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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

花の命は短くて・・・あっと驚く為六郎

2009-07-16 03:52:01 | 花便り&花をめぐって
 最初に、オヤこんなところに蓮の畑がと思ったのが6月の28日でした。
 それ以来時折覗いたのですがさしたる変化はありませんでした。

 

 そして7月9日、ついに蕾をひとつ見つけました。
 その折り、重なる葉の陰で、すでに花開いていたものもありました。
 その蕾の有様ですが、もう今にも花開かんとする風情でしたので、その後も折りに触れて通りかかり見続けたのですが、少しずつ蕾は大きくなっている様子は見えるものの、なかなか開花しませんでした。
 13日もそうでした。

    
 
 しかし、14日、ついにそれ花開く時を迎えたのです。
 全体にピンク色なのですが、花弁の先ほど色濃く、その淡いグラデーションが微妙なアクセントをもたらしています。
 しかし、写真で見るように、まだたなごころを丸めたぐらいで、明日にはさらに艶然と開くのではないかと期待させるものがありました。

    

 そこで15日、期待を抱きながら何度目かの訪問をしました。
 そして驚きました。
 花弁一枚残さず完全に散って、その跡にはこの植物の名前の由来になったという蜂の巣(はちす→はす)のような果実の部分が残されているのみなのです。昨日からのほぼ24時間、激しい風雨などはありませんでした。
 つまり蓮の花は開花して一日の寿命しかないのです。

    

 この辺りは湿地帯でもないので蓮根畑もほとんどありませんが(現に、私が目撃しているのも畑の中にやや唐突にある蓮根畑なのです)、加えて、これほど寿命が短いがゆえに、この花を目撃する機会が少ないのかも知れません。

 まあ、散ったものは仕方がないにしても、幾分哀れを誘うのは、その散った残骸がまるで証拠品のように残されていることでした。
 一番下の写真をご覧下さい。
 左下の最寄りの葉に白く積み重なったもの、これこそ昨日はピンクに輝いていたあの花弁たちの終焉の姿なのです。

    

 標題にした「花の命は短くて・・・」というのはある程度年配の方はご存じだと思いますが、作家・林芙美子の『浮雲』の中の言葉で、「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と続きます。
 これだけを見ると、何となくロマンチックな感じで、事実、この言葉だけが一人歩きすることが多いのですが、彼女自身は決して一筋縄では行かない人で、ドストエフスキーを結構読み込んでいたりするようです。

 私のもっている1937年発刊の「林芙美子選集・第五巻」(改造社)の彼女の後書きは、こんな引用によって括られています。
 「世世常住なるは流転のみだ 生は死にいたる永劫の出血である(ビヨルネ)」
 なお、このビヨルネという人はいろいろ検索してもよく分かりませんでした。
 おそらく、70年ほど前には、書を読むひとには知られていたのかも知れません。

 私がこの本にこだわるのは、それが林芙美子の直筆サイン入りだからです。
 森 光子さんが大奮闘をして芝居の方は大受けですが、それを契機に林 芙美子ブームが起きないだろうかと密かに期待しているのです。そしたらこの本をお宝鑑定団に出して・・・。

 あ、私ってやはり文学とは無縁のようですね。
コメント (2)
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