六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

【安倍オボッチャマン内閣ごっこの終焉】

2007-09-12 17:13:38 | 社会評論
  

 もう少し続けて頂いて、洗いざらいボロをたたき出してからと思っていたのですが、さすがご本人も、この期に及んで先行きに展望がないことをお悟りになったようですね。

 参院選で大敗しても、自分が任命した大臣がひどいことをしたりお馬鹿な発言をしても、また、数々の内政の不手際にもぼくチャン知らないもんねとおっしゃっていたのに、アメリカの軍艦に給油できなくなったことを理由にお辞めになるなんて、このオボッチャマンがどっちを向いて政治を行っていらっしゃったのかが分かりすぎて馬鹿らしいぐらいですね。

 所信表明演説のあの虚しいお言葉の数々は、亡霊となって漂うことを余儀なくされたようです。
 ついでに、「戦後レジームからの脱却」という物騒なお言葉も、霧散することを祈ります。
 夏の終わりを実感させる出来事ではあります。


     身代を傾けて去る三代目

     これもまた季の変わり目とあきあかね


   
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【フォトエッセイ】夕映えの街を行く

2007-09-12 00:21:44 | フォトエッセイ
  *以下は、10月10日の日記です。


 映画『シッコSicko』を観る。
 気安く感想が書けるほどの軽い映画ではないのでここでは述べないが、それを反芻しながら、伏見から名古屋駅前まで夕映えの街を歩く。

 

 ただ、ひと言感想めいたことを言えば、ひとたび出来上がったシステムというのはそれにしがみつく人の利害などが絡みつき、とても強固だということだ。不合理が合理となり、不正が正義となる。
 いうまでもなく、被害を受けるのは民衆の側である。


    

 暮れなぞむ街は、陽射しが次第に軟化し、辺りのものたちに溶け込むようでいながら、ある箇所では強烈に終焉前の輝きを発揮する。
 そのコントラストが私を襲い、美しくもまばゆい。


    

 街が染まり、私が染まり、私と街が融合する。もはや私は、風景のうちにあるのではない。私の受容が風景となって展開される。

 写真を撮りながら、名古屋駅前近くの飲食店で私を待っていてくれたネット上での以前からの知り合い、S夫妻と合流し夕食を共にする。
 利害関係も、過去のしがらみもない人たちとの会話は自由で屈託がない。


 

 河岸を変えようというので女子大小路のジャズバーへ行ったらあいにくのお休み、今池まで足を延ばし、私のお気に入りのバー「蘭燈」へ案内する。
 気に入ってくれたようで良かった。


    

 限界寸前で帰途に。
 岐阜駅から久々に二キロの道を歩く。
 私の影が先行する。
 その影に導かれるように私が歩く。


    

 深更の郊外は少しけだるげな風が吹いていた。
 私のねぐらが見えてきた。









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