六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

装飾過剰の花と自意識過剰な私のおはなし

2009-04-09 03:55:33 | 花便り&花をめぐって
 末期の桜はどこかもの狂おしい感もあります。
 下は、先般載せた近くの穴場の花筏の模様です。
 ここの花の話は今年はこれで終わります。
 ありがとう桜たち。

 

 少し目先を変えて珍しいものを載せてみます。
 八重桜がそのぽってりとした重量感の割にさほどもてはやされないのは、その過剰装飾気味のせいでしょうか。ただし、大阪造幣局の「通り抜け」では、八重桜の質量感が結構重要な役割を果たしていたように記憶しています。
 もっとも、私なんぞが大雑把に「八重桜」で括ってしまうなかにも、実に多くの区分立てがあるようで、その辺になると全くお手上げなのですが・・。

 

 ここに掲げた八重桜(?)は、その過剰装飾気味なところへもってきて、さらにおまけの装いを持っています。ご覧のように、ほんらい白い花を付ける樹なのですが、ところどころに赤い花を混じえているのです。
 この樹にははじめてお目にかかったのですが、こうした現象は初めてではありません。実は私の家のツツジ(少しつぼみが膨らんできました)の白い花の木に、毎年、一枝だけ、しかも二輪だけ赤紫の花がつくのです。たぶん、遺伝子の記入むらのようなものによるのではないかと素人なりに考えています。

 
 
 あるいは、もし花に意志があるとしたら、白い花の咲く樹という予めの規定に逆らって、自分の個的存在を主張しているのかも知れません。しかも、自分が個的であるためには、他性(この場合は赤い樹)対して例え部分的にであれ開かれていて、その開けの度合いが同時に個的であるようにも思えます。むろん考えすぎのこじつけです。

 くだらないおしゃべりにけじめを付けるために、もうひとつ珍しいものをお目にかけましょう。私の住まいの近くで見つけたのですが、こんな感じで咲いています。
 なんだかお分かりになりますか。

 

 もう少し近寄ってみましょう。小さいけれどなかなか妖しげな花でしょう。

 
 
 全体を見るとこんな感じで、蔓が複雑に絡み合ってかなり大きな群落をなしています。

    
 
 気を持たせて、「答は次回」としようと思ったのですが、通りがかりの読み手もいらっしゃることを考え、回答を載せます。
 これはアケビの花です。アケビといっても、大きく分けて五葉アケビとミツバアケビとがあるのですが、これは後者のミツバの方です。五葉の方はもっと白っぽい花で、こんなに密集しては咲きません。

 いろいろあって、かえって精力的にものを書いています。
 遺言も書こうかという気分ですが、考えてみれば、こうしたものを書き散らすのも遺言であるかも知れませんね。
 まあ、人はどこでどう終えるかは分からないのですから、考えようによっては年齢の如何に関わらず、その人の表現したものはすべて遺言であるのかも知れません。
 



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徘徊する動物たちのカーニバル

2009-04-08 04:03:57 | 写真とおしゃべり
 結局のところ、3月24日以来、葬式の三連チャンとなってしまいました。
 義理で行く葬式ならそれなりにこなせばいいのですが、それぞれ親しかった人となるとこちらも凹みそうになります。
 
 しかし、ここで凹んでいては、彼や彼女らが見果てなかったものを見てやろうという私の決意も危うくなりますから、ここは死者たちには申し訳ないのですが、しばらくは話題を変換しようと思うわけです。
 こうした場合の感傷はある程度不可避なのでしょうが、そこにどっぷり漬かっていると、ただただルサンチマンのようなものに囚われるのみで、それらを契機に見なければならないものも見えてこないと思うのです。
 死者たちは、私に新しい局面を見せるためにその命を費やしたのだと考えることこそ生産的だと思うのです。
 キリストがそうであったように・・。
 (ああ、しかしながら、人々はキリストの死をそうしたものと解することなく、巨大な恨みつらみの体系を築いてしまったのだ!・・と嘆いてみせる)

