六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

晩春と初夏 奥美濃と飛騨南部

2012-05-11 03:11:49 | 花便り&花をめぐって
 先般訪れた地区の写真です。

最初は國田家の芝桜。

     







山中峠の水芭蕉

   

   

荘川桜など

   



荘川の里 そしてその付近にて

 

      










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はしごの日々と新しい床屋さんとの遭遇

2012-05-08 23:43:42 | よしなしごと
  写真は本文に関係なくたまたま同じ日に撮したもの。

 4月中はややうつ気味でほとんど外出しなかった。
 その反動か5月はいささか躁に近い。
 外出は良くするし、おまけにいろいろはしごをする。
 昨日(7日)は映画2本とコンサート。
 
 映画はジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ兄弟監督の『少年と自転車』。
 この監督のものは『ロゼッタ』以来、『ある子供』『息子のまなざし』と追いかけてきたがはずれはなかった。彼らの作品にはストーリー展開に媚びない独特のリアリズムがあるように思う。そして、それが結果としてありきたりではないドラマを生む。

       
                  ハルジオンの原っぱ

 もう一本は豊田利晃の『モンスターズクラブ』。
 この監督の『空中庭園』、とくに最後のキョンキョンの大絶叫がお気に入りだったが、その後彼はヤクでパクられてしまった。
 しばらくの自粛後、2、3本を撮っているが、いずれも評価が激しく分かれている。
 私の中でも分かれている。だからコメントは控える。
 ただし、冒頭、現代批判のようなものを主人公のモノローグとしてかなり長い時間聞かせるが、そしてまたそれが注意力をもって聞かねばならない内容なのだが、これってありかなぁとしばし考えこんでしまう。

 夜は、森下幸路(V)と小林五月のデュオ・リサイタル。
 メインはブラームスのソナタ第一番「雨の歌」。
 シューマンの「アダージョとアレグロ変イ長調」が聴けたのが良かった。
 いい演奏会なのに、連休明けのせいか、観客が少なかったのが惜しまれる。

    
       この絢爛豪華な花は? 葉っぱからするとダリアのようだが

 さて、今日(8日)もはしごをした。
 映画やコンサートではない。
 外科、内科、そして床屋のはしごである。
 病院の話は陰気になるからよそう。

 で、床屋であるが、ここ10年ぐらい行きつけていた床屋が突然閉鎖してしまった。
 仕方なしにまったく違うところに入った。
 開店間もない、綺麗な床屋さんだが、なんかちょっと変わった雰囲気を感じた。職人さんはひとりで、先客がひとりいたのでそれが終わるのを待っていたのだが、やはりなんだか感じが違う。

 しばらくして気づいたのだが、音がないのだ。
 前に行っていたところのようにバックグランドの音楽もない。そればかりか、職人さんと客の対話もない。
 ただ、作業をする音と、時折職人さんが客に何かを促す声(?)がかすかに聞こえる程度なのだ。

       
                 もう、梅の実がこんなに

 そこに至ってやっと気づいた。
 この職人さんは聾唖者なのだ。
 小学生の頃、自宅近くに聾学校があってそこの子たちとよく遊んだことはあったが、そうした人に身近で接するのは久しぶりだ。

 私の番になった。
 短くしてほしいというと、バリカンを差し出して「ん?」と尋ねる。それを使用してもいいかの確認だ。「どうぞ」と答える。
 体の向きを変えたりする場合など、優しく手を添えて促すので何不自由なく意思が伝わる。

 仕事は丁寧だ。散髪前に洗髪をするのでオヤと思ったが、散髪後にちゃんと本番の洗髪をしてくれる。
 カミソリ使いも丁寧だ。

 実は、私は床屋があまり好きではなく、約70年間の間、臨時の飛び込みは除いて数件の床屋さんしか知らない。
 嫌いな理由は、体をいじくりまわされるのが苦手なのと、不本意な会話を強制されるのが嫌だからである。
 とりわけ、メディアの受け売りの偏った情報に相槌を求められるのは全くもって困りものなのだ。
 「あんた、それは偏見でしょう」と言い返してやりたいこともあるのだが、こちらは椅子に縛り付けられていて、おまけに相手は刃物を持っている。

