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心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

「革命」は死語でしょうか?

2009-01-05 04:00:28 | 社会評論
 もうおめでとうはいいましたよね。
 今年はちょっと異変のあった正月でした。

 わが世の春とふんぞり返っていた大企業があたふたしているのは「おざまをご覧遊ばせ」といったところですが、その富を築いてきた労働者が、とりわけ、派遣とか不正規とかで都合のいいときだけ利用された人たちが、使い捨て同様、冬空に放り出されるのは我慢ならないものがあります。
 今回の事態には、もちろん速やかに対応すべきですが(企業はこれまで上げてきた利益を取り崩し、救済に当てるべきだ)、同時に、これだけ派遣や不正規がはびこる雇用形態の異常さを根本的に改めねばなりません。

 そのためには、1986年から施行されている派遣法そのものに立ち戻り、とりわけ、1999年と2003年の改悪で、あらゆる業種に派遣が可能になった経緯が再検討されねばなりません。これは、明らかに労働者使い捨て法案に他ならないからです。

 
   我が家の玄関先の六蛙(むかえる)おかげで新年を六蛙ことが出来ました

 さらにもうひとつ、こんな「蟹工船」的、「女工哀史」的状況が改善されないのなら、資本主義的生産様式そのものを対象にしたアルタナティヴなシステムを志向すべきではないでしょうか。
 長い歴史のスパンでみたら、この資本主義的生産様式はたかだか150年を経過しただけのシステムで、決して人間にとっての自然条件ではないと思います。

 前世紀、社会主義という試みがありました。
 これがまた、ある種の抑圧や悲惨を結果し、その終焉を迎えたことは周知の通りです。
 当然のこととして、この再興を図れというわけでは決してありません。それ自身の限界は既に明らかだからです。

 
           昨日行った本屋の駐車場かあら

 残念なのは、それらが惨状を呈したということで、それ以降、現行のシステムの限界を見定めそれに変わるアルタナティヴなシステムを志向するという動きそのものが見られないことです。
 確かに、「大きな物語」の時代は終わったかも知れません。
 しかしながら、現実に生起している事態を目の前にして、対処療法的なものをつぶやくだけでは、それらは常にごく部分的な療法を可能にするのみで、再発は必至だと思われます。

 アルタナティヴなシステムの追求を若い人たちや学究に期待します。
 もちろん、セーノでそれを実施したら、あらゆる問題が霧散するなどと夢見ているわけではありません。否、むしろまた、新しい問題すら起こりうるでしょう。
 しかし、漸進的に人類の悲惨を減少することは出来るのではないのでしょうか。


             何じゃこりゃ?

 これは、私の高校生の時からの夢です。
 その夢を巡り、幾多の誤りを犯し、無為な彷徨をもしてきました。
 半世紀を経た今、なおかつその夢にすがりついています。
 難儀なことですね。

 


コメント (2)
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