ここの二~三年、気に入っている形容フレーズがあります。
「コミケで“薄い本”が出回りそう(なレベル)」
・・これ、意外と使えるんです。
この、ネット辺境の弱小無名ブログに、何のご縁でか何度か立ち寄ってくださっているかたなら百も承知と思いますが、月河はコミックマーケットに親しい者ではありません。行ったこともないし、是が非でもまでは行って見たいとも思いません。
ただ、コミケに集まる人、親しい人の心情にはシンパシーがあるし、コミケ独特の着眼点とか話法は、心理や感性のものすごく狭く柔らかいポイントをついたものが多くて、感心もし、ときどき感動もするのです。
「“薄い本”が出回りそう」、ある種の人物の人間性、容貌や体型・風采・挙措を含めた外見の強烈な個性、そしてそういう個性の持ち主たちが接点を持ち合って生じる人間関係の、ある種の空気感を、感覚的に反射的に表現するのに、このフレーズ、非常にしっくり来ることがあるのです。
先日から余韻に浸っている『パーソン・オブ・インタレスト ~犯罪予知ユニット~』が、ファイナルまで5シーズン、たるんだり息切れしたりするほどには長すぎず、ぶつ切れで物足りないほどには短すぎもせず、ほど良い緊張感と整合性を保ってフィニッシュできたのは、この“薄い本”性ではなかったかなと改めて思っています。
薄い本どうこうなんて言い回し聞いたこともないしちょっと何言ってるかわかんない、という向きには、もっとずっと平易に“レギュラーメンバー間の恋愛要素の、限りなく皆無に近い希薄さ”と言ってもいいです。これなら超わかりやすいでしょう。メンバー間と限定するまでもなく、主要レギュラーたちの恋愛下手、恋愛低体温っぷりは恐るべきレベルでした。全員“異性との恋愛が要らない”もしくは“あきらめた”人種。恋人と、あるいはパートナーと思い思われ長続きする関係を築いて行けた、少なくとも築いていく気満々だったキャラがひとりもいないのです。メンバー中ただひとり、ひとりの異性を思い続けて、危険に巻き込まないため自分の意志で遠ざかったのちに、最終的に再び自分から帰還していった人物がいますが(ネタバレになるといけないのでメンバー名は伏せます)、それはすべてのオペレーションが終了した、ラストシーン数分前でした。
要するに、アクション系の事件解決モノTVシリーズとしては、“色っぽい要素”“恋バナ”と、途方もなく無縁なのです。事件モノでもチーム体制、ユニット体制のお話に必ず一人ずついる“女口説き担当”の二枚目、“お色気担当”の女性メンバーがいない。ジョン・リース君(演ジム・カヴィーゼル)は立派に二枚目じゃないかと言う声が聞こえてきそうですが、ドンと一般社会に放り込んだ場合、女性から「アラ、いい男」と集めるであろう視線と同じくらい、男性からも集めそうなんだなこれが。
ショウ(サミーン)とルート(グローブスさん)の女性二人は、もうはなっから女子力皆無、というより“女子やること”が“無理”。それでいて、ウェディング・ドレスや化粧品美容部員などオンナオンナしたコスプレも仕事と割り切って惜しげなく披露してくれるので、いやがうえにも孤高の恋愛無理感は高まり、ついにはファイナルシーズンの薬物催眠脳内シミュレーション中で、ゴリゴリの百合シーンまで展開しました。「あらら、来るんじゃないかなーと思ってたら、本当に来ちゃったよこの二人の百合!」と視聴者に思わせて“残念、シミュレーションでした”という見せ方は、制作サイドもちゃんと視聴者のくすぐってほしいポイントをわかってやってるなという気がしてある意味スカッとしました。
