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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

白い街 白い花 そして名古屋市長・・

2009-04-27 04:13:38 | 花便り&花をめぐって
 かつて石原裕次郎はこんな風に歌いました。

 ♪ああ 久屋通りの花時計 花に遺した きみの微笑
  白い街 白い街 名古屋の街♪


 この「久屋通り」からひとつ東の「高岳」というところで地下鉄を降りました。その近くで行われた会合に出席するためです。
 地下鉄の階段を駆けのぼると(虚勢!ほんとはヨタヨタとのぼった)、いきなり白い群落が目に飛び込んできました。ン?ひょっとしたら?と思うまもなく、そのひょっとしたらはひょっとしたのです。

 
        ビル街を背景にこの木が見られるなんて・・

 そこに展開されたのは、かつては奇木の仲間であったヒトツバダコ(=通称ナンジャモンジャ)の並木なのです。以前は、どこそこで咲いたというと新聞種になった木がいつしか都市の並木に飼い慣らされたのです。
 飼われてから間がないのか、木によって花の付き方はまちまちです。いちめんに真っ白なものから、申しわけ程度に花をつけているものからいろいろです。

 
       これは一番適応した木 堂々とそびえている

 それらをカメラに収めてから会場へ向かいました。
 会場近くで私を引き留めるものがあります。色でもありません。音でもありません。芳香なのです。それが私の鼻孔をつんつくと刺激するのです。
 匂いというのは分子の飛行だそうです。同じ分子でも、その組成によって悪臭や芳香に別れるというのは気の毒な話です。
 もっとも、この悪臭/芳香の分節自体がある種の文化や伝統に依拠するもので、私のそれは、ある特定の文化圏のものかも知れません。

 
      雪が積もったようという形容は当たっていますねぇ

 まあ、屁理屈はともかく、私の足を留めたものの正体は私が通りかかったある寺院の駐車場の片隅に咲くモッコウバラでした。ツルバラの仲間で、ひとつひとつの花は小さいのですが、これだけ見事に咲き揃うとその放つ香も強烈です。
 早速これも写真に収めました。前のヒトツバタコとともに白い花です。
 これらの白い花の連想で、冒頭の石原裕次郎の歌を思い出した次第です。

 
           もっと近寄るとこんな風です

 私がこれらの写真を撮った日、この高岳という駅からさらに地下鉄で一駅行った辺りの出身の人が市長になりました。
 私は、この人の豹変ぶりを多少知っているのと、あの汚い名古屋弁*が生理的に嫌いなのでその当選を祝う気はさらさらないのですが、願わくば彼が謙虚になって、自分に寄せられた名古屋市民の期待を噛みしめ、それにふさわしい市長になることを祈るばかりです。

    
         これが私を足止めしたモッコウバラ

 * いわゆる名古屋弁は、彼が口にするような汚いものではありません。
  生粋の名古屋っこではありませんが、若い頃聞いた古老たちの京言葉
  にも匹敵する名古屋弁を懐かしく思い出します。




コメント (5)
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