       
                  満艦飾のキンセンカ

 その点、ここはいい。すっかり気に入った。
 前の床屋では40分ほどで済ませていた作業を(それはそれでメリットだが)、ここは一時間みっちり丁寧にやってくれる。
 料金を払う段になったら、料金表を指さした。ちゃんとシニア料金の欄を指している。ちなみに、前のところとまったく同じ料金だ。

 これからはここにしようと思う。
 ハンディのある人に同情するなどという不遜な気持ちではさらさらない。
 彼の仕事と佇まいは、きっちり私の要求に合っていて、私にメリットをもたらすものなのだ。

 帰り際に、「ありがとう。また来るよ」といったら、にっこりして「ありがとうございました」といった。
 頭もこざっぱりしたが、いいとこが見つかったと気持ちもこざっぱりした。


 

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馬の話で思い出す歌とそれにまつわるエピソード【2】

2012-05-06 01:47:20 | 想い出を掘り起こす
 さて前回は、敗戦後童謡として親しまれた「めんこい子馬」(作詞:サトウハチロー、作曲:仁木他喜雄)が、実は当初、1941(昭16)年、陸軍省選定の東宝映画『馬』の主題歌として作られたもので、その歌詞の軍事色の強い部分を改変して生き延びたものであることを述べました。

 で、その映画は未見なのでどんなものだろうと思って調べてみると面白いことがわかりました。
 この映画は純然たるフィクションではなく、モデルになった馬がいたというのです。その馬がまた、数奇な運命をたどったというので少し紹介してみましょう。

 この馬は勝山号といって1933(昭8)年、岩手県の現・九戸村に生まれ農耕に従事していたのですが、4歳の折、軍馬として徴用され、中国戦線で将校馬として活躍したというのです。

            

 ここからがドラマティックで、この勝山号、何度も激戦地で銃弾の下をかいくぐり、なんと、彼に乗った将校3人がそれぞれ戦死してしまいました。しかし勝山号はその都度、ちゃんと帰還したというのです。そんなこともあって1939(昭14)年、勝山号は日本に送還され、「不死身の名馬・英雄馬」として勲章を与えられた後、明治神宮の御神馬として戦意高揚のシンボルとなるのです。

 しかし、まだまだドラマは続きます。
 1945(昭20)年、日本は敗戦を迎えます。
 それで勝山号はどうなったかというと、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の命令により追放され、神馬から一躍「普通の馬」に格下げされ、ほかの馬ともども「軍馬収容所」に入れられるのです。
 それだけではおさまりません。おりから戦後の食糧難、勝山号は食肉業者に払い下げられることになったのです。

            

 そこで、それを知った映画でもそのモデルとなったこの馬の元馬主の救出作戦が始まります。関東から南部九戸村までの逃避行の果てに、勝山号はやっと故郷に帰り着くのです。
 こうして波乱万丈は収まったかに見えたのですが、なおかつその最後も劇的でした。
 もとの農耕馬に戻った勝山号ですが、その2年後に狂い死にしたというのです。
 そしてその死後解剖の結果がまた、この馬の生涯を象徴するものでした。
 というのはその頭部と首のあたりから大きな砲弾の欠片が出てきたというのです。
 しかもそれは、床に落とすとゴトンと音がするほどの大きさだったといいます。

 まさに壮絶としかいいようがないこの馬の生涯ですが、その激動を貫いたのはいうまでもなく戦争です。
 もし戦争に駆り出されなかったら、この馬はのんびりと田畑を耕し、そして南部名物のチャグチャグ馬っ子のお祭りでは、美しく着飾って華やかに練り歩いたはずなのです。

             

