イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

我々は見られている

2017-11-18 19:30:14 | 海外ドラマ

 ここの二~三年、気に入っている形容フレーズがあります。

「コミケで“薄い本”が出回りそう(なレベル)」

・・これ、意外と使えるんです。

 この、ネット辺境の弱小無名ブログに、何のご縁でか何度か立ち寄ってくださっているかたなら百も承知と思いますが、月河はコミックマーケットに親しい者ではありません。行ったこともないし、是が非でもまでは行って見たいとも思いません。

 ただ、コミケに集まる人、親しい人の心情にはシンパシーがあるし、コミケ独特の着眼点とか話法は、心理や感性のものすごく狭く柔らかいポイントをついたものが多くて、感心もし、ときどき感動もするのです。

 「“薄い本”が出回りそう」、ある種の人物の人間性、容貌や体型・風采・挙措を含めた外見の強烈な個性、そしてそういう個性の持ち主たちが接点を持ち合って生じる人間関係の、ある種の空気感を、感覚的に反射的に表現するのに、このフレーズ、非常にしっくり来ることがあるのです。

 先日から余韻に浸っている『パーソン・オブ・インタレスト ~犯罪予知ユニット~』が、ファイナルまで5シーズン、たるんだり息切れしたりするほどには長すぎず、ぶつ切れで物足りないほどには短すぎもせず、ほど良い緊張感と整合性を保ってフィニッシュできたのは、この“薄い本”性ではなかったかなと改めて思っています。

 薄い本どうこうなんて言い回し聞いたこともないしちょっと何言ってるかわかんない、という向きには、もっとずっと平易に“レギュラーメンバー間の恋愛要素の、限りなく皆無に近い希薄さ”と言ってもいいです。これなら超わかりやすいでしょう。メンバー間と限定するまでもなく、主要レギュラーたちの恋愛下手、恋愛低体温っぷりは恐るべきレベルでした。全員“異性との恋愛が要らない”もしくは“あきらめた”人種。恋人と、あるいはパートナーと思い思われ長続きする関係を築いて行けた、少なくとも築いていく気満々だったキャラがひとりもいないのです。メンバー中ただひとり、ひとりの異性を思い続けて、危険に巻き込まないため自分の意志で遠ざかったのちに、最終的に再び自分から帰還していった人物がいますが(ネタバレになるといけないのでメンバー名は伏せます)、それはすべてのオペレーションが終了した、ラストシーン数分前でした。

 要するに、アクション系の事件解決モノTVシリーズとしては、“色っぽい要素”“恋バナ”と、途方もなく無縁なのです。事件モノでもチーム体制、ユニット体制のお話に必ず一人ずついる“女口説き担当”の二枚目、“お色気担当”の女性メンバーがいない。ジョン・リース君(演ジム・カヴィーゼル)は立派に二枚目じゃないかと言う声が聞こえてきそうですが、ドンと一般社会に放り込んだ場合、女性から「アラ、いい男」と集めるであろう視線と同じくらい、男性からも集めそうなんだなこれが。

 ショウ(サミーン)とルート(グローブスさん)の女性二人は、もうはなっから女子力皆無、というより“女子やること”が“無理”。それでいて、ウェディング・ドレスや化粧品美容部員などオンナオンナしたコスプレも仕事と割り切って惜しげなく披露してくれるので、いやがうえにも孤高の恋愛無理感は高まり、ついにはファイナルシーズンの薬物催眠脳内シミュレーション中で、ゴリゴリの百合シーンまで展開しました。「あらら、来るんじゃないかなーと思ってたら、本当に来ちゃったよこの二人の百合!」と視聴者に思わせて“残念、シミュレーションでした”という見せ方は、制作サイドもちゃんと視聴者のくすぐってほしいポイントをわかってやってるなという気がしてある意味スカッとしました。

