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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

田んぼが一挙に10枚ほど消えた。

2016-05-24 16:19:54 | よしなしごと
 私がよく自分の住まいの身辺雑記を書くと、あなたの住まいは街なかなのか田舎なのかわからないといわれる。
 それは致し方ないことで、昔ながらの田園風景を随所に残しながら、反面、都市化が進むというマダラ地帯に属しているからである。
 ちなみに、私がここに住むようになった半世紀前には、私の家の周囲100メートルは田んぼばかりで建造物は全く無かった。
 コンクリートのU字溝ではなかった小川には小魚たちが群れ、時としてキジの親子が道を横切ることもあった。

           
        ドラッグストアの建設現場 これで7~8枚の田んぼが消えた

 どうしてここに住むに至ったかというと、私の父の家業は材木商で、その製材所なども町中にあったため、いずれはここへその所在を移すべく、一反=300坪=約990㎡の田んぼを購入して埋め立て、そこを材木置場にしたことに始まる。
 それは実現したのだが、すでに述べたように周囲100メートルに人家はなく、夜中にトラックで材木類をもちだされてもチェックのしようがない。
 そこで、留守番方々そこに住んでくれと父に頼まれ、その一角に居を構えたのがこの地に住んだ発端。しかし、ときあたかも高度成長期、あれよあれよというまに近辺の田んぼは埋め立てられ、アパートや人家が建て込むようになり、ここでも騒音を出す製材機を使っての材木商は不可能になったしまった。

           
              昨年まで耕作していたが売りに出された

 そこで、またまたさらに郊外に父の材木商は移転した結果、私にとってはここに材木商が来たら出てゆく臨時の住まいだったはずが、そのまま終の棲家になってしまった。しかし、とどまるところを知らぬと思われた開発も、経済の減速などで一旦はその勢いがとどまり、いまのマダラ模様が残った次第。
 当初ほどの自然はなくなったものの、そうした環境にそれなりに満足していたのだが、今年になって急激な変化を迎えている。

 それは、私のうちからバス通りを挟んだ向かい側に、大手のドラッグストアが建つことになり、その店舗と周辺の駐車場を含め、一挙に私の家から見える田んぼが7~8枚減少してしまうことになったのだ。
 それと連動してか、その近辺の田んぼも売地になったり、実際に売れたりで、冒頭に書いたように都合10枚ほどの田んぼが一挙になくなることになった。

 ドラッグストアによる周辺の状況や交通事情の変化も気になるが、それと関係があるかどうか、私の家に隣接する休耕田が売られたことのほうが気になる。そちらの側にはキッチンの窓や風呂場、トイレなどがある。何ができるかはいまのところ不明だが、建つものによってはそれらの窓はやばいことになる。
 これまでのように臭気抜きのためにトイレの窓を開けておくことはできないし、湯船に浸かりながら月を眺めたりもできなくなる。裸同然で台所に立つこともできなくなる。

              
    手前が売れた土地 その向こうは耕作する 道を挟んで向こうは売りに出された
              

 ただひとつの慰めは、その向う側にある私が長年ウオッチングを重ねてきた田んぼが残ることだ。昨日、田起こしが行われ、今年も耕作をすることが明らかになった。
 ただし、売れてしまったその手前の土地に、何かが建ってしまえば、その田んぼも見えなくなる。

 土地の売買やその活用は市場原理にそって行われるものだから、その是非をとやかくいおうとは思わない。ただし、それによってこちらの生活が何がしか影響を受けるのは必至だから、今後はそのウオッチングということになろうか。

 とはいえ、周辺の緑の空間が減り、野鳥や蝶や蜻蛉を見る機会が減るのは淋しい。
 そういえば、この前郊外に出て、久々にヒバリの鳴き声を聞いた。この辺りでは麦の栽培もしないから、もうこの先もヒバリの鳴き声を耳にすることもないかもしれない。
 あの小ぜわしいけどどこかのどかなヒバリの声を。




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