『パーソン・オブ・インタレスト ~犯罪予知ユニット~』のファイナルシーズン完視聴を未だ引きずっています。“踏破”に長くかかった分、よく視聴意欲が途切れなかったものだと、自分に感動している部分もあります。
もうこれでこのメンバーと新しいエピソードで会う事はないんだな・・という、ロングシリーズ終了につきものの一抹の寂寥感(“〇〇ロス”という表現は全力で避けたい)もありますが、物語の結構として、「如何に強力で優秀な社会監視管理システムができようとも、“個人の自由意志による選択と決断”がすべてに優越する」という思想をつらぬいて終わってくれたのは、トランプ政権下めっきり内向きで料簡が狭くなり気味とはいえ、さすが自由主義の国アメリカのドラマらしくて頼もしいなと思いました。
それからもうひとつ、日本でも言い古された言葉なのでいまさらアメリカのドラマで、とも思いますが「ひとりの命がすべてより重い」思想。ドラマのセリフとしてはこういう表現ではなかったのですが、まんまコピペすると未見のかたにネタバレになってしまうので控えます。全ての人間の誕生から死まで、あらゆる行動や発言までもビッグデータ化して取り込んでいくシステムが存在したとしても、ひとりの人間は決して“データの一片”ではないのです。ひとりの人間の命、存在が、別の或る人にとっては世界のすべてに優先することもある。
些少で無名でとるに足りない人間ひとりが死んでも、ビッグデータ基準では何も左右しないし、死ぬ前と死んだ後とで世界が変わるところは何もない。しかし一人の記憶にでもとどまり、思い出してもらえたら、意味のない命ではなかったのではないか。
“万能人工知能による社会監視システム”を主役の一端に据えたドラマで、いまさら「やっぱり個人の意志」「やっぱり人ひとりの命」でまとめるのはあまりにいまさら過ぎるようでもありますが、毎日毎秒、国際紛争介入や銃器犯罪、薬物事犯で“人ひとり”を平然とバコバコ殺ぎ倒しまくっている国で制作された作品だからこそ“いまさら”に必然性がある。
ふと思い出したのですが、我が国のTVロングシリーズ『相棒』で、防犯カメラの顔認証システムをテーマにしたエピソード『神の憂鬱』が放送されたのがシーズン8最終話、2010年3月でした。『パーソン・~』のパイロット版初放送が11年9月。一年半弱、我らが『相棒』が先んじた!なんてこたぁ言いません。9・11がひと昔前になろうという時期、「テロも恐ろしいが、テロを全力で食い止めるべく作られたソフトも、気がついたらテロよりかなり恐ろしい」という気分が、洋の東西を問わず、特にテロの標的にされやすい立場にいる国の多くで、立ちこめてきていたのだと思います。