世の中には、画面に映らなくても、とても多くの男性がいるのに、糸子(尾野真千子さん)は何ゆえ周防さん(綾野剛さん)を好きになったのでしょうか。
ここで以前の記事に書いた「ヒロインが恋愛し出したら、朝ドラの例にもれず途端に精彩なくなった」という感想を、『カーネーション』にだけは持ちたくないので、先週来じんわりと、しかし真摯に、折りにふれ考え続けているわけです。
1.コテコテ、ガチャガチャのおっちゃんじゃない、幼時から糸子の身近にいなかったタイプで希少感、新鮮さあり。
2.憧れだった泰蔵兄ちゃん(須賀貴匡さん)をホウフツさせる、寡黙で涼しげ。
3.自分と同じ服作り職人。仕事ぶり、作り手としての思想やセンスが尊敬できる。向こうもこちらを尊敬して、そう言葉で言ってくれた。
4.戦争で多くを失ったが、失ったものを多くは語らず、前に進もうとする姿勢が共通。
5.まじめだけれども遊び心がある。長崎訛りを自覚しながら、わからながられること、アウェイ感を楽しんでいるふしも。
6.そもそも“言葉が、どうしようもなくはない程度に通じにくい、耳新しい”“異人さんの町として知られ、洋裁師の糸子にとってはリスペクタブルな土地の言葉”というのも高ポイント。
7.訛りをカバー(?)するべく宴席に三味線持参などかなり粋で遊び慣れている、というか、遊ぶ“場”にいることに慣れている。物静かにネアカ。
…もうひとつ、周防さん個人の属性ではなく、“タイミング”というのも大きいと思うのです。気の進まなかった繊維組合の月会合に糸子が恐る恐る顔を出してみたら、たまたま自分と同じような“アウェイ感”を漂わせた人がひとり、近くの席にいた。現代の合コンでも、“員数合わせで、いちばんしぶしぶ来た”同士が、ノリノリの連中をさしおいて真っ先に雰囲気良好カップルになってしまうのはよくあることです。あのとき三浦組合長(近藤正臣さん)が周防さんを残して先に退席しなかったら、糸子と北村(ほっしゃん。)との飲みくらべは勃発しなかったかもしれないし、周防さんにおんぶで送り届けられることもなかったでしょう。いつ以来か思い出せないくらい久しぶりの、男の大きな背中が、亡きお父ちゃん(小林薫さん)との幸福な子供時代の思い出の引き出しを夢うつつに開け、「あぁ恥ずかしい」「もう二度と会いませんように」と思ったら、もうあらかた持って行かれている。
また、タイミングというものは相手のほうにも当然あって、所帯持ちの周防さんにも、何かしらの隙があったことは否めない。自分で語ったように、ピカドンのパニックの中でも、夫の宝物の舶来革靴を持って逃げてくれる(見たところかなり大ぶりの深履きブーツで、女の手で慌ててこれを持ったら、他の物はほとんど持ち出せなかったはず)ような奥様とお子さんをお持ちなのは確からしいのですが、生活感、所帯感のなさが異常なのです。親戚の伝をたよって土地勘のない大阪に来て、いったいどこに寝泊りしてどんな所帯を構えているのか、繊維組合へにせよ糸子の店へにせよ、北村の新会社へにせよ、どんな手段で通勤しているのか、子供さんは何人いて幾つなのか、風采や挙措からいっさい窺い知れない。極端な話、「今日はこれで」と挨拶して角を曲がったら、ポッと雲霧のごとく消え失せてもおかしくないくらい。竈で煮炊きし布団を上げ下ろす所に帰って行きそうもない雰囲気なのです。
「事情があって、家庭に関する話を意識的に避けている」と受け取るのはあまり当たっていない気がする。避ければ避けるほど、隠せば隠すほど、こういうことは言動の端々に、濃厚にバレていくものです。
周防さんはむしろ、“家庭生活というものがそもそも存在していない”のではないでしょうか。存在しないから、話題にのぼせようがない。服装や挙措にもあらわれようがない。けなげな奥様は、身体はどうにかピカドンを生き延びたものの、あるいは通常の夫婦生活が無理な精神状態にあるのかもしれないし、見知らぬ大阪の地での生活が合わず、親戚宅にでも身を寄せ別居状態なのかもしれない。
要するに、周防さんも糸子と同じ“空っぽになった部分を持つ人”だった。半永久的にではないかもしれないけれど、人生の、そういうひとこまにある時期だった。そんな気がします。こういう同士が、同じ時間、同じ場所に居合わせた。↑↑上のほう↑↑で、じんわり真摯に考えて箇条書きしてみたけれど、タイプ的に、性格的に、能力的にどうだったこうだったと分析してもあんまり意味はなさそうで、“心の凹凸のかたち”がしっくり、惹き合うべくして惹き合ったような気がする。