    
         アッ、こんなところにライオンが
 
 話題は少し前の愛知芸術文化センターから拾ったものです。
 写真はすべて、12階の間隙から10階のロビーを臨んだものです。
 被写体の動物たちは、すべてそれ自身がアートです。
 他の場所にはキリンもいました。そのキリンは、撮影を断られました。
 展示場ではなく、わざわざ公の場所に展示するのになぜ断るのか理解できませんでした。

 
             この人気づいていない・・
           
 やがてその謎が解けました。
 私はわざわざ、作品の近くにいる係員とおぼしき人に写真を撮ってもいいかどうかと尋ねたのです。その結果が「NO!」でした。
 しかし、私のようにその許諾を確かめない人たちは、ケイタイでどんどん撮っています。
 ようするに、主催者側に礼を尽くす者にはダメだということです。

    
             象だっているんだゾウ

 ですから、この12階から10階を見下ろす写真は断りなしに撮りました。
 こういうものをこしらえ、公の場所に展示する人たちに敬意を表します。その敬意の印がこの写真であり、日記やブログへの掲載だと解釈して下さい。

 最後の写真は同じ場所ですが撮った日が違います。
 この写真はデジカメですが、ほぼ似たアングルをマニュアルカメラで撮り、生まれて初めて写真展なるものに出品しました。題して、「昼下がりのロビー」。
 評価や賞のない写真展でしたが、高校時代の部活の仲間から、「お前の写真、岐阜駅の構内で見たぞー」という電話があったのが唯一の反応でした。

 
          昼下がりの情事・・ではなくロビー

 なお、動物の写真を撮った日は、前の日記で触れた故・伊藤益臣氏と最後に会った日でした。この写真を撮ったあと、12階の会議室で午後の長い時間を一緒に過ごしたのでした。
 死者たちとの決別のつもりで書き始めたのに、またしてもそこへと回帰してしまいましたね。

 どんなに抗っても、私たちは死者たちの視野のもとにあります。彼らの視線は時を越えて私たちを貫いています。一見それらとは無縁な私たちの行為も、それらへの応答であることは心すべきでしょう。
 私たちはそれに応答し続けることによって明日の死者たり得るのです。
 (なんちゃって・・少し照れています)


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【弔文】伊藤益臣氏の大往生・・・を悼む

2009-04-07 00:15:36 | ひとを弔う
 
               伊藤益臣氏の著作から

 昨日、私にメールをくれた知人がCCとして同じ文面を伊藤益臣氏にも送っていて、それによって氏のメルアドを知ったばかりでした。「しめた、これで氏宛のメールで文書添付なども送付出来る」と早速アドレス帳に登録したのでした。
 そこへ届いた訃報です。
 今からでも遅くはない、何かメールを送ってみようという誘惑につい駆られるではありませんか。

 伊藤益臣氏とは、まだ三年ほど前からの付き合いですが、毎月一回の勉強会で顔を合わせ、その後の二次会(彼はそれを「補習授業」といっていました)で親しく歓談する仲でした。先月の例会でもそうでした。そして、今月の例会もそうあるだろうと思っていましたのに・・。

 大往生であったと思います。
 私と同じ70歳の人に「大往生」はないかも知れませんが、その終焉の迎え方がまさに大往生だと思うのです。
 親しくなる以前の詳しい病歴は知りませんが、前立腺癌が背骨と骨盤に転移していて手術は不可能という病を背負いながら、地獄の入り口から閻魔様に追い返されて帰還したといっていました。そして、その癌を真正面に見据えながら、それについて語り、新聞のコラムの連載をこなし、ついにはそれらをまとめて一冊の書までなしてしまいました。実に逞しいというほかありません。

