イエローフローライトを探して

何度も言うけど、
本当にブログなんかはじめるつもりじゃなかった。

タテタテ ヨコヨコ

2012-01-03 16:21:47 | 朝ドラマ

油断するとベタ褒めして終了になりがちなので、『カーネーション』の場合“今日はココを褒めよう”と決めてから書き起こすことにしましょう。

まずは、“原因と結果の緊密さ”を褒めたい。

人間はとにかく「“原因”があってこそ“結果”がある」と考えたい動物です。悪い結果が出れば、原因を究明することで事態を収拾したり再発を防止したりしようとするし(しようとしてできない政府なんかもどっかにありますが)、結果が良かったら良かったで「“頑張った甲斐”があったね」という修辞で自他をねぎらい、「○○さんの“おかげ”です」と他人の貢献をたたえようとする。良きにつけ悪しきにつけ、“原因”“理由”“わけ”“なぜならば”が欲しいのです。誰も悪くない、理由なく、条理なく勃発する悪現象の代表選手である天災、地震津波でさえ「天罰だ」と抜かす手合いがいて、どこのボケジジイかと思ったら元・大作家の現職政治家だったりする。

事ほど左様に人間は“原因が結果をもたらす”で腑に落とそうとする動物ですから、たとえ作り話のドラマや小説でも「わけがわからない出来事が次々起こってわけがわからないまま」という状態が続くのは辛抱堪らない。

幸福も不幸も、理由があって訪れてほしいのです。努力したから成功した。性格が良かったから王子さまに見そめられた。外見は良かったけど性格が悪かったから嫌われた。悪事を働いたから、正義のヒーローに倒された。子供や高齢者専用のドラマならこれくらい単純でオッケーですが、少し成熟した視聴者に見せたいなら、「努力したから事業は成功したが、家庭を省みなかったため女房には逃げられ、子供はグレて孤独な晩年になった」「美人で性格が良く誰からも好かれたが妻子持ちダメ男に優しくしたため不倫の泥沼にはまり叩かれた」など“人物にも両面ある”“物事にもオモテとウラがある”前提で、複線でお話を組み立て、原因結果を絡ませていかねばなりません。努力家だった人が突然能なしのグウタラになったり、性格の良い設定だった人物がいきなり錯乱して刃物振り回したりなど、話を複雑にしたいがために“わけがわからない”ことが立て続けに起こるような不出来な連続ドラマのBBSは「感情移入できない」というレス花ざかりになります。

『カーネーション』で糸子(尾野真千子さん)の婿・勝さん(駿河太郎さん)や勘助(尾上寛之さん)、泰蔵兄ちゃん(須賀貴匡さん)が相次ぎ召集され戦死・戦病死したのは、史実にドンとある戦争のせいであって誰かの何かの落ち度ではありません。「稼ぎ手の家長、跡取りの長男、妻子持ちは後回し」「独身の次男以下から順に」という当時の徴兵の不文律は今日にも伝えられているし、戦中戦後を知る世代もまだ健在ですから聞くこともできる。昭和12年秋に最初の召集、16年秋口に除隊、菓子店の店番もやっとなほど精神がへこんでいた勘助の、199月の沈黙の再出征は「肺疾など伝染病がなく四肢体躯が満足な成年男子なら、精神状態がどうだろうととにかくかき集める」ぐらい兵員が払底していたのだろうかと、これはもう想像も簡単です。

それでは善作お父ちゃん(小林薫さん)の享年五十九、早すぎるお別れはどうでしょうか。小林さんが『土曜スタジオパーク』で「体力的に(←昨年満60歳)これくらいの出番でちょうどよかったかなと」と言っていたから。…なわけはない。脚本上は、“失火で大火傷のあと疥癬を併発して約3ヶ月の自宅療養、やっと床が上がったばかりで温泉旅行、久しぶりの酒を過ごして湯に入って心筋梗塞”という順序になっているので、お酒が悪かったのか温泉が悪かったのか、そもそもうっかり小火なんか出したのが運の尽きのもと…と思いがちですが、よく解きほぐしてみましょう。

