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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

お通夜は最前列で 合理主義者のガイド

2009-01-16 13:53:43 | よしなしごと
 私の友人に、早とちりをして別人の葬儀に出かけ香典まで置いてきたというものすごい人がいますが、これから述べるのは逆にしっかり者の話です。

 高校時代の同級生が逝きました。
 それほど親交があったわけではないのですが、かといって全く疎遠であったわけではありません。別れの儀式には行くことにしました。お通夜とお葬式両方は負担なので、どちらか一方ということで日程の都合などからお通夜を選びました。

 10人近い同級生がきていました。
 闘病生活がある程度続いていたこともあって、悲壮感はあまりないようです。むしろ、絶望的といわれてから幾ばくかの時間を経てケリがついたという点で、本人も解放されたのではという感が強いようです。

 
         葬儀の翌日は雪でした いずれも私の部屋から

 友人たちとホトけの顔を拝みました。それが少年の頃の面影を見事にとどめているのを見て、さすがに胸に迫るものがあり、思わずウルウルとなりました。
 「綺麗な死に顔だなぁ」「見舞いに行ったときはもっとボロボロだったのに」などという感想が友人たちのものでした。去年、『おくりびと』という映画を観て、なにゆえホトケは綺麗なのかを知ってしまった私ではありますが、さすがにそれが納棺師の技能の為せる業であるとは言い出しかねて黙っていました。

 さて、着席という段になって私が後ろの方に遠慮がちに座ろうとしていると、つきあいが広く、いかにも葬式慣れをしているような友人が、「おい、こっちこっち」と手招きをします。見るとそれは最前列でした。
 「これでは前すぎるのでは?」とおずおずしている私に、「まあ、いいからいいから」と友人。

 結局、彼の指示は的確にして当を得ていたといえます。
 読経の間は退屈なものです。しかし、最前列のおかげでいろいろ見ものがあります。導師の所作を見ながらその意味を考えたり出来ます。親族を観察し、誰が一番悲嘆の情を表しているのだろうと観察したりも出来ます。
 やはり、喪服の女性は綺麗だなと不謹慎なことを思ったりも出来ます(これはどこにいても思うことが出来ますが)。

 

 珍しく真面目な導師で、ちゃんと法話をしました。語り口はうまいとはいえませんでしたが、その内容などは骨格がしっかりしていて好感が持てました。
 これも前の方だからこそよく聞こえ、またその表情もよく見えたたといえます。

 しかし、最前列に座った効用はそれ以降でした。
 いよいよ焼香の段となりました。親族などは近しい順にお棺の前でするのですが、一般の参列者は別途設けられた場所で、順不同とはいえおおよそ最前列からの順となります。
 ほとんど、いの一番に焼香を済ませました。
 お通夜というのは、葬儀のようにお見送りなどもなく、焼香が済めばそれで終わりなのです。いわゆる「流れ解散」です。

 かくして私と友人は、焼香の順を待つ長蛇の列を尻目に、スイスイと会場をあとにしました。
 「な、早く終わるだろう。これでまた車も出しやすいんだ」と友人はいいます。
 なるほど、焼香を終えた客は一斉に駐車場に出て車を始動させようとします。ところが、それが各自一斉なので、混乱してなかなか車を出すことが出来ません。
 かつて、ドジな私は駐車場から出るまでに随分の時間を要したものです。

 私が駐車場を出る頃、やっと人々が車に辿り着きだしました。これから混雑が始まるのです。私の家は、葬儀場から20分程ですから、私が家にたどり着いた時点で、最後の方の人はやっと駐車場を出る頃でしょう。

 

 何ごとにも要領いい奴がいるものだと感心しました。
 お通夜の席で、さほどホトケと親しかったわけでもないのに最前列でふんぞり返っている奴がいたら、それはこうした要領のいい奴だと思って間違いありません。
 私も今後、そうするつもりです。

 え?こんな話はホトケに対して不謹慎?
 そんなことはありません。後ろの方で退屈してあくびをかみ殺しているより、むしろいいのではないでしょうか。最前列にいればこそ、お通夜に参加したという充実感すら味わえるのですから。
 
 なあ、Gよ、お前もそう思うだろう。
 お前も俺のお通夜の時は最前列に来い。
 あ、無理か。お前の方が先に逝ったんだっけ。         合 掌





コメント (4)
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