 それ以上に大往生だと思うのは、そうした病を抱え込み、休火山の上に座しているような身でありながら、最後の最後まで、決して節制というものをしなかったということです。
 酒はおそらく私以上にたしなんだようですし、煙草も欠かすことはありませんでした。館内禁煙の会合などの前、ひとり屋外で煙草をくゆらせていた氏の姿が目に浮かびます。
 そうしたなかで、文筆に、芝居に、詩の朗読にと八面六臂の活躍を続けてきた氏は、いわば「欲望する身体」に忠実に生き続けてきたといえるのかも知れません。
 だから大往生だと思いますし、本人にも悔いはないだろうと思うのです。

 私はかつて、氏の、おそらくは主著に相当すると思われる『ひとつの昭和精神史』という著作への書評というか感想文を書いたことがあります。
 この書の中で氏は、その対象とした折原脩三(大銀行の行員でありながら思索を続けた)と自らをオーバーラップさせるかたちでいろいろな言葉を拾い上げています。それは例えば、「節約原理の拒否=安易な道を選ばない」、「老いを動態として生きる」、「世間を裁判官としない」、「言葉と姦淫しない」、「一切が解釈」などなどですが、伊藤氏の生き様こそ、まさにそれを生ききったといえましょう。
 その意味でもまさに大往生といえると思います。

 先に私と同年だといいました。最も多感な学生時代を学校こそ違え同じ名古屋の地で、同じ時代の空気を吸って来た者同士です。
 その意味でも、あれ以来継続する時代のアウラがまたひとつ希薄になったようで心細い限りです。
 
 天国か地獄かは知れませんが、どこかで紫煙がスーッと流れたら、目を細めて煙草を味わう氏がそこにいる筈です。
 何はともあれ、伊藤益臣氏のご冥福をお祈りします。 
                         
                       (09・4・6 訃報を聞いた日に) 

伊藤益臣氏の仕事は以下で分かります。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%88%C9%93%A1%89v%90b/list.html

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雨の桜と祭と蒸発する酒

2009-04-05 01:40:25 | 花便り&花をめぐって
 私の地方の今年の桜は、少し可哀想です。
 早々と開花宣言があったものの、寒さのぶり返しで2週間もお預けを食らい、やっと満開に至ったかと思ったらしとど降りしきる雨のお出迎え、その雨に叩かれて早くも散る花びらもあるという有様です。

 
              雨の中、懸命に咲き誇る

 これらの写真はすべて、私の家からものの5分もかからないところにある小河川を挟んだ桜の並木です。何百メートルと続く並木なのですが、わざわざ見に来る人はいません。買い物に行き来する人や犬を散歩させる人が通るぐらいです。私は密かにここを「マイ・ビーチ」ならぬ「マイ・桜ロード」と名付けて、毎年、花を楽しませてもらっています。

 
        三日ほど前、好天時に同所で。まだつぼみが多い
 
 昨日、雨の中を出かけました。ほとんど人の姿はありませんでした。
 耳を澄ますとそぼ降る雨の音が聞こえそうな静寂のなか、ヒヨドリたちがここを天下とかしましく鳴きながら花をついばんでいました。トリが動くと雨の中、川面へと花びらが舞い散ります。

 
            雨に濡れた幹が黒々と自己主張を

 雨の桜の良いところは、濡れた花にもむろんそれなりの風情があるのですが、その幹が水を含んで黒々と自己主張をし、それが薄紅の花との間に絶妙なコントラストをもたらすことです。
 こればかりは天気の良い日には味わえない美しさです。
 なかなかポジティヴな発想でしょう。あと何回桜を見ることが出来るか分からない身ですから、それぞれの桜をそれなりに楽しむ魂胆なのです。

 
              これはかなりの老木

 雨は桜にのみ祟ったのではありません。実は、昨4日はこの地区のお祭りで朝から子供たちの華やいだ声が聞こえ、子供神輿が町内を練り歩いていたのですが、昼少し前に降り始めた雨のせいで、午後の行事はすべて取りやめとなってしまいました。
 みこしがこ来たら渡すべく祝儀を用意したのですがやって来ません。
 しばらくしたら玄関のベルが鳴ります。出てみたら町内の役員さんたちがはっぴ姿で立っていて、子供会のためにお願いしますということでそのご祝儀を渡しました。