善作の「絶対安静1ヶ月」と診断された火傷後の療養がこんなに長引いたのは、弱った身体に疥癬(←不潔な宿舎で入浴もままならず栄養不良の旧日本兵は、命からがら復員できてももれなくコレ持ちだったと聞きます)がとりついたせいで、「疥癬の療治には温泉がいい」と木岡履物店のおっちゃん(上杉祥三さん)の提案もここから来ました。

戦時中のこと、消毒薬や外傷の薬も民間には不足していたでしょうが、それでも地元の老医師は深夜のリヤカー搬送を親切に診てくれ、糸子が店の多忙の傍ら包帯交換やお粥さんの給仕、窓開け換気にとひとり何役も気を配って懸命に看病したにもかかわらずなぜそんなに弱ったかというと、まだ寒い早春、元だんじり大工方・泰蔵さんの出征見送りに、リヤカーも断わって国民服に着替え無理やり起きて出かけ、声をふりしぼって万歳の音頭を取ったせい。泰蔵兄ちゃんは地元の商店街にとっては“だんじり守護神”“みんなのヒーロー”的存在だったので、善作さんにとっては、婿の勝さんを送るのとは違った意味で、何としても目に焼き付けて、自分の音頭で送り出してやりたい思いが強かったのでしょう。何たって、糸子がやんちゃ盛りの頃は、善作が前梃子に座するだんじりの頭上で、泰蔵さんが舞っていたのですからね。

こんなところにも、善作さんの早世には戦争が、遠くから影を落としている。戦争で“生死”が切実に迫ってくると、人はいや増しに縁起とか、祭りごと、“神聖なもの”に敏感になり、執着するものです。

そしてそもそもの大原因、1月、寒のさなか懐炉の揮発油の壜を火鉢に落として火をかぶった夜は、善作は「目が冴えてな」と眠れず帳簿の頁を繰ったり筆をとったりしていました。煙草喫みの善作が一服しようとして袂に煙草がないので、消灯した座敷の茶箪笥(←糸子が昭和9年春に店を継いで、善作夫婦らは質屋に移り別居、戦時の電力・燃料不足で倹約のため再同居を始めたのがこの昭和18年年頭ですから、同じ家でも善作には、自分が家長の頃とは諸事物の置き場所等の勝手が違っている)を手探り開閉しているうちに惨事が起きたのですが、同じ頃、糸子も2階で眠れず輾転反側していました。

大事な婿の勝さんが出征した後、糸子が「どうせ浮気しちゃった旦那や」と自らを奮い立てて仕事をしていた洋装店に、この日の昼、國防婦人会が勝のミシンを供出するよう迫ってきたのです。ミシンが無ければ、戦争が終わって帰って来たとき、紳士服職人の仕事ができなくなってしまうと拒否する糸子に、婦人会のリーダー澤田(お懐かしや三島ゆり子さん)は「帰ってくるなんて、まだそんな低い意識で?」「お国のためにいさぎよく骨になってこそ旦那さまの値打ちというもの」と豪語。激怒した糸子が澤田たちにつかみかからんばかりになったのを、善作が縫い子頭の昌子(玄覺悠子さん)と二人がかりでやっと取り押さえたものの、最愛の(浮気疑惑ありとは言え)夫、娘たちお腹の子の唯一無二の父でもある人を「死んでこそ」呼ばわりされて「くっそぉー…」と歯噛みして涙をこぼす糸子。勝を実の息子のように可愛がっていた善作も心裂かれる思いで見つめたその日の夜、まんじりと眠れるはずもなく持て余した時間に、炎の悲劇は起きたのです。

小原家の小火は空襲でも焼夷弾でもない。しかし戦争という黒い巨大な悪意のカタマリに蹂躙されかけて、それではならじと懸命に抗して生きようとする、命あらん、あり続けんとする人の思いが、押し潰すものを振りほどいて弾け飛んで揮発油の壜を倒したと言っても過言ではない。

そしてその懐炉は、もともと小原家にあったものではありません。お世話になっている近隣の皆さんに、お正月料理の足しにと歳暮代わりに糸子は野菜などを籠にひと抱えずつ配っていました。物資不足に倹約圧力で苦しい商店が多い中、小原洋装店は好況で、現金がないからと現物支払いに代えてくる顧客も多く、食材も潤沢です。髪結ひの玉枝おばちゃん(濱田マリさん)に「あんたんところは繁盛して結構なことや」と勘助の件ついでになじられて以来、糸子は以前にもまして“稼がせてもらった分地元に感謝と還元を”の意識が強くなっていました。

