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反日的『靖国』に抵抗する人たちの「反日性」

2008-05-29 05:10:51 | 映画評論
 以下は、あるネット上で行った、映画『靖国 YASUKUNI』が「反日的」だと断定するひととのやりとりです。
 彼はその根拠のひとつとして、執拗にチベット問題を対置しています。
 その是非はともかく、そのやりとりを固有名詞のみ変更し、そのまま掲載します。 

 


<私の発言>
 ***さんが何をおっしゃりたいのかがよくわからないのです。
 『靖国』という映画を評価できないということならそれはそれでありです。
 しかし、最初の発言は、あの映画が「反日」だから駄目だというように読めます。ところが、ドキュメンタリーは中立でなければならないかの問いには、そうではないとおっしゃっています。

 詰まるところ、あの映画にはチベット問題が出てこないからけしからんということになります。

 しかし、多くの方が指摘していらっしゃるように、あの映画はすでに昨年中にできあがっていて、配給の手はずも昨年末には終わっていたのです。
 その公開が遅れたのは、ひとえに、稲田議員やそれに呼応した右翼の脅迫活動があったからです。

 ***さんはチベット問題が出てこないからあれは駄目だと金科玉条のようにおっしゃっていますが、それは無い物ねだりで、地球温暖化についてのドキュメンタリーに、ディズニーランドのエネルギー消費問題が出てこないといっているようなものです。

 ちなみに申し上げますが、私は、チベットの件が何ら問題ではないといいっているわけではありません。漢民族の資本支配による格差の拡大などが問題であることはいうをまちません。その意味では嫌中で騒いでいる人より真剣にチベットの将来を考えています。
 
 ダライラマを中心とする宗教国家として独立したらチベット問題は解消すると本当にお思いですか(念のため、これは中国にとどまれという意味ではありません)?
 嫌中派の人たちは、中国憎さの余り、チベット問題を喧伝しますが、チベットの人たちが真に解放されるためには何が必要なのか本当にまじめに考えていますか?チベットの人民などはどうでもよく、ただ、現在の中国を叩くことが出来ればと思ってはいませんか?

 ***さんへの質問です。
1)靖国に関する映画が、なぜチベットに言及しなければならないのですか?
2)チベットが真に解放されるためには何が必要か、そのイメージをお示し下さい。
3)好むと好まざるとに関わらず、13億の人を抱えた広大な国家が隣国にあります。その国家とどう関わっていったらいいとお思いですか。
4)映画「靖国」は、そのためのひとつのイメージを提起しているように見受けました。***さんはご覧になってどううけとめられたのでしょう?
5)最後に、あの映画の上映阻止に動いた部分があったことはご存じですね。それに対してはどう思われますか?


 

<それに対する***さんの返答>

1)靖国に関する映画が、なぜチベットに言及しなければならないのですか?

 「映画がチベット問題に言及すべき」とは言っていません。「監督その人が言及すべき」と言っているのです。意味のわからない解釈をしないでください。

2)チベットが真に解放されるためには何が必要か、そのイメージをお示し下さい。

 チベット解放とは独立ということですか?だったら私は別に支持しません。それがチベタンたちの幸福に必ずしもつながるとは思えないのです。ただ弾圧をやめろというだけです。なにが必要って中国共産党政府の政策変更です。そのためにわれわれの外交努力も必要でしょう。

3)好むと好まざるとに関わらず、13億の人を抱えた広大な国家が隣国にあります。その国家とどう関わっていったらいいとお思いですか。

 核ミサイルを持ち、武装をして対等の立場に立つこと。中国以外のアジア諸国を巻き込み、対中包囲網を築くこと。この二点を中心に隷属的でなく対等な外交を行うべきです。

4)映画「靖国」は、そのためのひとつのイメージを提起しているように見受けました。***さんはご覧になってどううけとめられたのでしょう?

 あの映画からだと日本の軍国主義が周辺諸国に迷惑をかけたのだから日本は反省すべし。特に中国に謝罪すべしとのイメージしか受け取れませんね。
 あなたの受け取ったイメージは?

5)最後に、あの映画の上映阻止に動いた部分があったことはご存じですね。それに対してはどう思われますか?

  右翼の活動家の話ですね。野蛮であると思います。韓国で親日的な書物や作品が世に出た時の韓国人たちのヒステリックな反応を思い起こします。われわれは彼らのごとき下劣な心根を持った人々を許すべきではありません。良かれ悪かれ日本には言論の自由があります。不当に圧力をかけることはあってはなりません。

 
 

<再度私の発言>

 ***さん  丁重なお答えありがとうございました。
 いろいろ拝読し、一番の齟齬は

 >>核ミサイルを持ち、武装をして対等の立場に立つこと。中国以外のアジア諸国を巻き込み、対中包囲網を築くこと。

 にあると思いました。
 要するに、日本が核武装し、軍事力で中国を押さえつけろということですよね。

 本当にそうでしょうか。私たちは、あるいは人類は、力と力のぶつかり合いとして、ひとつの暴力にはより大きな暴力をもってして立ち向かうほかないのでしょうか。それは双方の無限競争の論理となり、軍事国家、要塞国家のまさに自由なき体制への無限展開ではないでしょうか。

 そして、それが戦前の日本を規定したものであり、それが故に日本は泥沼的な戦争へと突入し、対外的には侵略として、国内的には庶民に物言わせない絶対主義として機能したのではないですか。私は小国民としてその時代を経験しています。
 天皇の写真を納めた奉安殿の前で最敬礼をしなかったというだけで、わずか六歳の子供に教師がビンタを張る時代です。

 靖国のあのアナクロニズムは明らかにその時代へのノスタルジーを心情的に濃厚に持ち、心情的ばかりか、政治的軍事的な主張としても、富国強兵の軍備拡大、国民統制のイデオロギー的拠点になっています。
 それはまさに、***さんの主張でいっそう明らかになったと思います。

 映画は、そうした過去の悲劇をふまえながら、そうした暴力志向が、今なお根強く残っている拠点としての「靖国」をきちんと捉えています。
 ***さんのご主張により、映画「靖国」を「反日的」と断じられる方たちが、どのように日本をリードしたいのかが今更ながらよくわかりました。
 また、その反証として、あの映画の持っている価値がいっそう高いものであることを知ることが出来ました。

 私の感想を総じて言えば、***さんのようなアナクロ的な「富国強兵」こそが今日の国際情勢からしてもなじまないものであり、日本を国際社会から孤立させる「反日的」な立場であるように思いました。

 










コメント (1)
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