浅川マキのライブへいってきました。
ジャズ・イン・ラブリィ@名古屋です。
実は私、彼女の隠れファンなのです。
といっても、物事にそれほどおタッキーになれない私は、つかず離れず付き合ってきたといえます。
しかし、ファン歴は長いのです。60年代後半に、彼女が「かもめ」と「夜が明けたら」でレコードレビューをして以来のファンです。
もう40年以上になるのですね。
当時は、岐阜ー名古屋間を車で往復していましたから、もう既に廃れつつあるカセットデッキのそのまた前の、一本のカセットが弁当箱程もあるようなエイトトラックのデッキを買い込んで、それらを車中で聴いていました。
正直に告白しますが、加藤登紀子流のストレートなメッセージや、多少暗くとも所詮は明るいところへ戻るんだろうという疎外論的なスタンス(?)より浅川マキの方が好きです。
彼女は、悲しみも暗さも惨めさも丁寧にとり上げて歌います。しかし、そこには憐れみを乞う姿勢はありません。ルサンチマンがないということです。
そこからは、それらを総て引き受けながら、それにウィといって生きている人間模様が立ち上がってくるようです。
彼女の歌い方が、それに息吹を注ぎます。
彼女の歌はもともと歌と語りのグラデーションのようでしたが、ここへ来てその要素は一段と強くなったようです。
宣言でもなく、ぼやきでもなく、「私こう生きてるのよ、なにか?」というまさに生きている場をそこに刻印するような歌なのです。
時にはアカペラで、そして大半はセシル・モンローのドラムスのみをバックに歌われます。それがいっそう彼女のモノクロ風の表現を引き立たせているようです。
休憩を挟んで二時間程のライブが終わりました。盛大な拍手で見送られたことはいうまでもありません。
ラブリィというこの店、高名な割に狭く、店舗内に楽屋を設けるスペースがありません。演じ終わったアーティストは、店の外へ出て別の場所にある楽屋へ向かいます。
彼女が出ていって、さしもの盛大な拍手がおさまろうというときです。再び拍手の音が大きくなりました。振り返ると、一度外に出た彼女が引き返してきてアンコールに応えようというのです。
彼女のライブをけっこう経験している人も、こんな風にアンコールに応えるのは初めて見たといって喜んでいました。
「ハスリン・ダン、わたしのいいひと~」
彼女のアンコール曲が流れます。むかしよく聴いた懐かしい曲です。
もう青年とはいえない年代でしたが、いろいろ思い煩うことがあった折りに聴いた彼女の歌は、意外と体の芯にまでしみ込んでいるようです。
岐阜へ着き、自転車を漕いでいると、「ハスリン・ダン」という彼女の少し鼻にかかった歌声が、真夜中の路地からふいに聞こえてくるようでした。
ジャズ・イン・ラブリィ@名古屋です。
実は私、彼女の隠れファンなのです。
といっても、物事にそれほどおタッキーになれない私は、つかず離れず付き合ってきたといえます。
しかし、ファン歴は長いのです。60年代後半に、彼女が「かもめ」と「夜が明けたら」でレコードレビューをして以来のファンです。
もう40年以上になるのですね。
当時は、岐阜ー名古屋間を車で往復していましたから、もう既に廃れつつあるカセットデッキのそのまた前の、一本のカセットが弁当箱程もあるようなエイトトラックのデッキを買い込んで、それらを車中で聴いていました。
正直に告白しますが、加藤登紀子流のストレートなメッセージや、多少暗くとも所詮は明るいところへ戻るんだろうという疎外論的なスタンス(?)より浅川マキの方が好きです。
彼女は、悲しみも暗さも惨めさも丁寧にとり上げて歌います。しかし、そこには憐れみを乞う姿勢はありません。ルサンチマンがないということです。
そこからは、それらを総て引き受けながら、それにウィといって生きている人間模様が立ち上がってくるようです。
彼女の歌い方が、それに息吹を注ぎます。
彼女の歌はもともと歌と語りのグラデーションのようでしたが、ここへ来てその要素は一段と強くなったようです。
宣言でもなく、ぼやきでもなく、「私こう生きてるのよ、なにか?」というまさに生きている場をそこに刻印するような歌なのです。
時にはアカペラで、そして大半はセシル・モンローのドラムスのみをバックに歌われます。それがいっそう彼女のモノクロ風の表現を引き立たせているようです。
休憩を挟んで二時間程のライブが終わりました。盛大な拍手で見送られたことはいうまでもありません。
ラブリィというこの店、高名な割に狭く、店舗内に楽屋を設けるスペースがありません。演じ終わったアーティストは、店の外へ出て別の場所にある楽屋へ向かいます。
彼女が出ていって、さしもの盛大な拍手がおさまろうというときです。再び拍手の音が大きくなりました。振り返ると、一度外に出た彼女が引き返してきてアンコールに応えようというのです。
彼女のライブをけっこう経験している人も、こんな風にアンコールに応えるのは初めて見たといって喜んでいました。
「ハスリン・ダン、わたしのいいひと~」
彼女のアンコール曲が流れます。むかしよく聴いた懐かしい曲です。
もう青年とはいえない年代でしたが、いろいろ思い煩うことがあった折りに聴いた彼女の歌は、意外と体の芯にまでしみ込んでいるようです。
岐阜へ着き、自転車を漕いでいると、「ハスリン・ダン」という彼女の少し鼻にかかった歌声が、真夜中の路地からふいに聞こえてくるようでした。