 チームの創設者にして頭脳であるハロルドに至っては、ルックスからして短躯白皙、メガネに帽子、過去の古傷で片脚引きずる、犬(名前“ベアー”)連れ・・と、“どこから入っても萌えられる”属性満載。随時挿入されるマシン開発前後の過去時制のシーンで、思い人らしい女性の存在は確認できるのですが、彼女よりずっと仕事上のパートナーで共同経営者でもあったネイサン・イングラムとのほうに“お似合い感”がありました。元・汚職警官でカーターさん亡きあと、チームとNYPDとのパイプ役兼“ドラマ世界とリアルとの懸け橋”役になってくれたメタボなファスコ刑事は、セリフでバツイチシングルとわかりデスクに一人息子の写真が飾ってあり、対象者が“若い金髪美女”と聞くと前向きになるなど、健康的な中年男らしいガツガツ感はガス抜きとして出していましたが、同時に“どこから見ても女に縁がないルックス”で出落ち相殺。こういうマッチポンプなキャラを一人配しておくのもつくづく抜かりがない。男と女の“色っぽい話”が入り込んだところから物語世界がグラつき腐って行かないように、細心の手配りがほどこしてあるのです。

 この細心さから否応なく立ち込めてくる“薄い本出回りそう”感。ありがち恋愛要素を封じれば封じるほど、“薄い本”系の想像は自由に羽ばたけます。「結局、ホモとかゲイとか、百合とか薔薇とか攻め受けとかそういう解釈で妄想するってことでしょ」と決めつけめさるな。別に人物全員をそういう目で見る必要はないのです。人物同士の心情のかよい合いに、“恋愛要素だけが無い”ことで、こんなに物語世界が豊饒になり、セリフにされない部分が雄弁になるのかと、特にファイナルシーズンは息を継ぐのも惜しいテンションが続きました。

 どんな危険も、困難な状況も、恋愛感情が介在すれば買って出る、飛び込んで突破するのはドラマ的には当たり前です。好きな異性のため、或いはその人の大切な物(子供など)のためとあらば自分が痛い目に遭い果ては命を落としても悔いはない。ドラマの中で“恋愛感情”は誰もが納得する切り札モティベーションです。

 だからこそ逆に、主人公たちが命を賭する、或いは生きて帰れないに決まっているオペレーションに身を投じる描写があって、なおかつ“動機は鐚一文、恋愛じゃない”という入念な基礎工事が敷いてあったら、もう薄い本的に萌え、いや燃えるしかないのです。それこそ一本道の袋小路に追い込まれるように火の手が高く上がる。

 長年、スーパー戦隊ウォッチャーの月河は“チームもの”が大好物ですが、たとえば「ピンクはグリーンが好きっぽい」「でもブラックがピンクを好きっぽい」みたいな匂わせ描写があると「あーあ」とそこからウォッチ意欲がガタ落ちになり、立て直すきっかけを探すのに苦労してきました。いっそガチの情熱恋愛メラメラドラマならそれはそれで嫌いじゃないのですが、チーム事件解決モノで恋愛が介在すると、苦労して組み立てられた難局ぶつかりや危機突破シークエンスがすべて“当たり前”になってしまうのがどうにも残念なのです。

 『パーソン・オブ~』は、こういう長年抱えてきた残念さを掬い取って「ホラこれなら緩まない下がらないでしょ」と一挙解決してくれたような爽快感あふれるTVシリーズでした。全5シーズンというヴォリュームも、シーズン中・シーズンとシーズンの間の高揚曲線も、上げっぱでなくだらだら台地状でもなく絶好だったし、今後これくらい切れ味のいいシリーズに出会えるかどうか難しいくらいだと思います。

 月河と似た嗜好で「チーム事件モノに恋愛介在させるの反対」とひそかに思っているかたには是非一度『パーソン・オブ~』視聴をおすすめします。前の前のエントリで書いたように、このシリーズ、本腰視聴に入るまでにいったん縁が途絶えかかったりもしたことがあったのですが、やっぱり、何かが呼んだんでしょうね。

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マシンあれば必ず真心あり

2017-11-14 00:04:05 | 海外ドラマ

 『パーソン・オブ・インタレスト ~犯罪予知ユニット~』のファイナルシーズン完視聴を未だ引きずっています。“踏破”に長くかかった分、よく視聴意欲が途切れなかったものだと、自分に感動している部分もあります。

 もうこれでこのメンバーと新しいエピソードで会う事はないんだな・・という、ロングシリーズ終了につきものの一抹の寂寥感(“〇〇ロス”という表現は全力で避けたい)もありますが、物語の結構として、「如何に強力で優秀な社会監視管理システムができようとも、“個人の自由意志による選択と決断”がすべてに優越する」という思想をつらぬいて終わってくれたのは、トランプ政権下めっきり内向きで料簡が狭くなり気味とはいえ、さすが自由主義の国アメリカのドラマらしくて頼もしいなと思いました。