 戦争と馬の話を書いてきましたが、ここでどうしても付け加えておきたいことがあります。
 たしかに、この勝山号のように戦場に駆り出された馬も悲惨であったわけですが、かつての日本軍においては人間である兵士はさらに悲惨であったということです。
 というのは馬は貴重な資源=備品=兵器でしたから大切にされました。
 それに比べると人間は一銭五厘の赤紙一枚で駆り出される消耗品にしか過ぎなかったのです。
 ですから兵器の部品を紛失したり損傷があったりした場合、兵士には厳しい罰則が課せられ処罰されました。馬の手入れが不十分だったりした場合もそうでした。ようするに人より馬のほうが大切だったのです。
 また、人である兵士は、自ら死地に飛び込む玉砕のような無謀な作戦に従事させられました。
 玉砕で生き残ると、再度死んで来いと無理やり敵前にさらされるのは水木しげるの『総員玉砕せよ!』(1973年、講談社)にも描かれているとおりです。

 「めんこい子馬」という「平和な」童謡は、実はこうしたエピソード、そして戦時中の現実を背景としていることを再確認した次第です。
 では終わりにもう一つ馬の歌を掲げましょう。

              

 これは「愛馬進軍歌」あるいは「愛馬行進曲」といわれるもので、こちらは純然たる軍歌といえます。
 ただし結構軽快で内容も馬に関するものなので、当時、幼年時代だった私も結構覚えています。

  http://www.youtube.com/watch?v=w8auO5yDrDs

 長くなりますが参考のために歌詞を記載しておきます。

 「愛馬進軍歌」 作詞 久保井信夫 作曲 新城正一  1939年(昭和14年)

   くにを出てから幾月ぞ? ともに死ぬ気でこの馬と?   
   攻めて進んだ山や河?  とった手綱に血が通う

   昨日陥した(おとした)トーチカで? 今日は仮寝(かりね)の高いびき?   
   馬よぐっすり眠れたか? 明日の戦(いくさ)は手強いぞ

   弾の雨降る濁流を? お前頼りに乗り切って?   
   任務(つとめ)果たしたあの時は? 泣いて秣(まぐさ)を食わしたぞ

   慰問袋のお守礼(おまもり)を? かけて戦うこの栗毛?   
   ちりにまみれた髭面(ひげづら)に? なんでなつくか顔寄せて

   伊達には佩(と)らぬこの剣? まっさきかけて突っ込めば?   
   何ともろいぞ敵の陣? 馬よいななけ勝鬨(かちどき)だ

   お前の背(せな)に日の丸を? 立てて入城この凱歌?   
   兵に劣らぬ天晴れの? 勲(いさお)は永く忘れぬぞ

 
 





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馬の話で思い出す歌とそれにまつわるエピソード【1】

2012-05-02 15:54:35 | 想い出を掘り起こす
 馬の話が二回続きました。
 その最後に、それらを書きながら頭をよぎる一つの歌があることを何やら思わせぶりに書いておきましたが、それは読む人の興味を繋ぐためのレトリックではありません。
 事実、そのメロディが頭の中をグルグル巡っていたのでした。

 それは「めんこい子馬」という歌で、私が4、5歳の頃から知っていて口ずさんでいたと思うのです。改めて調べてみると、その歌が作られたのは1941年(昭和16年)で、その歌に関わった人たちは以下のようです。
  
    作詞:サトウハチロー、作曲:仁木他喜雄
    唄:二葉あき子/高橋祐子(童謡歌手)


 とても親しみやすい歌で、しかも対象がお馬さんときて、子供の私もけっこう気に入って歌っていたものでした。

 しかし、後年、この歌がそれなりのリアルな歴史を経てきたこと、しかもこの歌に登場する馬が実在していて、それ自身激動する歴史のうちで数奇な運命をたどったことを知って、前ほど素直に歌えなくなったのも事実です。

                