金属供出で懐中電灯ぐらいしか売り物がなく元気のない木之元電器店に届けた帰り、奥さんの節子さん(西村亜矢子さん)が「糸ちゃーん」と追いかけてきて、「いつも貰うばかりで悪いし」と差し出してくれたのがこの懐炉でした。

日頃無口で愛想の苦手な節子さんが勇気をふるってくれたくらいですから、本当にありがたい、恐縮だと切実に思っての好意だったのでしょう。糸子も戸惑いの表情ながら、懐炉自体よりも、報いたいと思ってくれたその好意を重く温かく感じ「おおきにな」と受け取っています。

 好きな洋裁を仕事にし目標まっしぐらの糸子はさわやかな前進の人である一方、その長所の裏返しに、持ち前の熱気と驀進力が、特に気弱な人や能力の劣る人をときにたじろがせ、居心地悪くさせる傾きがある。なんだか糸子に思うさままくし立てられると、自分だってさぼっているわけではないのに、才能乏しく努力も不足な気にさせられるのです。誰もが「糸ちゃん偉いな、頑張れよ、応援しているよ」という視線でばかり見ているわけではない。結髪業の不振と息子の戦傷で精神的に荒んでいる矢先の玉枝さんに指摘されるまでもなく、視聴者も「ドラマとして鑑賞している分には痛快だけど、実在の人として身近にいたらちょっと暑くるしくてきっついかもな」と思うふしが一再ならずあったはずです。

 糸子がエネルギッシュ過ぎるから節子さんにプレッシャーとなり懐炉で返礼せしめ、その燃料で出火し善作さんが重傷を…とまで考えればこじつけめきますが、煎じ詰めれば、あるいは超ざっくりと俯瞰すれば、“戦争に負けまいとする心”と“心が人一倍強い、剛な娘を持ったこと”とが併せ技で、善作さんに思いがけずいささか多過ぎる火の粉を降りかからせたと言っていい。善作さんの体力気力と、糸子やご近所さんらの協力あって傷からは快復したものの、“黒い雪だるま”式にのしかかった戦争が、悪いほうへとハンドルを切りアクセルかけてしまった。

 要するに“こんな時代”に、“こんなにパワフルな娘を持ったこと”の幸不幸の両方を、善作さんは享受し切って逝ったのです。

自立心にすぐれ人に頼ることを潔しとしない長女が早めに店を継ぎ、看板を架け替えて後継者以上の甲斐性を発揮してくれたおかげで、善作さんは早めの事実上の隠居となり、あとは孫たちの成長と店の繁盛を手伝うばかり。次女静子(柳生みゆさん)以下の花嫁姿は、楽しみにしていたのかどうかわかりませんが(実際、関心なさそうだった)、ラクし過ぎて、戦争もなくて酒を過ごしでもしたら、いずれクチうるさく何かと手をあげるだけの足手まといの老親に堕していたかもしれず、享年五十九は、「もう少し食べたいくらいのところでお開き」という天のご馳走配剤だったのかもしれない。呉服屋お得意様の、嫁入り間近のお嬢様(=千代さん)を口説いて駆け落ちゲットした時点で、人生のツキの総量だいぶ消費済みなはずですし。

善作さん自身より糸子のほうがよりショックだったに違いない急なお別れも、「馬力だけのアホやさかい」と心配していた糸子に“馬力で試練は乗り越えられても、周りに感謝と謙遜を忘れたらあかんぞ”と教えるのが最後の使命になったようでした。

………ともあれこれは一例。初見では「ちょっと理不尽」と思える人物の退場や不遇にも、ひとつひとつ解きほぐして行くと、納得できる原因が絡まったり連なったりしていて「なるほどこういう結果になる道理だ」「道理と割り切っちゃかわいそうだが、百歩譲って仕方がないか」と思える。途中、ともすれば12年飛ばしの高速で進むドラマながら、追尾していてあれよあれよな置き去り感、食い足りなさが少ないのは、脚本における経糸横糸、“原因結果のテクスチュア作りの妙”も非常に大きいと思います『カーネーション』

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