田舎住まいで40坪(って古いなぁ)の敷地があり、家屋の他に多少の空き地があるところに住んでいます。
ここに住んで数十年、人にもらったり、山などでとってきたりした植物を配置して、植物群で家の周りを囲ってきました。ですから、庭というようなものではありません。もちろん、プロの庭師などのお世話になったこともありません。ときどき、「お宅は面白い木々がありますから手入れをさせて下さい」という飛び込みの売り込みがありますが、「いえ、そんなたいした空間ではありませんから」と、丁重にお断りしています。
ですから、知らない間に枯れてしまった木も、また知らない間にどこからか来て生えてきた木もあります。少しかっこよくいえば、「去るものは追わず、来るものは拒まず」です。
そんな私のうちに、2本のツツジがあります。一本は赤い花を付け、一本は白い花を付けます。これらの木は10mほど離れていて、赤は赤、白は白とちゃんと棲み分けていました。
異変に気づいたのは7年ほど前です。白一色だったツツジの方に赤い花が二、三輪ほど咲いたのです。もう、樹齢は30年以上ですから、この突然の変容には驚きました。一番上の写真が2007年前の4月26日のものです。
そしてそれ以後、赤が次第に勢力を増しつつあるのです。そして今では、一枝全部が赤くなり、さらに離れたところに赤い花が咲いたり、一見、白と思われる花に赤い斑が入るようにもなりました。
そして今年は、ついにこの混合を象徴するような花が現れました。
花の縦に半分が赤と白に分割された花が現れたのです。写真にマルを付けた花がそうです。
一年生の草花ならば花粉による交配などでこうした現象が現れることは理解できます。しかし、れっきとした樹木で、しかも樹齢30年を経てこんな現象が現れるなんてその仕組みはさっぱりわかりません。何らかの形で潜勢力として閉じ込められていたものが現勢したのでしょうか。
ようするに年々、赤が勢力を増しているのです。この段でゆくと、そのうちにこの木は全体が赤い花で覆われることになるかもしれません。
しかし、そのスピードはさして早くはありません。2007年に二、三輪ほど見かけてから、7年、いまは全体の10%未満です。おそらくその赤化が進行し、この木をすべて赤く染める頃、私はこの世にいないでしょう。
そして私の子孫たちは、「うちには赤いツツジの木が二本あってねぇ」と語ることでしょう。
最後の写真は、遊びに来たミツバチ君です。
ミツバチ君の減少も気になっています。かつては、この花が咲きそろう頃には、うるさいほどミツバチやアシナガバチなどが集まってきたからです。
小動物ほど環境の変化には敏感です。
彼らは確かに減少しています。
蟻も蜘蛛も蝿も蚯蚓も螻蛄も飛蝗も蝗も団子虫や天道虫も蜻蛉も蜉蝣も・・・・。
ここに住んで数十年、人にもらったり、山などでとってきたりした植物を配置して、植物群で家の周りを囲ってきました。ですから、庭というようなものではありません。もちろん、プロの庭師などのお世話になったこともありません。ときどき、「お宅は面白い木々がありますから手入れをさせて下さい」という飛び込みの売り込みがありますが、「いえ、そんなたいした空間ではありませんから」と、丁重にお断りしています。
ですから、知らない間に枯れてしまった木も、また知らない間にどこからか来て生えてきた木もあります。少しかっこよくいえば、「去るものは追わず、来るものは拒まず」です。
そんな私のうちに、2本のツツジがあります。一本は赤い花を付け、一本は白い花を付けます。これらの木は10mほど離れていて、赤は赤、白は白とちゃんと棲み分けていました。
異変に気づいたのは7年ほど前です。白一色だったツツジの方に赤い花が二、三輪ほど咲いたのです。もう、樹齢は30年以上ですから、この突然の変容には驚きました。一番上の写真が2007年前の4月26日のものです。
そしてそれ以後、赤が次第に勢力を増しつつあるのです。そして今では、一枝全部が赤くなり、さらに離れたところに赤い花が咲いたり、一見、白と思われる花に赤い斑が入るようにもなりました。
そして今年は、ついにこの混合を象徴するような花が現れました。
花の縦に半分が赤と白に分割された花が現れたのです。写真にマルを付けた花がそうです。
