんな音楽や美術といった文化・芸術を心から楽しんでいるということでした。
決して堅苦しく考えずに、プロもアマも演奏する側も聴く側も、みんなからだ全体で楽しんでいるように感じました。
とても羨ましく思いましたし、多少なりとも私の音楽観が変わったような気がします。
やっぱり、何ごともアクティブにいかないといけないんでしょうね。
この旅が、romaniさんにどういう糧となられたか、こちらにお邪魔するのがますます楽しみになりました。一層期待しております!
早速ありがとうございます。
やはり今読み返すと、恥ずかしい限りです。
でも、音楽って「とにかく音が好きだ。それが楽しくってしかたがない」ということだと、あらためて実感しました。
今後は、一層アクティブに音楽に接していきたいと思います。
引き続きよろしくお願いします。
ウィーン旅行記を楽しく、拝見させて頂きました。私にはどれも全て未知の世界のようなお話で、拝見しているだけで夢のよう。羨ましいなんで状況を、遥かに越えてます。
演奏会にも行けない私が、海外に行くなんて絶対無理。でも一度は経験したい、そんな思いですね。素敵でした。
KiKi も20年ぐらい前に1度、ウィーンとザルツブルグを訪れたことがあるのですが、当時はお金もなかったのでオペラやら演奏会にまで足をのばすことができませんでした。 その街に行けただけで満足♪ そんな感じ。 カフェには行きましたけれどね(笑)。 それすらも当時の KiKi には贅沢でした。 この旅行記を拝見しながら久しぶりにもう1度あの街を訪れたい気持ちが膨らんできました。 素敵なエントリー、本当にありがとうございました。
こちらこそ、ご無沙汰しております。
コメントをいただきありがとうございました。
記事の中でも少し触れたのですが、今回のウィーン行きは最初洒落で「250周年、25周年、行けたらいいなあ」だったのが、ぱたぱたと本当に決まり、それも最高のタイミングで行くことができました。
実際行ってみて、やはり素晴らしく魅力的な街でした。
10年前に一緒にザルツブルク・ウィーンへ行った人が、その後も毎年ウィーンに行かれているのですが、その気持ちが良く分かるようになりました。
何回もいけるものではないと思いますが、みー太様も、もし機会があれば是非行ってください。
最後までおつきあいいただいて、本当にありがとうございました。
なにか興奮して書いてしまったので、お恥ずかしい限りですが、本当に素晴らしい経験をさせていただきました。
次はkikiさんの番ですよ。
早くその日が来ますように・・・。