 それからもうひとつ、日本でも言い古された言葉なのでいまさらアメリカのドラマで、とも思いますが「ひとりの命がすべてより重い」思想。ドラマのセリフとしてはこういう表現ではなかったのですが、まんまコピペすると未見のかたにネタバレになってしまうので控えます。全ての人間の誕生から死まで、あらゆる行動や発言までもビッグデータ化して取り込んでいくシステムが存在したとしても、ひとりの人間は決して“データの一片”ではないのです。ひとりの人間の命、存在が、別の或る人にとっては世界のすべてに優先することもある。

 些少で無名でとるに足りない人間ひとりが死んでも、ビッグデータ基準では何も左右しないし、死ぬ前と死んだ後とで世界が変わるところは何もない。しかし一人の記憶にでもとどまり、思い出してもらえたら、意味のない命ではなかったのではないか。

 “万能人工知能による社会監視システム”を主役の一端に据えたドラマで、いまさら「やっぱり個人の意志」「やっぱり人ひとりの命」でまとめるのはあまりにいまさら過ぎるようでもありますが、毎日毎秒、国際紛争介入や銃器犯罪、薬物事犯で“人ひとり”を平然とバコバコ殺ぎ倒しまくっている国で制作された作品だからこそ“いまさら”に必然性がある。

 ふと思い出したのですが、我が国のTVロングシリーズ『相棒』で、防犯カメラの顔認証システムをテーマにしたエピソード『神の憂鬱』が放送されたのがシーズン8最終話、2010年3月でした。『パーソン・~』のパイロット版初放送が11年9月。一年半弱、我らが『相棒』が先んじた!なんてこたぁ言いません。9・11がひと昔前になろうという時期、「テロも恐ろしいが、テロを全力で食い止めるべく作られたソフトも、気がついたらテロよりかなり恐ろしい」という気分が、洋の東西を問わず、特にテロの標的にされやすい立場にいる国の多くで、立ちこめてきていたのだと思います。

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鶚(みさご)

2017-11-12 01:21:07 | 海外ドラマ

『パーソン・オブ・インタレスト ~犯罪予知ユニット~』ファイナルシーズン最終13話まで完視聴。ふぅーーー。今年は『C.S.I. 科学捜査班』に続いて、TVロングシリーズのビッグタイトル2本、ゴールテープを切ったことになります。

 ドラマや小説の何巻にもわたる長尺ものって、よほどまとまった休みが取れたときなどでないと消化できないかと思いきや、暇だと意外に「いつでも観られるわ」と体温が上がらないもので、少ない空き時間をぬってさぁ次のエピ、帰ってきてもう1エピ、よしっ寝る前にもう1エピ見られる・・と追い立てられるように見たほうがエンジンかかって捗るものだなと思いました。

 『パーソン・~』の場合、1stシーズンからまる3年ちょっとがかりだったのかな?本国での本放送開始が2011年9月で、日本でDVDレンタルに出回り出したのが翌年10月です。かなり序盤から日本での食いつきも良かったようで、確かそのまた翌年の夏頃、ネットレンタルサイトの“あなたへのおすすめ”に乗っかって1巻と2巻は借りたのです。当時は1話で解決するUSA製事件モノばかり追いかけていたので、月河も高齢家族も観る気満々だったのですが、何とかぶったのか、はたまた夏バテだったのか、一度も見ないうちに返却期限になってしまったのです。縁のないときってこんなものです。

 新規まき直しで本腰入れて見始めたのがさらに1年少し後の、2014年9月。この少し前にDVDレコーダーをBlu-rayに買い替えたので本腰が入ったこともあります。2ndシーズンを視聴している間に3rdシーズンもレンタル可能になったので、一気にいきましたねぇ。4thに手が届くまでにまた2年半ぐらい間が空いたのですが、その間にBSフジで1stシーズンから放送があったりして、視聴済みのエピでも、TVでやってると思うとつい復習を兼ねて見てしまうので、なんだかんだでまる3年あまり、“心のどこかにマシンあり”だったと思います。途中こんなに飛び飛び空き空きだったのに先へ先への視聴意欲が切れなかったUSA製事件モノTVシリーズは『24』以来ではないでしょうか。