チームの創設者にして頭脳であるハロルドに至っては、ルックスからして短躯白皙、メガネに帽子、過去の古傷で片脚引きずる、犬(名前“ベアー”)連れ・・と、“どこから入っても萌えられる”属性満載。随時挿入されるマシン開発前後の過去時制のシーンで、思い人らしい女性の存在は確認できるのですが、彼女よりずっと仕事上のパートナーで共同経営者でもあったネイサン・イングラムとのほうに“お似合い感”がありました。元・汚職警官でカーターさん亡きあと、チームとNYPDとのパイプ役兼“ドラマ世界とリアルとの懸け橋”役になってくれたメタボなファスコ刑事は、セリフでバツイチシングルとわかりデスクに一人息子の写真が飾ってあり、対象者が“若い金髪美女”と聞くと前向きになるなど、健康的な中年男らしいガツガツ感はガス抜きとして出していましたが、同時に“どこから見ても女に縁がないルックス”で出落ち相殺。こういうマッチポンプなキャラを一人配しておくのもつくづく抜かりがない。男と女の“色っぽい話”が入り込んだところから物語世界がグラつき腐って行かないように、細心の手配りがほどこしてあるのです。
この細心さから否応なく立ち込めてくる“薄い本出回りそう”感。ありがち恋愛要素を封じれば封じるほど、“薄い本”系の想像は自由に羽ばたけます。「結局、ホモとかゲイとか、百合とか薔薇とか攻め受けとかそういう解釈で妄想するってことでしょ」と決めつけめさるな。別に人物全員をそういう目で見る必要はないのです。人物同士の心情のかよい合いに、“恋愛要素だけが無い”ことで、こんなに物語世界が豊饒になり、セリフにされない部分が雄弁になるのかと、特にファイナルシーズンは息を継ぐのも惜しいテンションが続きました。
どんな危険も、困難な状況も、恋愛感情が介在すれば買って出る、飛び込んで突破するのはドラマ的には当たり前です。好きな異性のため、或いはその人の大切な物(子供など)のためとあらば自分が痛い目に遭い果ては命を落としても悔いはない。ドラマの中で“恋愛感情”は誰もが納得する切り札モティベーションです。
だからこそ逆に、主人公たちが命を賭する、或いは生きて帰れないに決まっているオペレーションに身を投じる描写があって、なおかつ“動機は鐚一文、恋愛じゃない”という入念な基礎工事が敷いてあったら、もう薄い本的に萌え、いや燃えるしかないのです。それこそ一本道の袋小路に追い込まれるように火の手が高く上がる。
長年、スーパー戦隊ウォッチャーの月河は“チームもの”が大好物ですが、たとえば「ピンクはグリーンが好きっぽい」「でもブラックがピンクを好きっぽい」みたいな匂わせ描写があると「あーあ」とそこからウォッチ意欲がガタ落ちになり、立て直すきっかけを探すのに苦労してきました。いっそガチの情熱恋愛メラメラドラマならそれはそれで嫌いじゃないのですが、チーム事件解決モノで恋愛が介在すると、苦労して組み立てられた難局ぶつかりや危機突破シークエンスがすべて“当たり前”になってしまうのがどうにも残念なのです。
『パーソン・オブ~』は、こういう長年抱えてきた残念さを掬い取って「ホラこれなら緩まない下がらないでしょ」と一挙解決してくれたような爽快感あふれるTVシリーズでした。全5シーズンというヴォリュームも、シーズン中・シーズンとシーズンの間の高揚曲線も、上げっぱでなくだらだら台地状でもなく絶好だったし、今後これくらい切れ味のいいシリーズに出会えるかどうか難しいくらいだと思います。
月河と似た嗜好で「チーム事件モノに恋愛介在させるの反対」とひそかに思っているかたには是非一度『パーソン・オブ~』視聴をおすすめします。前の前のエントリで書いたように、このシリーズ、本腰視聴に入るまでにいったん縁が途絶えかかったりもしたことがあったのですが、やっぱり、何かが呼んだんでしょうね。