六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

アートでない人が読む『アート・ヒステリー』(大野左紀子)完

2012-10-08 17:04:08 | アート
     

 
 遅々として進みませんでしたが、書評ではなくこの書に触発されて自分のことをいろいろ書いてきたわけですから致し方ないですね。
 いよいよこれで終わりです。
 「第三章 アートは底が抜けた器」が一応終章となっています。
 
  この章では比較的最近のアート・シーンを題材にしながらアートの可能性と不可能性を論じる仕掛けになっているのですが、私があまり好きではないヒロ・ヤマガタについての実情や、私にいわせれば「ハレンチ学園」の延長でしかない村上隆の作品が背後にもっている意義のようなものついては「へぇ、そうだったんだ」と目から鱗のような箇所もあります(まあ、私がそれだけど素人なだけなのですが)。

  もちろんその「目から鱗」は、それでもってアートがわかってしまったということではなく、ますます藪の中なのですが、読み進むうちに例のフロイトの「文明とは性的欲望(リビドー?)の昇華されたものだ」というくだりに差しかかると共に、著者の結論めいたものの輪郭が見え始めます。

  フロイト自身と、フロイトを援用しようとしたアンドレ・ブルトンなどのシュール・リアリズムとの対比がその鍵を提供してくれます。
 フロイトの昇華への欲望は欠落したなにものかへの出会いを求める行為(対象a?)でありながら、しかもそれは常に「出会い損ねる」ものでしかないとされるのに対し、ブルトンらは必死にその出会いを求めるわけです。しかし、彼らもまたその出会いを果たすことができず、その失敗の痕跡こそが作品だというわけです。
 そしてその作品の傍らには相変わらずポッカリと空いた穴が埋められないままに残されます。
 著者はそれをドーナツの穴に例えますが、それはまた、この章のタイトル「底が抜けた」に通じるものでしょう。
 同時に、その穴を埋めるための連綿たるアーティストの作為は、この書のタイトル『アート・ヒステリー』に通じるものだろうとも思います。

  そこで問題は、「他者との出会い」、「他なるものとの出会い」に絞られることになります。
 そしてアートが、それへの意識的、無意識的挑戦であるとしたら、それは何もアートのヒステリックな戦線にとどまることでなくても良いのではないかというのが著者の「アート離れ?」の説明であり(「おわりに」の部分)、同時に本書の結論ともなります。

  ずいぶん頓珍漢な読解ですが、たとえ見当違いでも、多くのものを学ばせてもらったことは事実です。また、「アート」に関する自身の曖昧な概念に多少の整理がついたことも事実です。
 あくまでも全体的にはこの書を肯定しながらですが、それでも気になったことを少し述べてみようと思います。

  それはこの書が著者自身が認める如く、フロイト=ラカンの「エディプス・コンプレックス」に多くの部分を依拠している、というか全体を整理してゆく上での理論的な支柱にしているということです。
 具体的には、父の抑圧としての象徴秩序への従属、あるいは父親殺しなどが、例えば幼児の表現の定型化、「フォルト/ダー」の話、ちゃぶ台返しとしてのパラダイム・チェンジ、アウトサイダー・アートとインサイダー・アート、村上隆の「父殺し」、西洋vs東洋(オリエンタリズム)といったさまざまな例で用いられています。
 それが間違っているということではありません。ただ、それによって整合的に叙述された反面、除外された側面がありはしないかという怖れをもつのです。
 もちろん、門外漢の私がこれと具体的に指摘できるわけではありませんが、アートにはもうひとつの見方もありうるのではという漠然とした思いです。

  実用品にスノビズムが余剰を加味し(それ自身が欠落を埋める行為かもしれません)、それらが自立してアートになる過程があるわけですが、それらを評価する「共通感覚」の役割が「アート」という世界を成立せしめている要因にとって大きいのではないかと思います。
 具体的にはカントの第三批判で述べられている「趣味判断=美的判断」の問題です。周知のようにこれらは第一批判の「真」や第二批判の「善」のように公理的なものからの演繹によっては導き出せない判断です。
 では、何が判断の基準かというと複数の他者との間に成立するまさに「共通感覚」というべきものです。したがって、この共通感覚は当然のこととして「他者」ないしは「複数性」を含むものです。

  もちろんこうした共通感覚はスタティックなものではなく、通時的・共時的に動くものですし、複数の人間の活動によっても左右されるのだろうと思います。
 しかし、この共通感覚も、著者が随所で触れるように市場原理によって覆い尽くされ、「資本主義的」かつ「民主主義的」なものとしてしか機能していないことも事実です。ようするに、自由な人間の共同体における共通感覚の、いわば「疎外態」として現状はあると思うのです。