 『24』の放送開始が2001年11月、『パーソン・~』が先に書いたように11年9月と開きはありますが、両作ともに明らかに01年の9・11同時多発テロを意識していて、“国家当局によるテロ対策”から話が始まっているという共通項があります。やはりあの件がアメリカに残した爪痕は大きかったのだなと再認識します。

 このあたり、1980年代の警察モノや、広くアクション系映画に、決まって“ベトナム後”の背景があったのに似ている。ヒーローも敵役も、何かしらのかたちでベトナム戦争の影響を刻まれていました。『ランボー』だって、“2”以降はスタローン扮する不死身の筋肉ヒーローが大軍相手にドカスカやりまくるイメージしかなくなりましたが、もともと(1981年公開)は孤独なベトナム帰還兵のたった一人の反乱から始まったのだし、1988年の『ダイ・ハード』では、当時は若ハゲの30代?と思われるNY市警のヒラ刑事マクレーンは、さすがにベトナム経験はなかったでしょうが、終盤“対テロならまかせろ”とばかり現場に乗り込んできたFBI捜査官の年いってるほうが「ベトナムを思い出すなあ」、若いほうが「自分は中学生でしたよ」と意気揚々とヘリでバラボロ接近して、豪快に爆弾で吹っ飛ばされたりしていました。もうベトナムが“歴戦の勲章”ではなく“(現代の作戦では通用しない)過去の遺物”になったことを暗示する印象的なシーンでした。

 ソ連なり中国なりの、国体を持つ敵国の脅威ではない。外から来てアメリカ国内でホーム・グロウンする、守るべき祖国なく襲来するテロの恐怖を9・11で身をもって知ったアメリカ市民のスイートスポットを、活劇ドンパチドッカーンな“動”方面からついたのが『24』なら、監視社会、ビッグデータ管理の脅威という、目に見えない“静”の局面から紡ぎ起こしていったのが『パーソン・~』と言えるでしょう。

 特に『パーソン・~』制作当時は、すっぽり「アメリカはもう世界の警察ではない」と宣言したオバマ大統領の治世でしたから、架空でも固有名詞のつく仮想敵国を想定しないで、アメリカ人が作って稼働させ始めたシステムvsシステム、という物語世界を構築する必要があった。しかもチームリーダーは戦士ではなく技術者、それも敵に狙われた爆発の後遺症で普通に歩くのも不自由な、見るから身体能力低そうなメガネのITエンジニア。彼と組むのは元・特殊部隊兵、対テロ組織の雇われ殺し屋、バツイチシングルマザーの黒人警官、ギャング組織と癒着した汚職刑事、そして天才ハッカーと、いずれも警察や軍隊やCIAなど“強き良きUSA”から放逐され、あるいは排除されたはぐれ者たち。自分の身体ひとつと頭脳と度胸以外何の社会的バックも持たない面々が、国を売った売らない、人類の未来をどうするこうする、というばかでかい戦いに挑んでいく。“マシン”がはじき出す社会保障番号にしたがって今度の対象は被害者加害者どちらの予備軍か?何を企んでる或いは誰から、どこから狙われてる?名も身分も隠しての身辺調査、警護を通して犯罪への構図、真相解明、一件阻止コンプリート、で終わるのではなく、一件、一エピごとにマシンの仕組み、あるいは欠陥、方向性がメンバーにも視聴者にも少しずつつかめていくという大きな謎解き、大きな問題解決ストーリーになっているのは、どこか『仮面ライダー』シリーズにも似ています。

 こういう“大きな話”は、足掛け何年もかけて全話完走した直後に「最初からもう一度、今度は間を開けないで見返してみたい」と、いつも思います。わりと前を引きずらずにさくさく1話一件ずつ解決していった『C.S.I』も、サラが加入した話辺りからもう一度・・と思ったこともあったけれど。

 でも、これも完走してから言えることですが、『パーソン・~』はやはり最初に一気に見た3rdシーズンまでがやはりいちばん話に勢いと求心力があったかなと思います。特にシングルマザーのカーター巡査が殉職するまでが良かった。いままで見た多くの“NY警察モノ”ワールドと、『パーソン・~』で新規に提示された、マシンが君臨する電脳ワールドとの間に地続き感があったのです。メンバーが再結集してからの4th以降は、こっちが貧乏性なのかもしれませんが風呂敷の広がり面積が気になって気になって、たためるのか?どうやってたたむんだ?こっちのカドからそう来たなら、あっちのカドはどうするよ?と、落ち着いてまったりお話に浸ったり、ゲストの単発キャラにウケたりしていられない時間が増えてしまった。もう一度見返すにしても、3rdまででいいかなという気はします。

