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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

嘆きのマドンナと私の任侠道

2010-09-18 02:38:12 | よしなしごと
 私が卒業した小学校の同窓会を行いたいので協力してくれという申し入れがありました。
 今からおおよそ60年前に卒業した小学校です。
 本来なら断るところです。
 なぜなら、私はその小学校は卒業したものの、5年生の3学期までは疎開先の田舎の小学校に在籍していたため、この学校では一年と三分の一を過ごしたっきりの完全な外様だからです。

 でも、結局は引き受けることになりました。
 なぜかというと、私のところへそれをいってきたのが、そのクラスのマドンナだったからです。
 数々の「スターバト・マーテル」(嘆きのマドンナ)を聴いてきた私としては、マドンナを嘆きに陥れることはできません。

      

 で、なぜ私のところへお鉢が回ってきたかというと、ズーッと幹事をしてきた男性の娘さんが不幸にして病魔に屈したからだというのです。それ自身は大変お気の毒な話ですが、それがどう私に関わるかというと、その幹事の娘さんこそが彼の秘書よろしく、パソコンを駆使し、案内状などを作成していたというのです。そして彼女亡き後、もはやそれが不可能で、周りを見渡したところ、パソコンなどいじっているオタクっぽいのは私しかいないということなのです。

 この娘さんを亡くした男性は、転校生の私を受け入れてくれ、一緒に遊んでくれた人でもあります。その彼が不幸に見舞われ、その窮状がマドンナを介して伝えられとしたら、任侠道に生きる私がどうしてそれを断ることができましょうか。

 で、パソコンでもって往復葉書の文面を作り、プリントアウトすればいいぐらいに思って引き受けたのですが、それが大まちがいのコンコンチキ。
 もう、企画の段階から丸投げされた状況なのです。
 一泊にするか日帰りにするか、あるいはその複合型にするか、その場合の行く先は、あるいは経費は、とその段階からタッチしなければならないのです。

      

 ほんとうのところ、私はいま忙しいのです。
 定期的にある連載の仕事のほか、仲間のひとたちと始めた同人誌に載せる文章がまだ未完成ですし、その雑誌にかかわるいろいろな仕事もあります。
 そのほか、月末近くには若い人たちとのヴィトゲンシュタインの勉強会があり、それへの予習も必要です。
 
 でも、メリットもあります。
 かのマドンナの携帯から毎日ぐらいメールが入り、メールのやりとりではらちがあかないので逢いましょうというお誘いがあることです。
 そんなお誘いがあると、締め切りがあろうが、同人誌がどうだろうが、はたまたヴィトちゃんがどうだろうが、ほいほいと出かけてしまう私なのです。
 
 もちろん、私がどう努力しようが、このマドンナと結ばれる可能性は限りなくゼロに近いのです。
 私の任侠道は寅さんのように自虐的です。
 任侠道に生きるというのはつらいことですね。

 

コメント (3)
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