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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

倒壊の懸念と眼前の緑

2016-05-19 15:14:11 | よしなしごと
 50年ほど前、田んぼを埋め立てた上に建てた二階家に住んでいる。
 当時は耐震基準などというものはほとんどなく、その後も何らの対策も施していないから、その面では無防備といえる。

 私は二階に住んでいることもあって、表通りをバスが通っただけでけっこう揺れる。多少の地震があっても、バスか大型トラックが通ったのかと紛らわしく、よくはわからない。
 このぶんでは、今回の熊本クラスの地震があったとしたらまっさきに倒壊するだろうと思う。

           

 しかし、一方では、このよく揺れるのは振動に対する耐性をも示しているのではないかとも思う。そう思う根拠は、木造ではあるがわりとしっかりした材木を使って、当時の一流の棟梁が手がけているからである。
 おかげで、築五〇年にもかかわらず、引き戸やドア、窓など立て付けが悪かったり、ひずみが出ている箇所は全くない。

 
                

 とはいえ、その耐性を上回る揺れがなかったのみで、例えば、いわれている東南海地震や、明治にこの地方を襲った濃尾大震災クラスのものが来たらやはり耐えられないだろう。
 しかし、いまさらジタバタしてもという居直りのようなものもあって、ここが終の棲家なら、その下敷きになって最期を迎えるのも致し方なかろうと思っている。

 この間の地震報道をバックにか、リフォームや耐震補強の勧誘電話が増えているが、みんな断っている。

 
                

 そんな具合だが、この家なりのかけがえのない財産のようなものがある。それが二階の私の部屋の眼前にある緑の木立である。
 この時期、緑が一番美しい。市街地化に合わせて数はうんと減ったが、時折、野鳥も遊びにやってくる。

 市街地化といえば、今年は一挙に周辺の環境が変わって、わが家から見渡せる田んぼが埋め立てなどで一〇枚ほど減ってしまった。
 これは淋しい限りだが、持ち主や買い主のそれぞれの思惑があるから致し方ないのだろう。これについてはまた詳報を述べたい。

 こうして周りから自然の気配が消える中、眼前の緑は私の宝ともいえる。

 
 写真 いちばん上のものはほとんど私が窓越しに見ている風景
    左手にはマサキとその下方にツツジ
     マサキはやがて白い可憐な花を付けるだろう
    中央付近はムクゲ 季語では秋だそうだが6月末には花を付ける
    右手のものはクワ 実が色づき始めた 実が黒くなったら収穫


 








 

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