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【書を読む】忘却された混沌とその記録・1950年代

2011-02-19 02:03:13 | 書評
 『1950年代----「記録」の時代』 鳥羽耕史(河出書房新社)

 私の自分史と照合するなら、朝鮮戦争特需の「金偏景気」に便乗して空き地や周辺から集めた屑鉄など金っ気のものを業者のところへ持ち込み、キャラメル代を稼いでいた小学校の高学年の頃から、何も分からないままやたら自意識過剰な中高生時代を経て大学へと進み、やがて、安保闘争へと傾斜してゆく10年間に相当する。
 いまから振り返ると、その時代は戦後世界がその後、半世紀にわたる冷戦体制へと固定化されてゆく時代(先に触れた朝鮮戦争もその一環)であるが、その内実についてはその後の60年代に比べさほどクリアーではない。とりわけ、わが国におけるそれはいわゆる55年体制などを前後して複雑な経由を辿っただけに一層、不鮮明である。

         

 この書は、その不鮮明な時代を、様々な抵抗運動を試みた側の記録を収集することによって解明しようとする試みである。従ってこの書は、「記録の記録」という多かれ少なかれ自己言及的なものたらざるを得ない。
 第一章で、50年代がミッシング・リングとして現代に繋がることを示唆した著者は、第二章で当時の運動形態であった「サークル運動」とその記録を展開するのだが、若い読者は、初めて目にする固有名詞の羅列にいささか戸惑うかも知れない。乱暴な言い方で著者には申し訳ないが、分からないところは飛ばしてもいいだろう。

 なぜなら、この書は第三章以降俄然面白くなるからである。
 ここで紹介されている闘争のプロパガンダに参加しているメンバーの多様性には目をみはる。
 社会主義リアリズムをお題目にしている当時の「党」是とは全く相反する(果たせるかな後日離反してゆくのだが)アヴァンギャルドの芸術家たち、シュールリアリストやダダイストたちが例えば小河内ダムの建設現場を対象とした山村工作隊の分隊、「小河内文化工作隊」として現場にも往来し、絵画や映像、文章などで「参戦」しているのである。
 敢えて参戦と書いたのは、当時の党は、山村工作隊を体制に対する革命戦争として位置づけているからである。
 だとするならば、ここへ参加した芸術家たちは、戦争中の従軍芸術家との連続性を持って語られるべきかもしれない。

 第四章はテレビや映画との関連でドキュメンタリーないしはそれを模した映像作品について語られる。
 そこでは、検閲による修正、自己規制、イデオロギー的限界によるそれらの揺れが語られていて、面白い。

 先にこの書が「記録の記録」として自己言及的であるといったが、記録にはもうひとつの自己言及性がある。
 それは、記録はある状況下においてそれを叙述するものとして行われるのだが、一方、その叙述によって状況へと影響を及ぼし、それがさらに叙述されるという自己運動的なものを内包するということである。
 それが、この書の第五章、第六章が示しているところである。
 そしてそれは、今なお状況を記録し続ける人にとっては重要な示唆を含むものである。
 かくして私たちは、状況を記録するということがもつ一見、受動的な行為が、その実、実践的な行為でもあることを学ぶのである。

 本書は、あたかもミッシング・リングのように背景に退いている50年代を、その記録の面から明るみに出そうとする画期的な企図をもっている。もちろんこの小冊子でそれがすべて達成されたわけではないが、そうした問題に端緒をつけた意味でも本書の存在価値は充分にある。
 それらを前提にしての無い物ねだりだが、この年代のど真ん中、55年は様々な意味でもう一歩突っ込んで特記さるべきだと思う。一つには、いわゆる55年体制という政治的バランスが半世紀にわたってこの国を支配したからであり、もうひとつは、この書では「背後の主役」である「党」が、これまでの武装闘争路線とそれの賛否を巡る壮絶な党内闘争をいわゆる「六全協」によって終結した年であるからである。
 そして、この一つの結節点は、それ以前と以後との「記録」のありようにもなにがしかの関わりを持ったに違いないからである。
 例えば、「火炎瓶闘争」(ビフォアー)と「歌ごえ運動」(アフター)のように。






コメント (3)
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