  だとするならば、「自由な複数者」の「活動」こそが希求されているのであって、もちろんそれはアートであっても、そうではなくとも、あるいは政治であってもいいわけだと思うのです。
 「政治」もまた自由な複数の人間による「美的判断」に近いものたるべきだと考えています。

  なんだかすっかり脱線してしまいましたが、この書で多くのことを学ばせてもらいました。
 もちろんそれは「アート」プロパーの問題をも越えてです。
 さて、もし次に美術館へ足を運ぶとしたら、どんな表情で出かけるべきでしょうか。

  最後にもう一度書名などを。
   大野左紀子 『アート・ヒステリー』(河出書房新社 9月30日初版)











コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アートでない人が読む『アート・ヒステリー』(大野左紀子) Ⅱ

2012-10-08 03:06:03 | アート
 さて、大野さんの著書、『アート・ヒステリー』(河出書房新社)に触発された感想ですが、いろいろ「死」について考え込んでいる友人とのメールのやり取りなどあってすっかり遅れてしまいました。

            
 
 その第二章は「図工の時間は楽しかったですか」という問いかけになっています。
 その問に素直に答えるとすると私の場合は楽しかったのです。図工、音楽、体育はどちらかというと楽しかったのです。それに給食も(笑)。
 なぜかというと、その他の科目はいわゆる学であり、何らかの知を体系的に習得しなければならなかったからですが、その点、図工、音楽、体育は幾分遊びのような感じで楽しめるように思ったからです。

 ただしこれらの科目もそれほどお気楽なものでなかったことはこの第二章を読むとよくわかります。近年だけでいっても、「ゆとり教育」の是非などいわゆる一般の「教育論争」とも決して無縁でなかったことが様々な資料を駆使して語られています。
 これらのアートと教育という相互の視点からの資料の整理と展開には説得力があり、いろいろと教えられました。
 
 にも関わらず、私がお気楽に図工を享受していたのは思うに私の少年時代が戦後の混乱期で(昭和二〇年国民学校入学)、図工の教育方針にまで手が回らないアナーキーな時代だったからかも知れません。当時の図工の教科書というものをどうしても思いだすことができませんから、著者も触れているように、そんなものはやはりなかったのだと思います。
 図工の教科書といえば、私の少し上の世代にはいわゆるお手本帳があって、うさぎや馬やとんぼなどのお手本が載っていて、それを見ながら描くというより引き写すのですが、私の時代にはそれすらもなく、それがとても欲しかったのを覚えています。

 教師もほとんど戦場にとられていましたので、代用教員ばかりで、図工の指導といったものをされた記憶はほとんどありません。彼女(代用教員は女性が多かった)たちもまた、何を教えていいかわからなかったのではないでしょうか。
 第一、画材そのものがなかったので、褐色のわら半紙に鉛筆で何かを描くのみでした。クレヨンというものを手にしたのはしばらくしてからです。
 ついでながら、音楽の時間も学年にたった一つしかないハーモニカの回し吹きで、前のやつが青洟など垂らしていると、受け取ってから自分の服の袖で必死に拭いてから口にするのでした。

 先にも触れましたが、こうした私の無邪気な(?)図工の受容にもかかわらず、その背後にはわが国開国以来の図工、ならびに美術教育一般の紆余曲折の経緯があったことがよくまとめられています。
 これはまた、美術を教えるということはどういうことなのか、そこで何を教えるのかが私が享受した「アナーキーで虚妄な自由」をも凌駕して検討されていたことがよくわかります。

 なおこの章の末尾にある「金子・柴田論争」なるものは、これまでの美術教育の歴史的経緯を象徴すると共に、教育論にとどまらず、美術(の伝達)というものへのある種の姿勢についても問うところがあるように思うのですが、余裕があれば後述いたします。

 さてさて、またしてもだらだらとした感想の羅列で、第二章にとどまったままなのですが、私よりもずっと後の時代に美術教育(図工)を受けた人は、自分の往時の経験と、ここでの大野さんのレポートとを付きあわせてみると面白いと思います。

 というようなわけで(どんなわけだ?)、私の文章はまたしても完結しません。
 したがって次回へとズレこむのですが、次回はこの書の最終章、第三章の「アートは底の抜けた器」と題されたものへと進みます。どうやらこれは、いわゆるアートへの離縁状のようなもの、とりわけ、著者大野さんがアーティストから卒業(逸脱?脱落?)してゆく過程を示すようでスリリングではないかと思います。

 長くなってゴメンナサイ。では、またね、
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする