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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

節操がない「春」への日記

2011-02-23 03:45:38 | 花便り&花をめぐって
 この前の日記が冬木立の美しさについてだった。
 そこで急に「春」を語るのはいかにも節操がないではないかと自問する。
 しかし、自然はそれに先行する季節のなかで、静かに、だが確実に次の季節を用意する。
 私のような鈍感な人間は、ある日、何かのきっかけで急に次の季節の到来を知ることとなる。

     
 
 農協の野菜売り場に付帯した花売り場の花の種類が確実に多くなりその色彩感を強めている。
 よそ様の花ばかりではない。
 私のうちの猫の額に庭にも確実な変化が・・・。

      

      

 亡父の遺した紅梅の鉢はチラホラ花を付けはじめた。
 せっかく花芽を数えるに至ったのに、30センチのどか雪にやられたしまった日本水仙のあとを追って、
今度はラッパ水仙が芽吹きはじめた。

      

 人の世と同様、巡る季節はもう後戻りはしない。戻り寒の寒さが襲おうが、一気に春へと走り出した
勢いがある。
 遅まきながら春に追随しつつも、春には春の愁いがあるなどとくだらない先回りをしているひねくれ
者がいる。むろん私のことである。

 そんなことは知ったことかと、生を受けた春たちは、ひたすら自らの命に華やぐ。
 私もまた、素直にその華やぎのうちに浸りたいとは思うのだが、寄る年波の猜疑心のようなものが私
を抑制する。
 弱ったものだ。
 やはり春は、私のように不純なもののためではなく、その季節に素直に共感できる若さのうちにある
のだろうか。

コメント (4)
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