六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

ちょっと贅沢をしました。

2007-11-15 01:51:34 | よしなしごと
 二日ほど留守にしてパソコンから離れていた。
 帰ってパソを開けてみるとさあ大変、メールの山々々・・。
 ほとんどが屑メールで、それはそれで仕分けされているのだが、おっと、その中に混じって大事な業務連絡が・・。

 
           この舟に乗ったのです。

 結構貧乏性で、二日間外出しただけで、なんかやるべきことの予定が詰まって来たような気がしてバタバタした。
 事実、図書館へ返す期日が迫っているのに、まだ半分も読んでいない本がある。その他にも、雑用がいろいろ溜まっている。
 疲れもあってしばらくブログの更新もしていない。放っておこうかと思ったが、あいつとうとうくたばったかと思われるのもしゃくなので、こうしてしょうもない日記を書いている。


 
       宿へ行く途中でこんなものを。ここの名物

 で、どこにいたのかといえば、中部地区の方は途中の写真で分かるかもしれないが、その他の方は、最後の方の写真で分かる仕組み。もっとも、離れた所の方にとっては、地名が分かってもどんなところかのイメージは掴めないかもしれないが・・。

 
       こんなもの食べました。海にいるのに河の豚

 海のないところで育った私にとっては、海は格別。
 記憶によれば、はじめて海を見たのは小学校の3年生の時。まだ、戦後の産業復興の前で、日本のあちらこちらに白砂青松が残っていた頃である。
 海へ行って私が初めてしたことは、海岸端へ行って海水を舐めてみることだった。


 
            こんなものも・・  

 塩辛かった。本当だ、海の水って塩辛いのだ。私のデカルト的懐疑の精神は、事実の前にあっけなく退散した。
 「われ舐める、ゆえにわれ在り」


 ところで、私がはじめて行った海、舐めた海、泳いだ海は、とっくに埋め立てられ、その上に、今や日本有数の石油コンビナートが展開している(三重県の、この都市の名前が付いたぜん息まである、ホラあそこですよ)。

 
    忘れちゃいけないここの名物。スーパーのそれとは全く別物

 海を見て、美味いものを食って、命の洗濯をしてきたのだから、パソに溜まった屑メールや、その後、少しぐらい忙しい思いをしたことを嘆くべきではあるまい。

 
       この島の名を付けたお酒。蔵元は「国盛」
 
 イヤ~、実のところ、これを読む皆さんにちょっぴり羨ましく思わせるのが本音。
 蛸も、河豚も、伊勢海老も、うまかったよ~んだ!
 とても美味しかった、日間賀島への小旅行だった。


                             貨物船も見たよ

日間賀島 知多半島と渥美半島が向き合うように面しているその間にある島のひとつ。昔から、蛸が名物。ただし、この辺で、極めて良質のトラフグが獲れるのに、関西を始めとする都会地に出荷するだけではもったいないということで、近年、河豚料理を前面に押し出し、河豚の島として「島おこし」。
 それが成功し、新鮮な産地の味として、蛸とともに人気を集めている。
  


    
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3 コメント

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Unknown (サンコ)
2007-11-15 08:21:52
美味しそうですね。日間賀島では、学校給食でも、ふぐが出たりするそうですね。
もう数十年前、住んでいたおむかえの奥さんが、日間賀島の漁師さんの娘さんで、買い物の豪快さに、目を見張ったものです。お金の入ったときに、山のように買い物をして、ずっとそれを使い続けるというような、暮らしぶりで、なんだか毎日ちまちまと買い物をする自分が、小さな人間に思えたことがありましたよ。
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Unknown (六文錢)
2007-11-15 16:40:48
 私が泊まった宿のオーナーシェフは、私が飲食業界に入った頃、系列店の板場さんをしていて仲良くなった人です。
 
 彼はある日、この人と一緒になって島へ帰りますと私の店に可愛い女性を連れてきました。
 いよいよ修行を終えて、父親のやっていた民宿を継ぐのです。私は、お祝いとして俎をプレゼントしました。

 今では、民宿をホテル風(といってもファミリアスなそれですが)に建て替え、本文中でも触れた「島興し」の河豚料理を普及させる上で、重要な役割も果たしています。
 (文字数の関係で続きは次の枠で・・)

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Unknown (六文錢)
2007-11-15 16:48:24
 なお、お触れになっている漁師のおうち出身の奥様のことですが、それは貨幣経済のうちにありながらも、やや違った形をとる職業の人たちのひとつのパターンで、お金は入ったらめいっぱい使う、それでなくなったらまた稼ぐといったサイクルに馴染んだ形といえましょう。

 これがうまく回っているうちはいいのですが、そうでないと大変なことになります。私の知っているのは、埋め立てなどで漁場を失った漁師さんや海苔養殖者達の例で、補償金が入ると豪勢に使ってしまうのです。

 お気づきのように、「また稼げば」というサイクルからはすでに断たれています。再就職も彼らの生活には馴染まず、ままなりません。
 後は悲惨です。補償金で建てた家や、買った車なども金融業者に取り上げられ、街頭へと放り出されるのです。

 私の知っている一色のかつての海苔養殖業者は、すべてをとられ、家庭も崩壊し、私より少し年上なのですが、今なお、タクシーに乗務しています(ダムの補償などでも類似の話を聞きます)。

 日本の近代は、こうした一次産業に従事する生産者達の具体的な生活を踏みにじってきた歴史でもあるようです。
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