 ファイナルシーズンの最期の戦いに、過去にメンバーに助けてもらった対象番号の人がひとりずつ参入して、対象になるきっかけになった技能や情報を駆使してちょっとずつメンバーを援護して退場、みたいな展開にならないかなと思っていたら、ラストから3話めでちょっとあっただけでフェードアウトでしたね。こっちの思考がベタなんだろうな。

 でも最後に、安全問題の絶えないアメリカ軍ヘリコプター“オスプレイ”の命名の由来がわかったのは良かった。トクした気分です。確かに英語圏には鳥の名に由来する姓って結構あるんですよね。フィンチ(鷽=ウソ)以外にも、クロウ(カラス)、ガル(カモメ)、レン(鷦鷯=ミソサザイ)、ストーク(コウノトリ)辺りはそんなに珍名さんでもなく存在するはずです。そういえば80年代にテレビではまった『超音速攻撃ヘリ・エアーウルフ』のヒーローは“ホーク(鷹)”でした。

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問わず語りの心

2017-11-06 00:19:34 | 海外ドラマ

 朝ドラ撤退と前後して、月河の心のスキマに飛び込んで来たドラマがあります。どっかにないかと探していたわけじゃないんですけど、何も来ないときはまったく何も来ない代わり、来るときはホントに思いがけない方向からスポッと、はめ込むように来ますな、TVドラマって。

 『ルビーの指輪』。BS12(トゥエルビ)月~金16:00~放送。韓国ドラマです。どっひゃー。コレ、さすがに分が悪いわ。数年前、高齢家族の随伴でさかんにDVDで見まくっていた頃につくづく思ったのですが、“次回を否応なく見逃せなくさせる”ことに、韓ドラは一点集中、命かけてますから。日本の国営放送が受診料でつくった高画質のご清潔良心的環境動画じゃ太刀打ちできません。

 ルビーの指輪と言っても、曇りガラスの向こうが風の街なわけではなく、“ルビー”はヒロインの名前で、その彼女の指輪、という意味でもある。韓国ドラマですがヒロインがルビー。姓がチョンで名がルビー。人呼んでチョン・ルビー。

 セカンドヒロインがルビーの姉で名前がルナ。チョン・ルナ。

 ・・・すでに、この辺で嘘くさ・・・いや、ぶっ飛び虚構感ぐいぐい来るわけです。まぁ日本にもキラキラネームってありますからね。ましてドラマだし。

 美人で優しく愛され優等生のルビーと、自己中で上昇志向で僻み根性の強いルナ、二卵性双生児ながらルックスも性格も正反対な姉妹の、ひとくちで言えば韓ドラ版『フェイス/オフ』です。ご記憶かしら。正義のFBI捜査官トラボルタと極悪テロリストのニコラス・ケイジの顔が移植で入れ替わっちゃうの。話としては特別どうということはないジョン・ウー印のアクション映画ですが、途中からトラボルタが一気に尊大なオラオラ演技になり、イッちゃってるギョロ目だったケイジが知的ないい人演技になる、芝居面ではひと粒で四度くらいの美味しさはありました。

 『ルビーの指輪』では優等生ルビーが大企業のマーケティング部門に勤め、アメリカ留学から帰国した経営者御曹司とラブラブ。一方、野心家のルナは、地元ケーブルテレビ局でレポーターを目指しつつも未だ裏方に甘んじ、若手プログラムディレクター(劇中字幕では略してPD)と付き合っていますが、もっと世に出る仕事をしたい気満々です。ルナは望まなかったうっかり妊娠を中絶しようとして、結婚を望むPDと険悪な雰囲気になり、両想い玉の輿目前のルビーをやっかんで、首都のキー局のオーディションのためにルビーの衣装と御曹司からの婚約指輪を強引に借り、ルビーの車に同乗して大事故を起こします。二人とも命はとりとめますが顔面大損傷。先に意識を取り戻したルナが、服装と婚約指輪からルビーだと取り違えられ、御曹司やその一族からルビー、ルビーと優しくされているうちに欲望が目覚めて、ルビーになりすまし顔面整復手術でルビーの顔になってまんまと経営者一族の嫁に。