 
            ホラ、もう散り始めたものも・・
 
 いつもならここで役員さんが、「六さんのところからご祝儀~」とその袋をかざすと、子供たちがワ~ッと歓声を上げ神輿を上下し、鉦や太鼓をここぞとばかり打ち鳴らすのですが、今年は役員さんの「ありがとうございました」のご挨拶のみ、なんだか寂しい祭りでした。
 それでも、紙コップにお酒を一杯と、あたりめをもらいました。
 車に乗って出かけるため飲むことが出来ず置いたままにして出かけたのですが、帰ってきたら空になっていました。
 
 雨降りなのに早く蒸発するお酒です。


===============================
 
 以上は昨日書いたものです。
 今日は晴天です。昨日のままではと思い、もう一度行ってきました。
 以下の3枚は今日、5日の撮影分です。

 
 
 これは昨日載せたこのページの最初のものとほぼ同じアングルです。ただし、晴天だけあって川面の光り方が違います。

 
 昨日の雨に叩かれてたまらず散った花が、花筏となっていました。
 やがて、さして流れの速くないこの川をいちめんに埋め尽くすでしょう。

 

 つがいの鴨が花の下に遊んでいました。川面の花びらを食べているようにも見えました。
 
 今年の花はもうこれで終わりでしょうか。
 いえいえ、山間部はこれから。
 花を求めて渓流巡り・・なんて出来るかなぁ。







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【告白】ペットに対する中途半端な気持ち

2009-04-04 03:59:28 | よしなしごと
 しばらく前のことです。10日ぐらい前かなぁ。
 岐阜駅と地続きの高架下にある、市立図書館分館へ行きました。
 そのついでに、岐阜駅の東南に位置する清水緑地(通称清水公園)を散歩しました。

 

 その折りの風景です。
 最初の三枚は、まだ若そうな犬と飼い主との微笑ましい有様です。
 この写真でその片鱗がお分かりいただけると思うのですが、この犬と飼い主との信頼関係というか通い合っている様というか、それらがひしひしと伝わってくるのです。
 こんな様子を見ると、人々がペットを愛する様子が分かるような気がします。

 

 私はというと、若くしてはじめて飼った猫にまだ月賦(古いいい方だなぁ、ローンといいなさい)が残っていた家具をめちゃくちゃにされて以来猫は敬遠し、その後飼った犬と三代にわたって死別してからというもの犬とも縁がなく、以後、ノン・ペット状態なのですが、そのせいかペットへの偏愛には比較的醒めた視線を向けています。

 
 
 そんな私ですが、この光景にはいささか興味を持ちました。この犬の飼い主に対する十全な信頼感、この飼い主の犬に対する絶対的な庇護と偏愛とも思える眼差し、それは羨ましいほど満ち足りた関係なのですが、同時にある種の不安をも感じてしまったのです。

 それは、この関係はある種、閉鎖されたものではないか、飼い主のなかには満たされざる現実との軋轢があり、それを犬に対する支配と擁護という関係に投影しているのではないかといった不安なのですが、考えてみればそれはあらぬ深読みのようなもので、当事者にとっては全く余計なお節介でしょうね。

 
              陽だまりでは鳩たちが

 なぜそんな余計なことを考えるかというと、昔の犬や猫を飼うという風習と今日のそれとはいささか趣を異にするように思うからです。昔といってもそんなに古いことではないのですが、私の少年時代(あ、やはり古い、半世紀前だ)には、ペットはもっと自然で淡白なかたちで私たちの回りにいたような気がするのです。
 いつの間にか居付いた名もない犬や猫など、それらは今日のように溺愛されることもなく、また、疎んじられることもなく、人間の残飯を与えられながら、人間の生活の周辺にごく自然にいたように思うのです。
 そして、その方がペットたちも、そしてその飼い主たちも自由であったような気がするのです。

