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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

戦禍から蘇った岐阜駅の思い出など

2012-10-29 02:09:27 | インポート
 名古屋へいったある日、行きと帰りに撮った岐阜駅近辺の写真です。
 最後の写真は1945年7月9日、岐阜大空襲の翌日のものです。

     
          軒下のデコレーション・フラッグ なぜかうさぎが首を吊って(?)いた

 この空襲からしばらくして鉄道が回復してから、疎開先の大垣から家のあった岐阜の様子を見に母親と訪れました。
 鉄筋コンクリートの旧丸物百貨店などのほかは、木と紙と土で出来た建物は全て焼かれ、いまでは絶対に見えない2km離れた長良川の堤防まで見通すことができました。
 灰燼に帰すとはまさにこのことでしょう。

 
          遠足の子らの賑やかなさえずり 週末のイベントの準備も進んでいた

 その折りに比べると岐阜駅は本当に立派になりました。
 何年かかけた改修が終わり心地よい環境になったといえます。

 
            バス・ターミナルにて 迫力ある織田信長のイラストも

 私よりも年上で、イケイケドンドンで近隣諸国との戦火も厭わないという人がいます。
 その人が、混迷する政局の中で、いわゆる第三極の要になることを目指し、東京五輪も何百億の赤字にあえぐ東京都銀も放り投げて国政に乗り出すといっています。

 
          気分はもう年末 大階段のイルミネーション 通行人はその両側を通る

 率直に言って怖いと思います。
 あれから70年近く、近代兵器はより一層残虐になっています。核兵器もあります。
 イケイケドンドンが実現して、生涯で二度目の戦争を経験したくはありません。

 
           爆撃後の岐阜駅 車両も燃えている 焼け野原となった中心街

 岐阜駅が再び、かつてのように多くの兵士を送り出す場となりませんよう、また攻撃対象として私の好きな鉄道や施設がずたずたに破壊されたりしませんよう願っています。
 そしてそこが地方都市の顔として平和な佇まいのままでいられますよう、遠足の子どもたちの嬌声が響く場で在り続けますよう、市民のためのさまざまな催しの場であり続けますよう祈るばかりです。

   

 

コメント (4)
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