 一方、昏睡状態が続いていた本物のルビーはルナの顔に整復され、一年後に意識回復した時にはすべての記憶を喪失しており、すでにルビーの人生を乗っ取ったルナから「あなたはルナなのよ」と吹き込まれ思い込まされてルナの人生を手探りで歩み始めます。

 コレ見始めたきっかけはよく行く出先で、先客がロビーの大画面テレビをザッピングしていたとき、あ、『トンイ』のチャンヒビン役だった女優さんが出ている・・と一瞬、目が留まったところからなんです。イ・ソヨンさん、小さな顔の輪郭からはみ出すんじゃないかってぐらいのぱっちりお目目が印象的で、所見は『トンイ』でしたが、その後やはり出先でのチョイ見から『天使の誘惑』をDVDで一気見したりもしました。韓国ドラマの美人さん女優の中では整形感がほとんどないのも(失礼な言い方ながら)珍しく、画面にアップで映ると引き込まれずにいられない迫力のあるお顔立ちです。

 その彼女が、序盤は謙虚でまじめで思いやり深く誰からも好かれる本物ルビーを、入れ替わってからは顔はルビーでも高飛車で猜疑心が強く(バレたら大変な秘密抱えてますからね)、女としてもガサツでツンケンしたルナを演じているんです。この切り替えがすごい。

 セカンドヒロイン・ルナ役も負けていませんよ。イム・ジョンウンさん、高句麗時代の史劇『風の国』では武道に長けた元気な王女さま役でしたが、序盤はケバいメイクで、ルビーの成功を妬む底意地悪げなルナを、入れ替えられてからは、記憶を失ってルナの顔にされたけれど持ち前の優しさやひたむきさでルナとしての人生を受け入れ、そしてちゃんと周囲から好感を得ていく“中身はルビー”を演じている。月河は第15話からの途中参入なもので、見始めたときにはすでにそれぞれが入れ替わり後の人生を歩み出していたのですが、周囲の家族やそれぞれのパートナー、職場の人物たちとのやりとりで「コレ本当はこの人のほうがアンナこんな感じだったんだ」と透けて見えていくのが何とも怖いし、ドキドキする。

 何の落ち度もなく巻き添えで事故に遭い、意識不明の間に自分のキャリアや婚約者をルナに横取りされたルビーが独走で気の毒なので、本当なら「早くみんな真相わかってあげて」と本物ルビーの身になってハラハラやきもきし通しなはずなのですが、ルナのやりくちがあまりに近視眼的で無理筋、かつイ・ソヨンさん得意の“謀略系悪女”演技が堂に入っているため、「あーあーここでそんなこと言ったら、そんな表情したら怪しまれちゃうじゃん!」と、逆に“悪サイド”に立ってハラハラしてしまう局面もあったりして、もう次回が待ち遠しくなるしかないですよ。

 調べてみると本国放送時は全93話、月~金放送の所謂イルイル(日日=毎日。日本で言う連続テレビ小説のような平日オビ)ドラマだったらしいのですが、BS12のサイトでは全62話となっているので、だいぶ編集されているようです。最終話まで見終わったらDVD借りて1話から個人的に再放送しようかなとも。

 次回、6日(月)が第26話。25話終盤では踊り場で言い合って偽ルビーに突き落とされ頭を打ったことから、ルナにされた本物ルビーの記憶が蘇りつつあるようです。お見舞いに来た人たちが何故か私に「ルナ、ルナ」と話しかける?私の顔をしたこの人は?