だからこそ、“性格やタイプや容姿のレベルが近似した、他の誰か”を連れて来て代わりにするわけにはいかないのでしょう。親族や上司など周囲の人々が選んで見つけ出してきて、お似合いと判断して、いい相手だいい話だと盛り上げる“縁談”とは真逆の、不合理なまでの唯一無二性、これこそ恋愛というものです。
組合長、北村、周防たちと酒席をかこんだ夜の家路、「お父ちゃんが好きやった」「勘助が可愛いて仕方なかった」「泰蔵兄ちゃんに憧れとった」(少し間があって)「勝さんを大事に思とった」と、それぞれに少しずつ異なる思いを向けてきた男性たちを順に回想した後、米兵とパンパンのいちゃつきを見送る糸子が切ない。父と娘、姉貴分と弟分、擬似兄貴と擬似妹、そして家つき女房と婿養子。男と女の関わりように様々ある中で、「抱かれたい、抱いてほしい」というタームだけは、糸子は三十路半ばのこんにちまで、経験したことがなかったのです。勝さんとの間には3人の子をなしたけれども、“夫婦らしいことをする”のと「抱いてほしい」との間には、地上から仰げば指幅ほどの隣でも何億光年も離れた星同士ぐらい隔たりがあるのです。
糸子にとっては生まれて初めて「抱かれたい」と願った男性は、しかし人の旦那さまだった。欲しいものは何でも努力して、知恵を使い汗をかいて引き寄せゲットしてきた糸子が、努力でどうにもならないものを初めて欲しがった。
家に帰れば3人の娘の「ピアノこうて♪」攻撃で箪笥が埋め尽くされている糸子、いまは自分が「すおうさんこうて」と書いてどこかに貼りまくりたい心境か。しかしまあ糸子の幼い頃は、あこがれの“ドレム”が神戸のお祖母ちゃんから思いがけず送られてきたものの小さすぎて妹のものに…なんてこともありましたが、ピアノどうすんでしょうね。3人、束になってかかってきただけに。「ほれ、あんたらの好っきなピアノやで!」と卓袱台に乗るくらいのおもちゃのピアノ買って見せてドヤ顔、ぐらいかな。
ところで、画面に映らない部分は深い謎に包まれた周防さんですが、年齢だけはほぼ推定できます。周防“龍一”という名前からして、辰年の生まれと思われる。辰年の、特に男の子には、“龍”“竜”“辰”の字を名に持つ人が結構多いんです。有名どころでは、作家村上龍さん、作曲家坂本龍一さん、俳優峰竜太さんは1952年=昭和27年壬辰、俳優の鶴見辰吾さんは1969年=昭和34年甲辰。遡ると1928年=昭和3年戊辰にはフランス文学者澁澤龍彦さん、俳優金田龍之介さん、『太陽にほえろ!』のチョーさんでおなじみだった下川辰平さんも生まれておられます。
我らが(誰らがだ)周防さんが設定1913年=大正2年生まれの糸子から見て、恋愛対象になり得るゾーンの辰年生まれとすると、1916年=大正5年丙辰か、もうひと回り遡って1904年=明治37年甲辰。後者だと、糸子より9歳上で、初めて会った月会合の昭和21年にすでに41歳だったことになり、いくらなんでも若く見え過ぎですから、やはり前者でしょうな。初出会い時30歳。お誕生日が来ていなければ29歳だったかもしれない。演じる綾野剛さんの実年齢ともしっくりマッチ。月河としてはこちらでいきましょう。糸ちゃんの3個下。きゃあー(←千代さんか)、“イケナイコト”感が増して、なんかムラムラしてきませんか。
……もっとも、龍や竜や辰の字がついてても、辰年にかすりもしない人も大勢いることはいます。ジャイアンツの原辰徳監督は1958年戌年、ミュージシャン石井竜也さんは1959年亥年、『特捜戦隊デカレンジャー』デカレッド載寧龍二さんは1981年酉年、『美味(デリシャス)學院』のイタリアン・河合龍之介さんも1983年亥年。坂本龍馬は1836年=天保7年丙申の生まれぜよ。
………なんだ、結局考え過ぎで、見当違いか。周防さんナニ年なんだ。糸子の大正2年が丑(うし)年だから、せめて鶏口となるも牛後となる勿れ。心配するところが違っちゃったな。
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