 まず、この歌ですが、1946年(昭16)に封切られた東宝映画『馬』(監督:山本嘉次郎、助監督:黒澤明、主演:高峰秀子)の主題歌として作られたものでした。その映画ですが、ようするに戦場へ送り出す軍馬を育てる内容で、「陸軍省選定」とあり、冒頭には当時の陸軍大臣・東条英機の推薦文が付いていたそうです。
 私は見ていませんが、そうした背景を持っていたにも関わらず、その内容はさほど軍事色が強いものではなかったようです。
 また、当時、山本嘉次郎監督が色々掛け持ちで多忙だったため、ロケシーンなどの大半は助監督だった黒澤明が撮ったともいわれています。

 さて、その歌詞ですがオリジナルはこうでした。
 
 (一)ぬれた仔馬のたてがみを 撫でりゃ両手に朝の露 
    呼べば答えてめんこいぞ オーラ 掛けて行こうよ丘の道 
    ハイド ハイドウ 丘の道
 (二)藁の上から育ててよ いまじゃ毛並みも光ってる 
    お腹こわすな風邪ひくな オーラ 元気に高くないてみろ
    ハイド ハイドウ ないてみろ
 (三)紅い着物(べべ)より大好きな 仔馬にお話してやろか
    遠い戦地でお仲間が オーラ 手柄を立てたお話を
    ハイド ハイドウ お話を
 (四)西のお空は夕焼けだ 仔馬かえろかおうちには
    お前のかあさん待っている オーラ 唱ってやろかよ山の唄
    ハイド ハイドウ 山の唄
 (五)明日は市場かお別れか 泣いちゃいけない泣かないぞ
    軍馬になって行く日には オーラ みんなでバンザイしてやるぞ
    ハイド ハイドウ してやるぞ

 これで見ると(三)、(五)には戦時歌謡の烙印がしっかり押されれています。

          
 
 しかし、この歌は敗戦後にも童謡として歌い継がれました。
 その折の歌詞は以下のようです。

  1 ぬれた仔馬のたてがみを?    
    なでりゃ両手に朝のつゆ?    
    呼べば答えてめんこいぞ オーラ?    
    かけていこうかよ 丘の道? ハイド ハイドウ 丘の道
  2 わらの上から育ててよ?    
    今じゃ毛なみも光ってる?    
    おなかこわすな 風邪ひくな オーラ?    
    元気に高くないてみろ? ハイド ハイドウ ないてみろ
  3 西のお空は夕焼けだ?    
    仔馬かえろう おうちには?    
    おまえの母さん まっている オーラ?    
    歌ってやろかよ 山の歌? ハイド ハイドウ 山の歌
  4 月が出た出た まんまるだ?    
    仔馬のおへやも明るいぞ?    
    よい夢ごらんよ ねんねしな オーラ?    
    あしたは朝からまたあそぼ? ハイド ハイドウ またあそぼ

 ようするに、元歌の(三)、(五)がともにカットされその(四)が新しいものの3になり、新たに4が書き加えられたのです。
 それによって新しい歌は、朝、昼、夕、夜と時間系列に沿った歌に生まれ変わったのです。

 で、私はというと、そんなマジックが施されたなどとはつゆ知らず、最初は元歌で覚え、国民学校一年生で敗戦を迎えた後は新しい歌詞で歌っていたのです。
 そこに何の違和感も感じなかったのは、単純に最初覚えたものが間違っていたのだと思い込んでいたからでしょうか。

               

 さて、この話は実はこれで終わりではなく、映画と関連するもう一つの物語が絡んでくるのですが十分長くなりました。続きは次回にするとしてここらで一息入れて、歌を聞いてみましょう。
 最初のものはオリジナルで、映像はレコードが回っているもののみです。
 それを見つめながら聴いていると目が回りますから注意してください。

   http://www.youtube.com/watch?v=casUFefi9lo

 続いてのものは歌手が変わっていますが、そのかわり軍事色が溢れる映像がはいっています。歌詞は(四)までしかありません。

   http://www.youtube.com/watch?v=2b_UiixaVAA&feature=related
 
 続きは近日書きます。

  
 
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