もう稲刈りが終わったところもあるようですが、この辺の田圃ではやっと穂が出揃ったといったところです。
夕方、出かけた帰り道のことです。
そんな田圃に向かって座り込んでいる年配の女性を見かけました。
手前はバスも走る道路で、けっこうひっきりなしに車が往来します。
ほらこんな具合にです。
しかしこの女性、稲に向かってなにやら真剣な面持ちです。
たぶん、稲穂についた実の数を数えていたのではないかと思います。
それは、豊凶を占う一つの大切な方法なのです。
この田圃も例外なく、田植機やコンバインなどでほぼ完全に機械化された中で米作りが行われていることを私は知っています。
しかし、この女性の稲と向かい合った姿は、それを感じさせず、まるで稲と対話をしているようなのです。
たぶん、この年代の人ですと、一本一本の苗をまさに手植えをして(私も小学生の折手伝いでしたことがあります)、さらに炎天下で田の草取りをし、収穫時にはひと株づつ鎌で刈り取った経験があることでしょう。
その背中からは、重労働であったとはいえ、稲という植物と日常的に向き合って生活してきた往時を懐かしむような感じも伝わってきました。
そういえば、豪雨などによる増水の折、田圃の見回りに行った老人が流されて死亡するという報道によく接します。自然の脅威の前には、わざわざ見に行っても何ともしようがないように思うのですが、それでも稲を見捨てることはできないのでしょうね。
私はそれらの報道に接すると、殉職・殉死を思います。
この女性の背中からも似たようなものが伝わってきます。
何か神々しいののなどというといささかオーバーでしょうか。
彼女個人がというより、その背中を通じて何千年間かの農耕民族のたたずまいのようなものが伝わってくるのです。
しばらく行ってから振り返ると、この老婦人、田圃へと降り立ち、わさわさと中へ分け入って行きました。
きっと、雑草が生えているのでも見つけたのでしょう。
「一粒の米でも獲れるのには一年かかるのだぞ」と諭してくれた祖母のことを思い出しました。
生きていれば130歳にはなろうかというこの祖母、農家の主婦として働きながら、死産や養子に出したのも含めると、12人の子供を産んだのでした。
田圃に佇む老婦人を見かけた瞬間から、私が感じたそこはかとない懐かしさのようなものは、この祖母の思い出であったのかも知れません。