 
   高架上を電車が通りかかっていたらもっと良かったのにとあとで気づいた

 今日、ペットを可愛がっている人たちを非難しようとするわけではありません。
 ただ、かつてのペットに関する人々の姿勢と今日のそれが微妙に異なっているように感じているのは事実です。
 おそらくこれは、ペットを飼う余裕もなく根気もない私のきわめて偏った考察なのでしょうね。

 


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「黄昏時は寂しくて」かな? 写真とおしゃべり

2009-04-02 13:56:46 | 写真集
 黄昏(たそがれ)時は人恋しいというが本当でしょうか。
 黄昏時に限らず、四六時中人恋しいと思っている私ですが、それはそれで何となく分かる気がします。
 おそらくはその時刻に関連するのでしょう。
 一日が終わろうとするとき、それは様々な絆から解き放たれてひとりに返るときで、現世との仮の離別でもあります。これからの夜に向かってひとりであること、それは幾分センチメンタルな寂寞感を誘う絶好の機会でもあります。夕陽や長くなった影の演出、それらは寂寞感に過剰な彩りを添えます。

     
            黄昏行く名古屋テレビ塔

 黄昏の語源は、薄暗くなって人の見分けがつき難くなるところから、「誰そ彼(たそかれ)」→黄昏(たそがれ)になったといいます。これは知っていたのですが、確認しているうちに新しい発見をしました。とはいえ、知っている人はとっくに知っているようなことでしょうが。
 それは、黄昏の反対語、明け方の表現で、「かはたれ」というのだそうです。そしてその語源は「彼は誰(かはたれ)」から来ているというのです。これもまた、人の見分けが難しいことから来ていますね。

 
         黄昏の伊吹山 手前に光るのは長良川

 ところで私の好きな黄昏時は、こうした人の見分けがつかなくなる少し手前、さあ、黄昏が始まるぞという時なのです。ようするに、まだ色彩も残っていてある程度の見分けもつくが、やがてそれが決定的に闇に溶け込むための前奏曲、その時間帯が好きなのです。これは好悪の問題ですから論理的には説明できません。
 敢えていうなら、変化への期待と不安、それは不可避なのだけど一度身構えてからしか受容できないそうした自己への固執のようなもの、何か抽象的でよく分かりませんね。だから論理的には説明できないといったでしょう。

 
              家路を急ぐ人々

 これらはものごとの移行時、変化時に伴う感傷なのでしょう。一般的な無常観もこれに近いかも知れません。しかし同時にそれは、移ろい行くものへと寄り添う心情をも表していないでしょうか。
 こうしたものごとの変転移行の時期、もっとマクロにいえば歴史の変換時に、人々の感覚や感傷も研ぎ澄まされるようです。そうした時期には多くの芸術家たちがそれを糧として然るべき作品をものにしています。
 あ、黄昏についての考察からは随分の飛躍ですね。

    
               黄昏の飛行機雲

 私のいいたかったことは、黄昏に心うずくのはある意味では感傷に過ぎないけれど、変化や移ろいゆくものへの共振といった面を持ち合わせてはいないだろうかということです。
 そうだとすれば、黄昏は「誰そ彼(たそかれ)」や「彼は誰(かはたれ)」を経由して新しい光のもとへと自己を指し示す通過点にしてその予兆であるのかも知れないと思うのです。
 移ろうことを恐れず、真昼の陽光に向かって「ヤー」と叫ぶかの哲学者に思いを馳せています。

     
              黄昏のレストラン

 人生の終焉近くをやはり黄昏時ともいうようですが、私の場合はまだそうではありません。まだいろいろなものがはっきり見えています。いわば、私のいう黄昏プレリュードの時期でしょうか。
 ところであなたは誰ですか?
 え?ものが見えているのに「誰そあなた」だったら「誰そ彼」よりも危ない?
 やっぱり。
 もう黄昏れちゃったのかなぁ。

コメント (5)
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