 偽ルビーは突き落とした張本人ですから、死んじゃったらどうしようという本気心配が半分、転落の真相を暴露されたら大変という保身心配半分で駆けつけるのですが、記憶取り戻しかけの本物ルビーは我が目を疑う思いです。自分の見ているものが信じられず、思わず窓ガラスに映った偽ルビーの顔を見直す。見えている顔と同じ顔がガラスにも映っている。信じられない。セリフではなくガラスを使って本物ルビーの困惑を示す演出もうまい。

 だいたいこの時間帯だと録画で夜の視聴になるのですが、うまいことリアルタイムで16:00から見られると、日々日没が早まり黄昏に包まれゆく時間帯の気分に恐ろしくマッチします。えらいところに嵌まってしまいました。

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楽しドラマ

2017-11-03 23:27:51 | テレビ番組

 せっかくWindows 10搭載の新品を入手したのだからもっといろいろやってみればいいのですが、何もしないから何も恩恵も、スキルの進歩発展もないうちにはや十一月。前回のエントリが八月のお盆前でしたから、振り返ればいろいろありましたねえ。ミサイルもあれからまた飽きもせず飛んできたし、衆議院解散、総選挙なんて騒ぎもありました。

 個人的に、日常ライフで意識して変えたことと言えば、朝ドラ視聴から撤退しました。撤退しましたったら撤退しました。あーーすっきり。別に『ひよっこ』の後から始まった『わろてんか』が、致命的につまらないからというわけではないのです。誤解無き様。

 要するに、わかったんですね「コレ、詰まるところはスタッフのマンパワーと受信料を費やした良心的環境ビデオだな」と。

 ずいぶん昔に読んだ近未来SFで、映画も小説もコミックも、どこかの万能人工知能が一般民衆の好みを分析して、好まれる要素だけを抽出して組み合わせて作ってリリースするから、「おもしろくない映画」も「退屈な小説」も存在しない・・という、一見、夢のような、一周回って悪夢のようなくだりがありましたが、NHK朝ドラもここ数年の人気高止まりで、“この枠の客が好むもの”“嫌うもの”が制作側にくっきりはっきりわかってしまっているので、題材にせよ演出にせよキャスティングにせよ、“嫌われるのを承知で攻める”ということができにくい環境になっているのだなと思います。

 そうは言っても『ひよっこ』は最終話まで完走したわけですが、宮川彬良さんの音楽を聴いていたかったからという事がいちばん大きかった。中盤過ぎまで引っ張った出稼ぎお父ちゃん蒸発→記憶喪失→高名な女優が保護匿う、というくだりは、作家さんとしては朝ドラ枠ではなく夜22:00台ぐらいの、シリアスコミカル半々ぐらいのドラマ用に考えていたスジではないでしょうか。なんか、あのスジだけドラマ全体の地合いから浮いていました。

 みね子に案内されて夫を引き取りに上京して来た美代子さんが、奥茨城ではついぞ見たことがない瀟洒なマンションを前に「着物にしたほうが良かったかな」と自分の服装の見劣りを気にし、部屋に招き入れられてからも袖の小さな綻びに気もそぞろ、それを一抹物悲しい思いで横目で見ているみね子。このへんは岡田惠和さん得意の“乙女ゆえにブラック”な感性が垣間見える名シーンなのですが、大枠がとにかく朝ドラの譲らない“家族の意味と再生”という不動のフォーマットに両手両足拘束されているので、前後と有機的に融け合わないのです。

 そもそも昭和40年に高卒十八歳の少女が地方から単身上京したら、訛りやファッションセンスや金銭感覚、家族観や人間関係の距離感、性意識などすべてにおいて、砂利のシャワーを浴びて擦り傷だらけにされるような思いをせざるを得なかったはずで、そこらへんをすべてすっ飛ばして、年長者の親心や思いやり、友情やチームメイトシップ、地方者同士の連帯感といった共感性の風呂敷で包み込んでしまうのですから、こりゃもう、朝の気分をあったかさわやかに保つための手の込んだ環境ビデオと言うしかありません。

 このへんで、つねづねTVの連続モノから気持ちが引いていくときの個人的王道心理=「任(にん)ではないな」が発動しました。適任者は自分ではない。こういうドラマ、と言うより動画ソフトに熱意をもって嵌まり続ける人は日本中にたくさんいて、その中にもう一人月河が、辛抱して参加している必要はない。月河にはない適性を持ち合わせている多くの人にお任せして、当方は撤退すべき。

 環境ビデオの存在も、朝ドラが環境ビデオ化する経緯も、まるごとは否定しません。世の中の一郭にこういう世界があって、送り手と受け手の間で自足しているなら、それはそれで結構で、いっそ気分がいい。

 ただこれぐらいは言わせてもらっても。「好まれるものしか食材にしないし盛りつけない」という覚悟があるなら、もっと違うもので固めてほしかったなと思う客もこの世の片隅にいる、ということです。

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