一年生の草花ならば花粉による交配などでこうした現象が現れることは理解できます。しかし、れっきとした樹木で、しかも樹齢30年を経てこんな現象が現れるなんてその仕組みはさっぱりわかりません。何らかの形で潜勢力として閉じ込められていたものが現勢したのでしょうか。
ようするに年々、赤が勢力を増しているのです。この段でゆくと、そのうちにこの木は全体が赤い花で覆われることになるかもしれません。
しかし、そのスピードはさして早くはありません。2007年に二、三輪ほど見かけてから、7年、いまは全体の10%未満です。おそらくその赤化が進行し、この木をすべて赤く染める頃、私はこの世にいないでしょう。
そして私の子孫たちは、「うちには赤いツツジの木が二本あってねぇ」と語ることでしょう。
最後の写真は、遊びに来たミツバチ君です。
ミツバチ君の減少も気になっています。かつては、この花が咲きそろう頃には、うるさいほどミツバチやアシナガバチなどが集まってきたからです。
小動物ほど環境の変化には敏感です。
彼らは確かに減少しています。
蟻も蜘蛛も蝿も蚯蚓も螻蛄も飛蝗も蝗も団子虫や天道虫も蜻蛉も蜉蝣も・・・・。
白いツツジが赤くなる。昔なら、悪い友達に感化されて、危険思想に染まってしまい~~などと親が嘆いたかもしれませんね。今では、男女両性具有が、もてはやされていますから、そういう方面のコメントも聞かれそうですね。
所で、最後の漢字尽くしは、読みのテストのようで面白いですね。さあ、全問正解なるか?
さんこさんの仰る両性具有が近いかもしれません。
最後の漢字づくし、私も全部知っていたわけではありませんよ。変換機能という便利なものを使って羅列してみたまでです。偶然ですが、さんこ様のお住まいの地名と同じものがありますね。語源的にも共通点があるのかなぁと考えながら載せました。
私が昼飲みの隠れ家として時々訪ねる小さなカフェで、ちょうどツツジの話題となりました。そこで働く女性が住む尾張の山間部は、いまツツジの盛り。彼女の言うには、ツツジは放っておいてもどんどん種類が増えていく。自然の変化なのか、独自の交配力なのか、とにかく繁殖力がすごい、たくましいと。
六文さんのお庭では赤が勢力を増しているのですね。赤の方が肉食なのでしょうか。花言葉を調べたら、白は「初恋」、赤は「恋の喜び」でした。どうも赤の方が上手ですね。
そうすると、うちの白いツツジは、「初恋」を成就させて、「恋の喜び」の段階に至ったのでしょうか。
そう見てゆくと、この変化も物語があって面白そうですね。
さて、来年はどうなることでしょう。
XXならX、XYでもX、YYの時だけYが発現するという、このYを「劣性遺伝子」と習い覚えましたが、花が白いという性質そのものが「劣って」いるかのような誤解をうむ表現なので。「潜性遺伝子」という呼び名もあるらしい。私はこっちの方がずっといいと思います。
高校生の頃も、私はなかなか表に出ないYの方に肩入れしておりました。赤紫色の花は旺盛で図々しく傍若無人で、白い花は慎ましやかでうつくしいものに思われました。
六文錢さんの庭なるツツジは、全て赤紫に覆われたかに見えても、あるときにYYの純白の花が一輪だけ、奇跡のように開くかも知れませんね。それはどんなに綺麗だろうかと想像しています。
でもなおかつ、なぜ多年生の樹木の花でそうしたことが起きるのかはよくわかりません。メンデルの場合は、一年生のもののF1→F2→F3・・・・といった世代の変遷にともなう変化でしたね。
そこでちょっとお触れになっている「潜性」という言葉に関連して、「潜勢」という言葉で考えています。
これは哲学の歴史ではアリストテレスなどが言い出した概念で、ものごとの現れ=現象は、潜勢力がある契機をもって現勢するという考え方です。
ハイデガーはそれを借用して、その存在論的差異、つまり「存在」と「存在者=存在するもの」との差異を、「存在」のもっている潜勢力が「存在者」として現象するのだと説明している箇所があったと思います。
「存在」は多様で移ろいゆくものを潜勢として秘め、それを現勢化してゆく運動としてあるということでしょうか。
そうしてみると、わが家のツツジもなかなか哲学しているというべきでしょうね。