歳を重ねると、なんかのきっかけでフトあるフレーズが頭に浮かび、それがフラッシュバックのように過去のあるときを照射し、さらにその延長上にとっくに忘れていたはずの情景が連続して思い起こされることがある。
などと一般化してはいけないのかもしれない。私だけの出来事かもしれないからだ。
この間も、体が不調でベッドに倒れ込むように寝た時、「倒れちゃならない」という言葉がリフレインして響き、目醒めたときに、それが戦後流行った「異国の丘」という歌の一節であることを思い出したことを書いた。
さらにその想起は、シベリアへとられたとおぼしき亡父の帰還を待ちわびる亡母と私の光景、内職に疲れた母の肩を叩きながら、その歌をともに歌った小学生時代の思い出に及んだのだった。
昨夜、風呂に浸かりながら、いきなりこんな言葉を思い出した。
「お門跡様のお庭のお池のお蓮のお葉のお上に、お蛙のお子がお三匹おとまりあそばして、おゲロ、おゲロ、おゲロ」
これはたぶん、高校の演劇部時代に、敬語と早口言葉の双方を練習するために使った文句だったと思う。
その関連でこんな言葉も思い出した。これは台詞を高唱するときの練習の文句だった。
「嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが悲しみは嵐の中に
嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが苦しみは嵐の中に
嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが喜びは嵐の中に」
これを、台風が来るという強風のなか、校庭で目一杯叫んだりした思い出がある。私も人並に青春していたのであった。
さらに連想は続く。
60年代はじめ学生運動の盛んなころ、私たちは、「民族」や「祖国」を歌った歌詞を避け、デモの際など歌った歌に「たたかいの中に」がある。
それはこんな歌詞だった。
「たたかいの中に 嵐の中に
若者のたましいは 鍛えられる
たたかいの中に 嵐の中に
若者の心は 美しくなって行く
吹けよ北風吹雪
その中を僕らはかけて行こう
くちびるに微笑みをもって
僕らはかけて行こう
明日は必ず 僕ら若者に
勝利の歌が歌えるように
行こうみんな 行こう
明日は必ず 僕ら若者に
勝利の歌が歌えるように
行こうみんな 行こう」
この作詞者、高橋正夫は1952年のメーデー事件で、警察官に拳銃で撃たれて死亡した人で、そのメモをもとに作られた歌だとのこと。作曲者はクラシックから合唱曲、映画音楽などその作品を数えきれないほど残した林光。
https://www.youtube.com/watch?v=CQXZ5N7L8DA
しかしやがて、党派間で殺伐とした殺し合いが起こるなか、歌いながらデモをするという習慣は廃れた。
最近のSEALDsなどのデモでは、ラップ調のものが主体だが、唱和できないものもある。
例えば、「民主主義って何だ?」というフレーズ。
これには、「われわれは民主主義を望み、そのルールに従っているのに、あなたたち(=自公政権)はどうなんですか」という非難の響きがある。
これは必ずしも間違いではないだろう。しかし、いわゆる戦後民主主義いわれてきたものの延長上に今日があるとしたら、民主主義をそのようにお題目にしてしまっていいのだろうかとツイ考えてしまう。
だからといって私は、民主主義を衆愚政治だとして排斥しようとは思わない。ただし、その民主主義が、今日みられるように、一握りの人たちの寡頭制ともいえる状況を生み出してきたことも冷徹な事実として受けとめなければならないと思う。
だとしたら、「民主主義って何だ?」という問いは、相手に対してではなく、まさに私自身に突きつけられた問いとして受け止めるべきだろう。
脱線に継ぐ脱線で、なんかとんでもないところへ来てしまった。
ついでにおまけの大脱線をしよう。
「民主主義の超克」を正面に掲げ、それをワイマール体制という「民主主義的」状況下で成し遂げてしまったのがヒトラーであった。
反面教師としてであれなんであれ、それを学び直す必要があると考えている。自分ではほとんどそれと気づいていないが、ヒトラー的な思考にとらわれてゆく土壌は充分にあるのだ。あえていうならばその可能性は、安倍首相の鼻の下にヒトラーなみの髭を書き加えて嘲笑している人たちの中にすらある。
彼らは、その政権に選挙などで負けると、「衆愚」を呪う言葉を吐き散らしたりする。
