『娼婦と淑女』の腹黒執事・藤堂(石川伸一郎さん)は、8話での帽子に上着のお出かけスタイルが『仮面ライダーW(ダブル)』のウェザードーパント井坂(檀臣幸さん)の系統ですな。園咲家食堂で空き皿レゴブロックみたいに積み上げて食事してても違和感なさそう。あのキャラは、基本、貧相で非・肉体派だからこそあの食いっぷりがいいのであってね。
もっとも、冴子さん(生井亜実さん)は藤堂じゃ「前の夫(=尻…じゃなくて霧彦さん)とチョイ似でイヤだわ」とお気に召さないかも。藤堂は藤堂で旦那さまの愛人千鶴(魏涼子さん)とでけてますし。お互いに“中老け”専入っている同士、相性はよくなさそう。
でも『W』の世界に藤堂、ちょっとお邪魔させてみたい気はしますね。メモリコネクタ身体のドコにあるのかなーーなんて。井坂先生が一瞬脱いで披露してくれたように、上半身のいたるところにあったりなんかしたらゾクゾク来ますな。特撮ワールドの“人間ならざるものが人間の外見を装って…”という設定に、非常にはまるキャラだと思うのです、藤堂。
『娼婦と淑女』ドラマ本体は、第1週からあまりにおかずてんこ盛りな上、米のご飯に当たるストーリー部分が書き割りみたいな現実感の無さなので、正直、先週末にはうっすら脱落ムードになりかけました。
しかし第2週に入り月河、見くびっていたと認めざるを得ません。このドラマは、安達祐実さんが“令嬢と貧乏娘の二役を演じる”お話ではなかったのです。いや、確かに二役という面も、少なくとも序盤3話ぐらいまではあったのですが、それより何より、安達さんが“なりすまし演技をする娘の役を演じる”ドラマととらえ味読すべきだった。
極貧で希望のない境遇の紅子が、最初は真彦(鳥羽潤さん)の教育に沿いながら、徐々に自分の内なる野心と上昇意欲の命ずるままに、子爵令嬢・凛子の立ち居、言葉遣いを見よう見真似であやつり、爵位をめぐってケチな角突き合いを繰り広げる一族の争いの泥沼を泳いでいく。安達さんは、本物のお嬢さまでもなく、まるごとの貧乏娘でもない、“付け焼刃で必死に令嬢の振りをする貧乏娘”という難題を要求されているのです。
難題ですがしかし、安達さんにこれほど打ってつけの役もありません。28歳でなお“童顔”の域すら超えた、少女ぬりえ絵本のような容貌、一児の母となっても依然幼女な、頭身大きめのプロポーション、アニメの幼女キャラ風の声、「何を着てどんな役を演ってもコスプレに見える」という、大人の女優としてはきわめて不利な特性が、そっくりこの『娼婦と淑女』では利点になるのです。紅子自身が、“身の丈につり合わぬコスプレをいっぱいいっぱいでやっている”というキャラなのですから。
脇役たちの動き、台詞も、安達さん扮する紅子の“なりすまし”の下支えに集中するときいちばん冴えます。階段転落時彼女の身体を抱き上げて運んだ藤堂が真彦に「少し重くなった気がする」「(怪我を介抱した)足の筋肉も、遠出の散歩が効いている様だ」と怪しみ、爵位欲しさに嫡子の凛子をなきものにしたい妾腹のアホ息子太一(久保山知洋さん)が独り言で「(自転車荷台に横座りさせて全速飛ばせば)(しがみつく力のない)凛子ならひと振りで落ちると思ったのに」など、転んでもただでは起きぬ雑草のような生命力と闘争心に満ちた紅子と、清らかで優しいけれどもが温室育ちで覇気に欠けた凛子との対比を際立たせ、“そういう娘が、真逆のそういう人物を‘演じて’いる”という二重構造のスリルを醸成します。
凛子(実は紅子)の端々の言動を観察して穴を探し、あれこれ術策をめぐらす若い連中は、地位なり資産なり結婚なり“いま自分にないもの”への渇望があるからギラギラし頭もそれぞれに働くわけですが、持てる大人たち=祖母ミツ(赤座美代子さん)母の杏子(越智静香さん)、婿養子の孝太郎(岸博之さん)はもう、年中“爵位を誰に継がせるか、誰には継がせたくないのか”でわいわいすったもんだする以外、何もすることがないかのよう。設定昭和12年の、特に公職も事業も持ってなさげな下っ端華族が本当にこんなアホアホヒマ人大行進だったのかどうなのかなんて気にする必要はまったくなし。
とにかく安達祐実さんによる『ガラスの仮面』以来の劇中劇なりすまし演技の妙味を堪能すべし。しかも『ガラカメ』では文字通り、劇中劇のお芝居なりドラマなりの役を演じていたので、“あらかじめ芝居芝居している”ことが前提の演技でしたが、こちらは(きわめて変ちくりんな書き割り家族とは言え)一応、日常の中に融け込んでのなりすまし演技です。
紅子からの「あたいが凛子になってあげる」提案に乗り、頼りないながらお屋敷の中でカバー、サポート役をつとめている真彦と2人きりのときはがらっぱちアタイ言葉全開で、使用人や真彦以外の家族の目を察知すると速攻「~ですわ」「~ですもの」のワタクシお嬢言葉に動物的反応でスイッチ。よく見るとワタクシ言葉を発しているときでも、目つきや語尾に紅子の雑草魂ならぬ“蛾”魂が透けて見えるカットがあり、安達さんによるここらの劇中劇的匙加減を楽しまなければ、どこを楽しむんだというドラマです。
ただ、欲を言うと、こういう二重構造のトリッキーな役を、ほかの女優さんではなく安達祐実さんに振ってしまう(あるいは、安達さんヒロイン来演が決まった時点で、二重構造の役に企画してしまう)という点に、昼帯ドラマとして“安全策”の匂いがするのは否めません。安達さんのコスプレ演技の手練れさでマスキングされていますが、企画的にはやくざ役しかできない俳優さんでやくざ映画を撮る、ラブコメしか演れない女優さんでラブコメを作るのと同類の仕事です。
戦前華族の後継ぎをめぐるゴタゴタ、瓜ふたつの身分違いの2人の娘…というモチーフも含めて、とことん守りに入りまくっており、舞台装置や人物描写の書き割りくささより、その点がいちばんアチャーです。