ハンナ・アーレントの最初の夫だったギュンター・アンダースの著書「われらはみな、アイヒマンの息子」に習っていうならば、「われらみな、ヒトラーの息子」でもあるのだ。
昨秋から、ヒトラーの『わが闘争』を読んでいる。
などと一般化してはいけないのかもしれない。私だけの出来事かもしれないからだ。
この間も、体が不調でベッドに倒れ込むように寝た時、「倒れちゃならない」という言葉がリフレインして響き、目醒めたときに、それが戦後流行った「異国の丘」という歌の一節であることを思い出したことを書いた。
さらにその想起は、シベリアへとられたとおぼしき亡父の帰還を待ちわびる亡母と私の光景、内職に疲れた母の肩を叩きながら、その歌をともに歌った小学生時代の思い出に及んだのだった。
昨夜、風呂に浸かりながら、いきなりこんな言葉を思い出した。
「お門跡様のお庭のお池のお蓮のお葉のお上に、お蛙のお子がお三匹おとまりあそばして、おゲロ、おゲロ、おゲロ」
これはたぶん、高校の演劇部時代に、敬語と早口言葉の双方を練習するために使った文句だったと思う。
その関連でこんな言葉も思い出した。これは台詞を高唱するときの練習の文句だった。
「嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが悲しみは嵐の中に
嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが苦しみは嵐の中に
嵐よ吹け、嵐よ吹け、わが面を洗え、わが喜びは嵐の中に」
これを、台風が来るという強風のなか、校庭で目一杯叫んだりした思い出がある。私も人並に青春していたのであった。
さらに連想は続く。
60年代はじめ学生運動の盛んなころ、私たちは、「民族」や「祖国」を歌った歌詞を避け、デモの際など歌った歌に「たたかいの中に」がある。
それはこんな歌詞だった。
「たたかいの中に 嵐の中に
若者のたましいは 鍛えられる
たたかいの中に 嵐の中に
若者の心は 美しくなって行く
吹けよ北風吹雪
その中を僕らはかけて行こう
くちびるに微笑みをもって
僕らはかけて行こう
明日は必ず 僕ら若者に
勝利の歌が歌えるように
行こうみんな 行こう
明日は必ず 僕ら若者に
勝利の歌が歌えるように
行こうみんな 行こう」
この作詞者、高橋正夫は1952年のメーデー事件で、警察官に拳銃で撃たれて死亡した人で、そのメモをもとに作られた歌だとのこと。作曲者はクラシックから合唱曲、映画音楽などその作品を数えきれないほど残した林光。
https://www.youtube.com/watch?v=CQXZ5N7L8DA
しかしやがて、党派間で殺伐とした殺し合いが起こるなか、歌いながらデモをするという習慣は廃れた。
最近のSEALDsなどのデモでは、ラップ調のものが主体だが、唱和できないものもある。
例えば、「民主主義って何だ?」というフレーズ。
これには、「われわれは民主主義を望み、そのルールに従っているのに、あなたたち(=自公政権)はどうなんですか」という非難の響きがある。
これは必ずしも間違いではないだろう。しかし、いわゆる戦後民主主義いわれてきたものの延長上に今日があるとしたら、民主主義をそのようにお題目にしてしまっていいのだろうかとツイ考えてしまう。
だからといって私は、民主主義を衆愚政治だとして排斥しようとは思わない。ただし、その民主主義が、今日みられるように、一握りの人たちの寡頭制ともいえる状況を生み出してきたことも冷徹な事実として受けとめなければならないと思う。
だとしたら、「民主主義って何だ?」という問いは、相手に対してではなく、まさに私自身に突きつけられた問いとして受け止めるべきだろう。
脱線に継ぐ脱線で、なんかとんでもないところへ来てしまった。
ついでにおまけの大脱線をしよう。
「民主主義の超克」を正面に掲げ、それをワイマール体制という「民主主義的」状況下で成し遂げてしまったのがヒトラーであった。
反面教師としてであれなんであれ、それを学び直す必要があると考えている。自分ではほとんどそれと気づいていないが、ヒトラー的な思考にとらわれてゆく土壌は充分にあるのだ。あえていうならばその可能性は、安倍首相の鼻の下にヒトラーなみの髭を書き加えて嘲笑している人たちの中にすらある。
彼らは、その政権に選挙などで負けると、「衆愚」を呪う言葉を吐き散らしたりする。
ハンナ・アーレントの最初の夫だったギュンター・アンダースの著書「われらはみな、アイヒマンの息子」に習っていうならば、「われらみな、ヒトラーの息子」でもあるのだ。
昨秋から、ヒトラーの『わが闘争』を読んでいる。